ハイペリオン (4)
開廷十五分前。
司法の聖地〈ミノス・ホール〉には、シルヴィエ・アッシャー放火殺人事件の主だった顔触れが揃いつつあった。ここに間もなく始まるであろう傍聴券の切符切りが加われば、傍聴席にもどっと人が
裁判長はクリストファー判事で、その死刑宣告率の高さから『首切り判事』として親しまれている人気者だ。それは
しかし検察、弁護人ともなるとそう平和的には行かなかった。
エンジェルス首席検事は白髪の百戦錬磨の検察官で、その綿密な捜査と強権的な手法はありとあらゆる被告人を絶望の淵へと追いやってきた。彼の弁論は緩急に乏しく、一貫したフルスロットル――最高速度を保つ。そしてその勢いは何時間にも渡り弱まることを知らず――
対するデルヴィル首席弁護人は受動的で、エンジェルスとは長らく多くの審議で争ってきた仲で、その勝率は余り芳しくはない。しかしそれは〈ミノス・ホール〉の司法最後の砦という性質上致し方ないものでもあり、彼自身の有能さに
――と、ここまでは大体いつものお定まりの
ヘリア最高裁では、最終判決は七人の〈公正なる陪審員〉の手に委ねられる。
彼らは国の安定と秩序を代表する、アトランダムに選ばれた『有力者』七人で、その誰もが一定の地位と知名度を王国にて築いている。つまりあまり接点のない
ゆえに、数多くある〈ミノス・ホール〉の厳戒警備体制の中でも、陪審員席裏の出入り口は最も責任がある職務の一つとされていた。一人だけでもその命を狙われるに足る人物が、七人もいるのだ。生半可なことでは勤まらない。
そして、リヴァーズ・シャロンとアリーナ・フェイスフルこそ、その栄誉に預かった正義の番犬たちだった。しかし彼らは二人ともこれが実績に対するご褒美ではなく、危険且つ批判の矢面に立たされやすい、割に合わない仕事だということを良く知っていた。
直立不動の姿勢で扉の前を守護しながら、アリーナ・フェイスフルはぼんやりと考えていた。
――ああ、バックスが居たら。ヘラヘラと、この任務のくだらなさを態度で示してくれるんだろうなあ。
しかしすぐに思い直した。
――いや、駄目だ。反体制的な
それほどまでに、此度の裁判には厄介な人種が揃っていた。
元司法省の役人、退役軍人、大手兵器製造会社の妻。
国教会の大教区長(アリーナの父も牧師だが、それとはまるでスケールが違う)にヘリア王立大の副学部長(論文盗作の疑惑があった)。
サマンサ・ジャストなる田舎の女学校の校長だけが無名の人物だったが、アリーナはどこかで見憶えがあった――
しかしそんな錚々たる顔ぶれの中でも、一際異彩を放ち、衆目を集めていたのがほかならぬ、レナード・ヘルその人だった。
まず、立ち振る舞いからして違う。
他の連中は皆頑ななまでに己の信念を貫いているか、後ろめたいところを単細胞な分厚い仮面一枚で包み隠しているのに対し、ヘルは柔和な物腰、
その小ぶりな頭蓋の中では巨益が巡っている他ないのに、まるで酸素のように法廷の雰囲気と同調している。彼は如何なる人物をも身分の上下なく対等に見ており――扉を支えてやったアリーナに対し、ねぎらいの言葉を投げかけたのも彼一人だった。
――不気味だ。
アリーナは思った。
――ヘルは、全てを監視下に置き、把握している。
扉越しに陪審員席を窺うと、ヘルは一番隅の席に腰を下ろし、ジャスト女史と談笑をしていた。
――至って普通。
――至って自然。
ヘリアの、この地獄の世界へ最も近しいと思わしき場所において、まるで自前のサロンルームで寛ぐかのようなその姿勢に、アリーナは「ヘルこそ最も地獄という場所に慣れ親しみ、安らぎを覚えている人物」だと、一抹の警戒心を抱いた。
そして時は過ぎ――傍聴席も隙間なく埋まり。
午前十時の鐘が鳴り止むのを待って、いよいよクリストファー判事は槌を打ち鳴らす。
「これより、『アシェロン、シルヴィエ・アッシャー放火殺人事件』に伴う、ヘスター・アッシャー被告の初公判を行う。〈ミノス・ホール〉、開廷!」
『開廷!』
ホール中に、数多の声が轟いた。
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