ハイペリオン (5)



ヘリアにおいて、裁判には舞台ステージの技法がこよなく取り入れらている。


傍聴席は観客オーディエンスで、裁判長、検事、弁護人といった役職は装置セットだ――そして観客は劇が始まる前に席に着き、劇場は緞帳が開く前から存在し、開幕前にぼーっと突っ立っている役者キャストはいないのと同じように、被告人席や証人席も最初は空だ。頃合いを見て、鳴り物入りで登場するスタアの姿に、観客はどっと沸くのである。


裁判長の開廷宣言の後、最初に行われるは検察側、弁護側の両陣営の紹介、そして宣誓だった。掌を胸に押し当て、定型文を諳んじる。


「ヘリア国王の名の下に――」「正義の女神に誓い――」「正当且つ公平な裁判の進行を約束する――」


はたして、そのような文言に魂が宿っているかどうかは定かではないが、少なくとも関わる者すべての心を鎮め、来たる高揚に胸を弾ませさせるには不可欠なもので、国民は朝のオートミール同様、なんの疑念もなくすんなりと呑み入れていた。


それに続くは廷内全員による国歌斉唱で、謂わば歌劇オペラの序曲だ。


地方の小さな裁判所では無伴奏アカペラで行われることもままあったが、天下の〈ミノス・ホール〉に限ってそれはなかった。六十人強の弦楽奏者と三十人弱の管楽器奏者を擁する楽団オーケストラが常任していて、裁判のない日は王立劇場で有力者たちのミューズとして仕えている。彼らが押し込められているのは〈ピット〉と呼ばれる半地下で、楽器の発展に伴う近代化の折に、昇降機の改築を兼ねて増設された。


荘厳な金管楽器のファンファーレが響き、流麗且つ推進力のある旋律メロディが奏でられる。



そして民は謳う――建国の賛歌を、ヘリアの栄華を繁栄を。



『豊潤なヘリアの

 る事無き湿原に

 降りしは天のほのお

 智慧と秩序の太陽


 炉にほむらべよ

 武器を道具を生んで

 建ちしは黒の塔

 神の御名みなもと

 ヘリアの名を刻まん



 恵みの雨にせき

 慈悲の心に運河かわ

 正義の滝水は

 大海原へと出づる


 力は波の軍馬

 果ての大地へと馳せん

 嗚呼偉大なるヘリア

 波濤をべ潤せよ

 願わくば天まで』



…………




二種類の旋律が交互に来るだけの単純なものだったが、この詩には建国神話、発展の経緯、一貫した理想と、ヘリアの全てが濃縮されている。


例えば『涸る事無き湿原』は、ヘリアの国土が旧プルジア公国領を含め温暖で、一年を通じて小雨が降りやすいことを指している。『智慧と秩序の太陽』は、近隣諸国の中でも断トツに速い司法制度をいたことを意味し、優れた知性こそが繁栄の証、そして『太陽』こそがその旗印に相応しいという考えに結びついていた。


『炉』やら『武器』『道具』といった単語は、この国歌が制定された産業革命期の名残で『黒の塔』とは高い技術力を賛美した比喩で、鋼鉄の要塞だって築けるのだという誇示に他ならない。『恵み』や『慈悲』といった用語は、国教会の影響に依るものが大きく、現に宗教観の隔たりもプルジアとの戦争の要因だった。


そして繰り返される『水』にまつわる言葉――『堰』『運河』『滝水』『大海原』『波』あるいは『波濤』の根底には、海洋軍事と植民地政策への願いと正当性が込められている。


『水』と『炎』、『黒』と『太陽』、『天』と『大地』といった相反する単語の並列も特徴のひとつで、二極性をひっくるめて支配することこそが真の力であり、波濤を統べる上では不可欠だと説く。


その理念が功を奏したためかどうかは定かではないが、一日に昼と夜があるように、ヘリアは長い歴史の中で様々な経験を貪欲に取り込むことで、一大大国として不動の地位を築くに至ったのである。


だからヘリア人はしたたかで、『本音』と『建前』を上手に使い分け――司法を重んじ裁判に熱狂する一方で、〈火刑法廷〉のような秘密が存在する。舞台には、舞台裏バックステージもあって然るべきなのだ。


規律を遵守する『昼間の顔』で歌い終えた一同は、クリストファー判事の指示のもと着席する。


すると途端に、ワイワイガヤガヤとしたお喋りがホールを満たす。


好奇心旺盛な民衆は、いよいよ抑えることができなくなっていた。


――はやく、ヘスター・アッシャーを。


――はやく、慈悲の心に満ちた老婦人を無惨にも焼き殺した、稀代の恩知らずを。


そんな群集心理も知り尽くしたクリストファー判事は、思わせぶりに間を取り、再び槌を鳴らす。


そしてまず証人たちを招き入れ――次に厳かな声音でヘスター・アッシャーの名を呼ぶと、廷内のどよめきは一層はっきりとしたものになる。


というのも、看守二人に挟まれる形で姿を現したヘスター・アッシャーは紛うことなき美少女で、その美貌は傍聴席の最後尾からでも亜麻色の髪がぼんやりと光って見えるほどで――



天井の巨大な鉄製のシャンデリア――通称〈黒い太陽〉は、完璧にかすんでいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る