ハイペリオン (7)



最初に証言台に上がったのは、あのおどろおどろしい女性保安官だった。


いや――実際には保安官ではなく、もっと高位の人物で、『国家保安警察公安七課課長バージット・ゲーブル=テンペ』と名乗った。事件の捜査責任者として、また焼け跡の実況見分を行った者としての立場を明らかにした。


「バージット・ゲーブル=テンペ課長。あなたは火事の現場において、火元の特定ができましたか。またその場合、いかなる根拠を持ってそれを立証しますか」


「私は国家保安警察アシェロン署の保安官八名、ヘリア本署からの増援七名並びに火災の専門家一名と共に、ミセス・シルヴィエ・アッシャー邸の見分を行いました。結果、火元は三階の東翼――アッシャー夫人の寝室並びに被告の立て籠もっていたとされる書庫があるフロアに、相違ないことが判明いたしました」


「どのようにしてその結論に至ったのですか」


「はい。大まかな特定に関しては一目瞭然でした――」そう言って、火災の専門家の報告書レポートを読み上げると、「専門家もこのように分析しています」


「次に、被疑者確保のときの様子を――」


「裁判長。少し宜しいですか」


次に進もうとするエンジェルス検事を牽制するかのように、デルヴィル氏がまっすぐと手を伸ばした。その様子はあたかも独裁者に対する敬礼のようだと、ヘスターは思った――


「エンジェルス首席検事。証人は、あなたの質問に対して最後まで答えていません。火元が大まかに三階の東翼であるという証言は成されましたが、具体的な特定にまでは至っていません」


裁判長は、証言台のゲーブル=テンペをちらりと垣間見た。


テンペはまっすぐとその視線に受けて立っていた。


「質問を認める」


テンペは、若干躊躇ためらう素振りを取り繕って言った。


「火元の厳密な特定には至らなかったのです。お伝えした通り、火元である三階の東翼は燃え方が激しく、鎮火時には床板が天井を含め、ごっそりと焼け落ちてしまいました。三階の東翼には、ミセス・アッシャーの寝室、書斎、衣裳部屋、そして被告人が発見された書庫しか存在しません。後に証拠品として提示される屋敷の間取りをご覧になればはっきりと判りますが、三階へ至るにはエントランスホールから続く階段を、二階を経て通って行く他になく――これも後々明らかになることですが、一階二階には使用人が居ました。外部から侵入は考え辛く、また出火原因に関しても前述の通り、放火の線はないというのが一致した見解です」


テンペの慣れた証言は、必要以上のことを多く語っていたが、それによって事件の全体像は誰の目にも判り良いものとなっていた。


放火。火元は三階の東翼。


――内部の犯行。


審議はスムーズな方向へと、舵を取られていた。




続いて、屋敷の使用人たちに対する質問では、邸内の容疑者の絞り込みが行われた。


料理女と小間使いは、就寝前のフェリックスに頼まれてホットミルクを用意したことを証言したし、その後二階の廊下を通った者は一切いないと眠りの浅い老執事は断言した。エミリエのアリバイはフェリックスの物より若干証拠性に乏しかったが、就寝時間ぎりぎりまで一階の仕事部屋で口述速記を行っていたと秘書が言い、またその際も全く普段通りの様子で、事業面での対立も一切なかったと保証した(「財団はシルヴィエ様の事業で、シルヴィエ様は有能な実業家でしたもの。エミリエ様は良き補佐役として、娘として、至極円満に事を運ばれていました」)。加えて、エミリエの主治医が事件後彼女の健康状態が思わしくなく、ひっそりとした場所での静養を勧めたのは自分だと言い、エミリエには憐憫の眼が注がれた。


故人の人となりを知らしめる段階では、彼女の積年の友人たちがこぞって「彼女は素晴らしい人だ」「血の繋がりのない子供たちに対して、分け隔てない愛情を注いでいた」「あんなに有能で立派な道徳者はそうそういない」と褒め称え、王国に欠くべからず人物を失ったという悲劇性を聴衆の耳に植え付けた。


――そう、母さんは立派。


ヘスターは思った。


――誰もが認める、自慢の母さん。


――家族の居ない私たちを『家族』にしてくれて、実の親の下にいたら決して得られなかったであろう最高の環境と機会を提供してくれた。


――そのこと自体がスゴい幸運で――でもそれを恩着せがましくひけらかすことは、一度もなかった――


特にヘスターは、小さい内に引き取られたので、生みの親の顔を知らない。


エンジェルス検事の証人は、いずれもエミリエ・アッシャーという人物の描き出しに用いられ、明白な非難の矛先が被告人席のヘスターに向けられることはなかった。


しかしそれでも、兄弟の中でヘスターだけが「扱いにくい」「不思議な娘」「余りなついていないようだった」といった証言が言葉の端々から飛び出し、大衆によるヘスター・アッシャー像は着々と積み上げられていった。


一方、首席弁護人のデルヴィル氏はもう少し単刀直入ストレート性質たちだった。


ヘスターを、よく見てきた――と思い込んでいる大人たちを何人か選りすぐり、「『変わっているが』悪い娘ではない」「『あまり感情を表に出さないが』思慮深く聡明な少女だ」「『大人びているが』子供らしい無邪気で、悪戯な面もある」と、逆接の接続詞をもって彼女を擁護した。


つまりヘスターは、有罪だが酌量の余地ありという造詣キャラクターを着々と築かれつつあった――


若さ、未成熟さこそがデルヴィル氏最大の武器だったが、それにはヘスターの素質が災いした。


彼女は傍目には落ち着いていて、常軌を逸したほどの美人だった。超越性に向けられる同情は薄く、彼女を親しみやすい人間というよりは、余計に得も知れぬ見世物のように仕立て上げていた。


傍聴席のビーチェ・ヴァージルはその想定内の運びに、まるで魔女裁判のようだと思った。


検察側の反対尋問では、エンジェルス検事がここぞとばかりにある陳述に喰らい付いた。


それは「子供らしい無邪気で、悪戯な面」だった。




「ミス・エミリエ・アッシャー」


検事が指名したのは、よりによって最も不安定な淵にいるエミリエだった。そのことからしても、彼が証言から更なる混沌を齎し、審議を明白な結末へと引き誘おうという魂胆は明らかだった。


名前を呼ばれ、電流でも流されたかのようにビクリと身を竦めたエミリエは、怖々とした様子で証言台に上がった。ヘスターの居る位置からはエミリエの顔が良く見える。じぇれどエミリエは相変わらず、器用にヘスターだけを避けて視線を彷徨わせていた。


「あなたを、同性の家族の一員として、故人の次に被告人をよく知っていた人物として質問します。被告人ヘスター・アッシャーは、先程の証言通り、悪戯好きな性質でしたか?」


エミリエはすぐには答えなかった。むしろ恐ろしいものを見聞きしてしまったかのように、口蓋を強張らせていた。


「い――いえ」


エミリエはやっとのことで言葉を捻り出した。


「そのようなことは無かったように思いますが」


「ほう? しかし先程の担任のミス・ゴダートの証言では、ごく稀に水槽の水を煮立たせてしまったり、インク壺の中身をカピカピにしてしまったりしたそうではないですか。彼女は面談の時に、ご家族の方――エミリエさん、あなたを含めてですよ――に然るべき報告をなさったとのことでした。そのことを覚えてらっしゃらないのですか」


「い――いえ。そう言われればそのようなこ、ことがあったように思います」


「では、妹さんは、外では悪戯を相応にやるが、ご家庭内では一切そのような素振りもなかった――いや、無いように見えていた。そのような解釈でよろしいですかな」


弁護人席から「意義あり」の声が飛んだ。それは誘導尋問で、裁判の公正性に欠くものだとデルヴィル氏は主張した。


訴えは受理されたが、あくまで質問の仕方を弁えるように、という示唆に留まった。


エンジェルス検事のエミリエに対する喚問は、周到を極めた。まるで摩訶不思議なヘスター・アッシャー像を、白日の下――〈ミノス・ホール〉の黒い太陽の下にさらけ出すのに、エミリエ・アッシャーの証言こそが総てだとでも言わんばかりだった。有能な検事らしく細やかな質問をパズルのように積み上げ、ヘスターのモザイクを描き出して行った。うやむやだったエミリエも根負けして――紅茶のカップや火掻き棒の件をポツポツと語り始めた。聡明なエンジェルス検事の中で、それらが全て『火』――あるいは『熱』にまつわる事象だということに結びつくのは、時間の問題だった。


証人を含め、その場に居合わせるほとんどの人間には、好きな時の一時退廷が認められている。バージット・ゲーブル=テンペもその一人で、何かを察知し外に出た彼女が再び戻って来たときには、もう一人男が増えていて、事務官にそっと耳打ちをして紙片をその手に押し込んでいた。紙片がエンジェルス首席検事の手に渡ったときにはデルヴィル氏の舌鋒も尽き果て、聴衆たちも結末を薄々予見し始めていた。


「裁判長。もう一人、証人を証言台に上げることをお許しいただけるでしょうか」


「許可する」


「トリストラム・ダフォード医師――お願いします」



トリストラム・ダフォードは、エミリエ・アッシャーの次くらいに怪しげな挙動の男だった。その額には不健康な汗がぬらぬらと光り、ただ駆けつけてきたというよりは、やましいものを隠し、恐ろしいものから逃げ続けている様子を匂わせていた。


しかし今日の〈ミノス・ホール〉に限り、主役はヘスターであり、ダフォード医師はおかしな脇役としか映らなかった。


「ドクター・トリストラム・ダフォード。あなたは王都警察病院で、外科医として勤める傍ら、犯罪心理学の専門家でもある。その通りですね」


「エ、いや――」


咄嗟にそう口走ったダフォードだったが、廷内のどこからか突き付けられる視線を感じてか、慌てて訂正した。


「い、いえ。その通りです、まったく、ハイ」


検事の眼は訝し気に細められつつも、質問は粛々と続けられた。


「ではお聞きしますが、犯罪心理学において、『火』というものは如何なる場合に用いられるものなのですか」


「そ、それは――」


しどろもどろになりつつも、ダフォードは機械的な調子で字引通りの見解を口にした。


火は毒と並んで、非力な人間が扱える数少ない手段であり、人命のみならずありとあらゆる破壊衝動を満たすものである、と。そしてその背景には、概して計画性あるいは魅入られたかのような日常生活への発露が散見される、と。


「――判りました。では最後に、もう一つ。果たして火に魅入られる――火炎愛好家パイロマニアと呼ぶべき徴候は、内向的で、未成熟な人間の中にも見られるものなのでしょうか」


ダフォードはようやく調子を取り戻したのか、今度はスラスラと、内向的攻撃的といった犯罪者の性格に関係なく、火に対する執着は様々なケースで見られる、しかし特に火は扱いにくいことから、どちらかというと未成熟な精神構造においてより多く用いられるという旨を証言すると、周囲にはどよめきが広がった。


クリストファー判事がまたしても槌を打ち鳴らし、陪審員評議に移り、ひとまず一時閉廷とすると伝えると、証言台のダフォードは弛緩したかのようにグッタリと肩を降ろした。





そのズボンの股間がぽってりと濡れていたことは、台の陰になっていて、その場のほとんど誰一人として気が付かなかった――



――ほとんど誰一人。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る