投函出来ないままの手紙

中原塁

第1話



     ①



「どうしたの? 今、披露宴の最中じゃないの?」

「……たった今、終わった……」

 二階へ向かう階段の踊り場に腰を下ろし、潜めた声で、修一は携帯の向こうの恵理子に答え、そして「今から、福岡に帰るから」と言った。

「……今からって……今日、帰って来るってことなの? 帰りは、明日の予定じゃなかったの?」

 無性に妻の声を聞きたかった。

妻の声を聞くまでは、明日の午後の便で帰るつもりだった。

聞き慣れた声を耳にした瞬間、思わずそんな言葉が修一の口を出た。

「何かあったの?」

 医師独特の、淡々とした口調である。

出逢った頃から、少しも変わらない。

仕事場ではともかく、せめて自分に対しては今少し、柔らかな話し方が出来ないものかと思うこともあるが、それは、十年以上経った今も変わることはなかった。

しかし、虚しさに胸が締め付けられる今日のような日は、むしろ、その事務的な話し方に修一は救われた。

「うん……いや、とにかく、今日の夜の便で帰るから」

 そう言って修一は携帯を閉じ、手摺りの間から、一階ロビーの光景に目を遣った。

「はぁーい、みなさぁん、最後にもう一枚集合写真を撮りますから、こちらに集まってくださぁーい!」

 新郎の同僚だろうか、司会を担当していた男が声を張り上げている。

その声に、品川プリンスホテルのフロント前のロビー、新郎新婦を真ん中に、披露宴に参列した人がぞろぞろと集まって来た。

「ねぇねぇ、お姉ちゃん、パパは?」

 お色直しで着替えたマリンブルーのカクテルドレス、杏子は少し目立ち始めた腹部を気遣うかのように手を置きながら、右隣の母の仁美の背中越しに姉の笙子に訊いた。

 杏子の言葉に、笙子はロビーを見回しながら、「あらっ、どこに行ったのかしら?」と首を傾げた。

「どうしたの?」

 娘たちの会話に、留袖の裾を直しながら仁美が杏子に訊いた。

「ママ、パパが居ないのよ」

 笙子の言葉に、仁美もロビーを見回し、何かを思い出したかのような表情を浮かべ、そして、「自分勝手な性格は、昔とちっとも変ってないんだから!」と、吐き出すように言った。

「お父様がいらっしゃらないのですか? 少し待つように、カメラマンにお願いしましょうか?」

 新郎の隆史が、三人の会話に入って来た。

「隆史さん、すみませんね。どうせ、トイレにでも行ってるのでしょうよ。テーブルでビールをしこたま飲んでましたから」と、愛想笑いを浮かべながら答え、「協調性の欠片もない人です。それに一枚ぐらい、花嫁の父が写ってなくたって構やしないですよ。第一、本人に花嫁の父としての自覚があるのかないのか、本当にすみませんね」と、仁美が頭を下げた。

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