アッシャー家の崩壊 (2)

地方の名家らしく、アッシャー家の週末には様々な人が訪れる。


その日の来客は二組で、一つは王都から視察にやってきた国家保安警察の三人組。もう一つはフェリックスの招待で、職場の療養所に出張でやってきた軍医と薬剤師だった。


フェリックスの申し出が急だったことにエミリエは眉をひそめたが、その理由はすぐに分かった。客は二人とも美人で、フェリックスは美人に滅法弱かったのだ。しかし軍医の方が、マークのいるセントザヴィエ基地の上官であることが判明すると、シルヴィエもエミリエも大いに歓迎した。


よく手入れされた庭のテラスで、シルヴィエ・アッシャーが上品にティーカップを置きながら言った。


「そうですか、マークは元気でしっかりとやっているのですね。それを聞いて安心しました。あの子ったら、偶の休みも帰ってこないどころか、中々連絡もよこしませんのよ」


アイラ・ドレイク陸軍大尉は軍人的な物腰と、医者らしい厳密な言葉選びにこだわる女性で、日に焼けた端正な顔立ちを難しげに曇らせていた。背が高く、渦を巻く見事な深紅の髪が、どことなく熱した鉄を思わせる。


「マーク・アッシャー准尉は、同じ基地内の別の部隊に配属されているため、けっしてよく知る間柄ではありません。しかし直属の上官アレクトラ・フューリ中尉によれば能力・態度共に極めて良好、配属早々慣れない環境での任務も順調にこなし、隊になくてはならない逸材、とのことです」


「それに関してはわたくしも保証しますわ、お母さま」


そう言葉を継いだのは薬剤師のアナイス・ヴェンドラミンで、彼女はあらゆる点においてアイラ・ドレイク医師とは対照的だった。全身を蝕むリウマチのため杖を手放せず、紛れもない美貌は青白く、儚げだ。優雅に結った金のシニョンと、喪服のような黒レースのコントラストが、霊的な印象を一層強めていた。


「アイラはこの通りバカ正直のクソ真面目で、セントザヴィエには時々薬を卸しに行くのですが、フューリ中尉もお世辞なんて言える性分じゃありませんからね。わたくし自身も以前一度マーク・アッシャー准尉にお会いしましたが、とても魅力的な好青年でしたわ」


「アナイス、あまりベラベラとしゃべるものでは――」


「ああそうそう」


アナイスは軽く聞き流した。


「マークさんといえば、内ポケットに大切に入れている家族写真を見せてくださいましてね、特に妹さんのことを気に掛けていらっしゃるようでした。それはそれは素敵なお嬢さんで――でも本物の方が、もっと可愛らしいですわね?」


そう言うと、アナイスは世話焼きな視線をテーブルの端に送ったが、ヘスターの眼は坐ったままで、心ここに在らずといった印象だった。


業を煮やしたのは長姉のエミリエだった。彼女は妹をキッと睨み、手の甲で軽く小突いた。


「なにかおっしゃいなさい。失礼ですよ」


「いえ、いいのですよ」


薬剤師は鷹揚に手を振った。


「古い詩人も言いましたでしょう、『美の特権は偉大である。それを意識しない人達の間にも働きかける』と。そんなつれないところもヘスターちゃんの魅力なのですわ」


「おやおやその理論だと、お二人は随分とそのパワーを行使されているに違いありませんね」


黒一点のフェリックスが言った。彼は中々のハンサムなのだが、少々道化に走りすぎる嫌いがあった。


「もちろん、母さんや姉さんもですが」


「バカなことを言うのはおやめなさい、フェリックス」


とエミリエ。


アナイスは「お上手ですね」と愛想笑いで返したが、こうしたやりとりには疎いアイラはいささか置いてけぼりのていだった。


シルヴィエは老眼鏡を拭き拭き言った。


「ヘスターはご覧の通り、ほんの少しばかり難しい年頃でしてね。もっとも炭鉱の小さな町の孤児院から引き取った時から、中々心を開いてくれないではあったのですけれど――親の贔屓目でしょうが、とても賢く感受性豊かな娘なのです。けれど時々理解に苦しむイタズラをするのがどうも――」


「イタズラ?」


アナイスが身を乗り出した。


「と言うと、教室の鳩時計にカエルを仕込んだり、先生のインクを消えるインクにすり替えたりとか」


フェリックスがちょっと驚いた顔をした。


「アナイスさん、意外とイタズラっ子だったんですね」


「わたくしが?」


アナイスは目を丸くしたが、すぐに首を大きく横に振って、


「いえいえ違いますよ。わたくしは優等生でしたもの。『つまらないヤツ』と、面と向かって温かい悪口の応酬を受けるほどにはね。わたくしやアイラの旧い仲間にいるんですよ、普段はどうにも腰が重くて梃子でも動かないのに、悪知恵に関しては天才的な閃きを発揮するのが。怠け者のくせ、何をやらせても誰よりも器用にこなす、とんでもなく始末に負えないのが、ね」


「そういう他愛のないものだったら良かったんですけれどね」


シルヴィエの顔がふと曇った。


「ちょっと人が目を離している隙に、カップの中身をロウソクの灯か何かで蒸発させてしまう、火掻き棒の柄をカンカンに熱しておく。先程もう一組お客様が見えていたのですが、何をどうやったのか、自分の手には熱くない仕掛けをして、握手を求めて来られたお客さまに火傷をさせたんですよ」


「ヘェ、それは見たかったな」


と、フェリックス。


「あなたはのんきなこと言いますけどね」


エミリエが非難がましく言った。


「私もお母さまも生きた心地がしませんでしたよ。国家保安警察の、よりにもよってリーダー格の方だったんですから。居丈高で、あまり感じの良い方でなかったのは事実でしたけれど」


ここに来て、アイラ・ドレイクの片眼鏡モノクルがキラリと光った。


「ほう? それはどんなトリックを使ったのか、気になりますね」


エミリエはフンと鼻を鳴らした。


「私たちも散々問い詰めたんですけれどね。まるで貝のように、絶対に口を開こうとしないんですよ、この娘は。しょっ引かれてしまうのではないかと、こっちは気が気でなかったというのに」


「ご心情、お察ししますわ」


そうアナイスが気配りを見せると、その後の会話はもっぱら共通の友人知人の話題で盛り上がり、春のうららかな午後にふさわしい穏やかな時間が流れた。


しかし第六感に優れるアナイス・ヴェンドラミンは、どこかこの屋敷に漂う不穏な空気をいち早く察していたし、友人のアイラが探求心も顕な視線をヘスターに浴びせ掛けているのも気になった。


アイラ・ドレイクは、直感や人間心理といった非物質的な事柄に関しては極めて鈍い。しかし彼女の科学的嗅覚と分析眼は紛れもなく本物で、その彼女の好奇心をくすぐるという時点で、ヘスター・アッシャーには胸騒ぎの原因があった。




そんな中、ヘスターは変わらず虚ろに世界を見続けていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る