火刑法廷 (2)
パッと灯りが点った。
そこは思いのほか狭く、窓一つない密閉された空間だった。仄かに伝わる振動と轟々と鳴るエンジン音が、そこが乗り物であるということを物語っている。
ヘリア王国の空を、時折巨大な鉄製の箱が横切ることがある。銀色の塵を箒星の尾のようにして進むそれは
火翔石というのは、ヘリア王国中部セントザヴィエの湖沼地帯を産地とする鉱石だ。長らく工業的にも美術的にも無用なものとして認識されていたが、十年ほど前、ふとしたきっかけから産業史を塗り替える神の物質であることが発見された。特殊な環境下においてのみ燃焼し、その際のエネルギー放出量は石炭の数百倍。鉄の塊を宙に飛ばし、従来の火薬を凌駕する破壊力を持っていた。
以来、兵器産業を中心に実用化が進められ、今や高価だが最先端の力の象徴として国の内外に広く知れ渡るまでになっていた。
火刑法廷はヘリアでもまだ珍しい、軍用ではない火翔石機関の乗り物だった。
被告人席をぐるりと取り囲むようにして裁判官席、陪審員席などが設けられ、法廷としての最低限の体裁を整えている。傍聴席は狭く片側に一列しかなく、ゲーブル=テンペとビーチェがいるのがそこだ。
運転席は、箱馬車の慣例に則って内部からは見えないところにある。被告人席だけが金属製で、その向こうにはレバーと高水圧用の太いホースがあった。
廷内には仮面で顔を隠した人物が五人(プライバシーのためというよりも、公安課の性質によるものが大きい)、テンペとビーチェを除けば唯一素顔の人間がいた。
その人物はいかにもな娼婦で、胸元の広く空いた薄手のドレスは酷く汚れていた。厚化粧の剥がれ落ちた顔は荒れ果てていて、恐怖とヒステリーで引き攣っている。両手両足と胴はそれぞれ、被告人席にしっかりと固定されていた。
一段高いところに座っている人物が、槌を鳴らす。
「これより、火刑法廷を開廷する」
短い宣誓の後、それぞれが所定の場所に着く。仮面の集団の一人だけは席に着かず、レバーとホースの脇に立った。
裁判長役の男が、被告人の氏名年齢や罪状などを読み上げる。
それを聞き、ビーチェはいかにもつまらなさそうな顔をした。
「内縁の夫を火だるまに。あまりエキサイティングじゃないわね」
「私もそう思う」
テンペは頷いた。
「こんなものだ。これに懲りて、観劇気分で乗り込むのは止めにすることだな」
審議はあまりスムーズに進んでいるとは言えなかった。
女は黙秘を決め込み、仮面の男たちの議題はもっぱら発火原因に終始、手口の精査と女の関与について堂々巡りの議論を続けていた。
やがてビーチェが大欠伸をし、見かねたバージット・ゲーブル=テンペがスッと手を上げる。
「これじゃらちが明かん。裁判長、良いかな――私が二、三質問する」
肩書こそその場の最高位だが、裁判長なる男の仮面の下は『匿名』《アノニマス》の公安職員だった。公安課長のゲーブル=テンペの頼みを無碍に断れるはずもなく、その申し出は速やかに受理された。
「回りくどいのは苦手なので、率直に訊かせてもらう。おまえは内縁の夫殺しの単独犯としてこの場にいるわけだが――果たしてその通りなのかな? いまいち証拠に乏しいというのも、第三者の介入があったからなのではないか」
女は何も答えなかった。その眼には計算の色が窺えた。しかし同時に、通常とは明らかに違う法廷の異様な雰囲気に戸惑いを隠し得ないというのも、また事実だった。
「おまえは明らかにカタギじゃない。だったらこの法廷の特異性についても、薄々勘付いているはずだ。何か決定的な事実を包み隠し、それを貫き通せば『疑わしきは罰せず』が原則の法治国家としては手出しできないということを知っている。もしその通りだとしたら、一つだけ忠告しておこう――希望を棄てろ」
ゲーブル=テンペはゆっくりと女に歩み寄り、その刺青や奇抜な髪形、鷹のような残忍な眼などを見せつけるように行ったり来たりした。
「つまり、ここではルールが違うんだ。ここでは事実が不鮮明であることそのものが裁きの対象となる。火に纏わる難事件の『炙り出し』を行う、といえば分かるか? ――まあいい」
テンペは言葉を区切り、次いで淡々と独自の捜査結果について述べ始めた。
女には被害者以外にも親しい男性がいて、むしろそちらが本命であることをテンペは掴んでいた。密売人の被害者よりずっと貧乏でちんけな悪党だったが、若かった。
「この男は被害者とは敵対関係にある組織の一員で、事件直前に付近で目撃情報がある。被害者のヤクの売り上げの帳尻が合わない。ヤクも一部行方不明。男も姿を晦まし、おまえはやけに安全な場所でぐったりと横たわっていた――簡単な事件だ。立証するのが面倒くさいだけで。スラム街の保安官は綿密な捜査には消極的で、おまえもその男もそのことをよォく知っていたように思える――だがおまえは運が悪い」
テンペは女の顎を持ち上げ、鋭くとがった犬歯を見せつけた。
「運が悪い。本当に。セントザヴィエ地方のダイトの街で、よりにもよって放火という手段を選んでしまったことは、本当に不幸の極みだ。おかげで物騒な街でのありふれた犯罪に、公安当局が乗り込んでくる羽目になってしまったのだから――すべてを詳らかにするなら今の内だ。どうする?」
女は固まっていた。果たしてそれが計算なのか、はたまた恐怖による不本意なものなのか。バージット・ゲーブル=テンペにそれを知る由はなかったし、興味もなかった。
「まあ良い。どちらにせよ大差はない――
玉座とは法廷の中央に位置する被告人席の別称で、そのどっしりとした構えが古い時代の為政者の調度品に似ていることに由来する。黒くツヤツヤとした金属製で、座る部分には滑りにくいよう加工が施されており、背後からは無数の管がツタのように伸びている。
テンペの合図で仮面の人物がレバーを引くと、玉座から低く不吉な音が上がる。
それからしばらくは機械の不気味な稼働音と、女の荒くなる呼吸だけが辺りを支配した。
緊張のせいだろうか。
女の額に汗がうっすらと浮かぶのを見て取ると、テンペはゆっくりと続けた。状況証拠と長年の捜査経験に基づく推測を、淡々と述べて行く。
女が口を開いたのは、それから三分ほどしてからだった。その頃になると、テンペの額にも汗が浮かび、喉元のボタンを外していた。玉座は徐々に赤熱した光を帯び始めており――そう、玉座は熱を発していた。背面の管はいずれもエンジンのラジエーターと直結している。女もようやくそれに気が付いた。
「やめてッ! 熱いッ! すぐに止めてッ!」
耳障りな金切り声を押し留めるかのように、テンペはそっと肩に手を置いた。
「落ち着きたまえ。何も変わりはせんよ――何も」
彼女はいつになく穏やかな笑みを浮かべて続けた。
「ああそうそう。言い忘れていたが、君の情夫だがね――つい先ほど発見されたよ。同じくダイトのおまえよりずっと若い売春婦を、まるで妾のように囲っていた。思っていたより良い暮らしをしていたみたいだが、はてその金はどこから来たのかな?」
「拘留はしたの?」
ビーチェ・ヴァ―ジルがのんびりと言った。
「一応、殺人容疑でしょ」
「もちろん。ただ任意だがね。事件の関与については全面的に否定している。怠慢なダイト市警は証拠不十分を理由に、間もなく釈放するのではないのかな。男の容疑に関しては、我々はノータッチだからねェ――ああそうそう」
バージット・ゲーブル=テンペは意地の悪い笑みを浮かべ、見る見るうちに蒼褪めて行く女に向かって飛び切りの情報を開示した。
「男の言い分は耳に入っている。『何のことですか、俺は知りませんよ。アイツはアタマのオカしい性病女で、自分がうっかりろくでなしの亭主を殺めてしまったのを、人の所為にしようとしているんだ』――」
「ウソよ! 全部ウソ!」
女の絶叫が辺りをつんざいた。
「全部言うからこの機械を止めてッ! 私はあの男に頼まれて単に――」
真実の悲鳴は決して最後まで語られることはなかった。テンペは火傷の疼く右手で、しかと女の口を塞いだ。同時に懐から不燃布の手ぬぐいを取り出すと、女の口に手早くまるで猿ぐつわのように咬ませた。
「何も変わりはせんと言っただろう? もうどうでも良いことなのだ――どうでも」
するとテンペはゆっくりとした足取りで、ビーチェのいる観客席もとい傍聴席へと戻って行った。
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