裏窓 (2)



リヴァーズ・シャロンはもともと、公都エドナの近衛兵の家系に生まれた。別に世襲制だったというわけではなく、単にその狭き門に挑む人間が一族に多くいたというだけのことである。


つまり彼は付き従い、護るものとしてのサラブレッドであり、犬の忠誠心、農耕馬の忍耐強さ、ヘビクイワシの凛とした姿勢を生まれながらにして兼ね備えていた。


近衛隊長だった父は先の大戦時に殉職した。


そして忠誠の対象を失った幼き少年は、以来新たな主君を探し邁進したのだった。


その意味ではシャロン少年は運が良かったと言えるかもしれない。


大戦から十年も経つと、ヘリア政府の中でも平等を掲げ、僅かにプルジア人をプルジア人枠として採用する機運が見えつつあった。そして彼は己の能力だけを武器に、その栄えある一期生としてヘリア国家保安警察の入団試験に特優で合格したのである。


キャリア官僚とは異なり、大きな出世は期待できなかった。しかし彼は文句の一つも言わなかった。ただひたすらに日々の任務をこなし(物騒なものや汚れ仕事も多々あった)、そうして獲得したのが王都ヘリアの一部長保安官としての地位だった。


プルジア人という出自が災いしたのかどうかは公にはされていないが、彼は部下や管轄にはあまり恵まれていなかった。プルジア難民の多くいるスラム街や、箸にも棒にも掛からない新人の育成など、厄介事を次々と押し付けられた。


五年前、プルジアの極右政党がクーデターを起こし大規模な内乱が発生した際も、彼は「最もヘリア寄りのプルジア人」として奔走した。おかげで、彼は同胞からも裏切り者として疎んじられる羽目になった。


しかし定年間近に警察学校から「筋金入りの問題児」として紹介されたデュラント・バックスとアリーナ・フェイスフル両保安官は、彼の長年の忍耐に対する暁光だった。


口数が多く反抗的なバックスはさておき、意外にもアリーナも当初の評判は良くなかった。


彼女は一言でいうと生真面目――暗黙の不正というものを一切見逃せない性質だった。保安官としての素質は超一流で、それが余計にコトをややこしくした。研修先の市警の不祥事を、すべて包み隠さず暴き出したのである。


人事(生粋のヘリア人で、プルジア人を見ると鼻にしわを寄せる癖があった)は溜息交じりにこう言った、


「コイツは余所じゃお手上げだね。臨機応変性に欠けるのは、あまりヘリア人らしくはないな――どうだろう親父さん。いっそアンタのとこで、アンタ好みに教育してみては」


そんな侮蔑的な物言いを、シャロンは無言で承諾した。


翌日、初めて二人を詰所に招き入れた時から、一目でシャロンは悟った。この二人に、チーム意識を押し付けるのは不可能で逆効果だと。


バックスは射撃訓練、逮捕術、護身術などの実技において極めて優秀、座学にも優れていたが規律を守るという点においては如何わしかった。ヘラヘラと皮肉な笑みを絶やさず、上官を逆なでさせる。一方、牧師の娘アリーナ・フェイスフルも、規律よりも先にモラルが立つという点で、扱い辛いことこの上なさそうだった。


どこからどう見ても正反対な二人。


しかしそんな水と油でも、シャロンにはチームを組ませる以外の選択肢はなかった。なにせ二月ほど前に新米保安官が揃って辞めてしまってからは、シャロン隊は隊とは名ばかりの一人切りだったのだから。


だからシャロンは、二人には何も押し付けず、どちらか一方をひいきすることもしなかった。協調するようにと説教を食らわせることも、バックスの不遜な態度やアリーナの度を越した厳格さにも苦言を呈さず、ただ自分のノウハウと、速やかな事件解決に向けた意識だけを徹底させた。


結果それが功を奏し、バックスとアリーナは凸凹ながらも――いや凸凹だからこそのピッタリと噛み合ったチームワークを発揮した。一年目の終わりに、二人が王都の新人部隊で最大の検挙率を上げ褒章された際、シャロンは胸をほっと撫で下ろしたと同時に、至極当然の成り行きだったと確信するに至った――


あくまで事務的に接し続けていた心算なのに、いつの間にか三人の間には奇妙な信頼関係が生まれていた。


だからこそバックスが出先のアシェロンの街で大怪我をし、再起は絶望的だという報せを聞いた時には大いに戸惑った。


あの感情を表に出さないアリーナの、取り乱しきった声音を初めて聴いた。〈凶兆〉バージット・ゲーブル=テンペを恨むと同時に、痛々しい姿と成り果てたバックスを直視できなかった。


グッと唇を噛む他になかったシャロンに対し、バックス――布団にくるまれた右脚の部分は不自然に平たく、左腕が生えているであろう袖口をダラリとぶら下げたバックスは、常日頃と変わりない磊落な口調で言った。


「何を悲痛なツラをしてやがるんだ、親父。俺はまだ死んでないぜ? 第一これは名誉の負傷だ――俺は身を挺して、善良な市民を一人救った。これは勲章で、五十年後に酒場で飲んだくれながら傷口を見せて、自慢げに語るべきモンだ――」


まったく――この男は。


シャロンはそんな男の軽口を聞き、久方ぶりに頬を綻ばせた。




「で、何を買ってきてくれたんだ?」


バックスが身を乗り出した。


「頼まれていたものよ」


と、アリーナ。


「だからその頼んでいたものが何か思い出せないから訊いているんだ」


「覚えていないなら頼まないで頂戴。本当細々こまごまと品数ばかり多くて、探し集めるのに大変だったんだから――まずタバコ」


アリーナは手早く品物をベッドの上に並べて行く。


「インスタントのコーヒーにキャラメルが一袋。ペーパーバックの小説に、病院の購買で取り扱ってくれない如何わしいタブロイド紙。忘れちゃいけないお酒が二本、アロマの大瓶にペパーミントのキャンデー――」


「アロマにミント?」


リヴァーズ・シャロンが眼を白黒させた。


「匂い隠しか? おまえ、いつから非喫煙者に対するエチケットをわきまえるようになった?」


「弁えちゃいませんよ」


バックスが口を開くより早く、アリーナが即答した。


「ただ単に巡回の看護婦長がおっかなくて、せめてもの言い訳に、と悪あがきしているだけです」


「本当に女性恐怖症だな、おまえは」


シャロンは笑った。


「まあバージット・ゲーブル=テンペのような人間を相手にしていたら、そうなるのも必然やもしれんが」


「一括りにしないでくださいな」


アリーナが抗議した。


「そうだ、一緒にしなさんな」


と、バックス。


「あんなのが世の女性全員だったとしたら、人類滅亡は待った無しだ」


すると、三人の口から温かい笑いが漏れた。


アリーナの両親は遠くにいて、バックスは天涯孤独、シャロンも独り身を貫いていたから一家団欒というものには縁遠い。しかし国家保安警察シャロン隊という仮初かりそめの舞台において、三人は唯一の心の拠り所であり、家族愛というものへのロールプレイだという風に悟っていた。


病室の西側には、縦長の窓がある。


病院の裏庭へと面しており、所謂いわゆる裏窓だ。


裏窓からは明るい初夏の陽の光が差し込み、部屋中を金色に染め上げていた。


日没の訪れを察知したシャロンが、そっと上着の襟を正す。


「そろそろ年寄りはおいとまするかな。わしは明日も早い」


「あら、それは私も同じですよ」


と、アリーナ。


しかしシャロンはそっと首を横に振って、


「おまえはまだここに来たばかりではないか。もう少しゆっくりとして、明日を迎えれば良い」




二人の返答を待たずしてシャロンは、その直立した背筋を保ったまま立ち去った。


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