火刑法廷 (1)
人の噂も七十五日。
著名な実業家の死と、その犯人がまだ十六歳の少女という衝撃も、二ヶ月が経つころには議題に上ることも少なくなっていた。
しかしシルヴィエ・アッシャー放火殺人事件の初公判が行われる直前になって、ブームは再熱した。それはまるで治りかけた風邪がぶり返したような現象だった。
発端はある新聞の記事で、通常はこうした過去の出来事が一面を飾るようなことはないのだが、このタブロイドの編集長は事件のセンセーショナル性がまったく色褪せないものであることに気が付いた。
ヘスター・アッシャーは未成年で、女性で、残虐な事件の加害者――富裕層を一人この世から消し去った反逆の徒と目されていた。
そして何より、凄い美人だった。
アシェロンの街にいたときのヘスターも美人だったが、それはあくまで田舎の健康的な令嬢としてだった。しかしとある下賤なフリーのカメラマンが隠し撮りした護送中のポートレートでは頬が削げ、色つやの失ったヘスターの儚くも可憐な姿が収められており、まるで枯れかけの一輪のバラのつぼみのような魅力を湛えていた。
これはいける――すばらしい一面だ!
そう思った編集長の目論見は、まさに正鵠を射ていた。
新聞は飛ぶように売れた。男たちはその美貌に熱狂し、女たちもまた嫉妬とざまあみろという気持ちも露わに記事を読み耽った。
アナイス・ヴェンドラミンはホテルの朝食の席で、得意満面の笑みを浮かべてアイラ・ドレイクに言った。
「わたくしの言った通りでしょう? 『美の特権は偉大である。それを意識しない人達の間にも働きかける』って。男も女も美人が好きで、また嫌いなのよ」
もちろん、記事を純粋な好奇の目で見られない人間もいた。
アッシャー家の関係者を除けば、バージット・ゲーブル=テンペはその数少ない一人だった。
彼女は事態を秘密裏に収束させることを望んでいたが、バカ者が勝手に話を蒸し返してしまうと憤っていた。
「まったく、ブン屋共の腐肉を見つけ出す嗅覚には畏れ入る」
彼女はそう吐き捨てながら、新聞を隣席に放った。
「挙句、天下国家の方針と相反するものばかり。どこから情報を仕入れてくるものやら」
テンペの右手は、未だ火傷の痕が窺えた。その挙動をじっと見つめながら、並んで座る女が言う。
「まあ良いんではなくて? 面白ければ」
テンペは陰険な一瞥を与えて、「まさかとは思うが、おまえじゃないだろうな。情報を横流しして一人ほくそ笑んでるのは」
「まさか」
「さァてどうだか」
女は何も答えず、勝ち誇った微笑を浮かべるに留まった。
真っ白い女だった。
何から何まで白かった。
陶磁のような肌、色素の薄いセミロングの髪、凝ったデザインの白の一張羅からショートパンツの下に覗く子供のような膝小僧に至るまで、すべてが白い光を纏っていた。二人が居る薄暗い場所において、黒髪にグレーの制服のテンペが闇に融け込む影だとしたら、彼女は闇を穿つ光だ。
どう見てもヘスターと同年代としか思えないが、テンペが多少の分別を以って臨む相手であり、その声も不相応に嗄れていた。
名前はビーチェ・ヴァ―ジル。
「それはさておき、だ」
ゲーブル=テンペがマッチを擦りながら言った。
「いい加減、この〈車〉をタクシー代わりに使うのを止めたらどうだ。王都へ出るのに一等車の鉄道旅行が出来るほどには稼いでいるだろうに」
「列車はつまらなくてよ。娯楽がないんだもの」
「本でも何でも持ち込めば良いだろう」
「乗り物の中で本を読むと、気分が悪くなってしまうんだもの」
ゲーブル=テンペは呆れ顔で、
「胸が悪くなるのはむしろここの方だと思うがね、物好きな。第一、ここほど大真面目な施設はないぞ――まあいい。じゃあご希望に応えて、さっさと
バージット・ゲーブル=テンペは立ち上がると、暗がりに向かって手を打ち鳴らした。
「火刑法廷、開廷!」
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