アッシャー家の崩壊 (1)

アシェロンの街でアッシャー家といえば、知らぬ者のいない名家だった。


家長はシルヴィエ・アッシャー。六十歳の溌剌とした未亡人だったが、彼女がマーシャル・アッシャーに嫁いだ頃には、亡夫の楽観的な性格と無謀な投機癖の所為で旧家の屋台骨は傾き切っており、田舎地主として代々蓄えた遺産で細々と食い繋いでいる有り様だった。


当初は妻として一人娘の母親として日々の雑事に追われるシルヴィエであったが、ほろ酔い気分のマーシャルが荷馬車の下敷きになって呆気なく逝ってしまったのをきっかけに、彼女の中の秘めたる才能と情熱が目覚めた。今まで守りの姿勢を貫いていたシルヴィエは、独立した女性として戦うことを余儀なくされ、結果的に水を得た魚のように活き活きとし始めた。彼女には、亡夫になかった投機家としての天性の勘と才能があった。触れる物すべてを金に変える伝説上の王同様、彼女の行く道すべてには追い風が吹き、富で縁どられていた。


しかし順風満帆な事業面とは裏腹に、家庭運には驚くほど見放されていた。


まだ乳母車だった一人娘レアを残してアッシャーが死んでから五年。今度はかわいい盛りのレアが流行り病に罹り、父親の後を追ったのだ。


それからのシルヴィエといえば、ポッカリと空いた心の洞を埋め合わせるために、以前にも増して精力的に事業に取り組むようになった。その姿はまさに病膏肓というほどで、いつしか『S・アッシャー財団』の名はヘリア王国中に響き渡るまでになっていった。


そんなシルヴィエが五十歳の誕生日を迎えた頃のことである。


それまでも日曜礼拝には必ず出席し、恵まれない子供たちへの寄付を沢山していたシルヴィエだったが、いよいよ母としての未練を断ち切ろうと、生涯で一番高い買い物をした。何人かの戦災孤児を立て続けに引き取り、最高級の教育と一生涯の金銭的援助を約束したのである。いくつかの口の悪い新聞社は、軍需産業でも財を成したシルヴィエの独善的な贖罪だと書き立てた。しかし世論は概ね、彼女の行為を好意的に受け止めた。それほどまでに、ヘリア王国には先の戦争での被害者で溢れ返っていたのである。


以来十年間、物心ついて親を失った繊細な年齢の子ども達を選りすぐっていったシルヴィエだったが、立派に母としての責務を果たしていたといえよう。


男の子が二人に女の子が二人。


マーク・アッシャーは陸軍士官学校を優等で卒業し、今はセントザヴィエ基地にて従軍している。医学の道を志したフェリックスは、街外れの〈マルグレイヴ・サナトリウム〉の非常勤研修医として実家から通っている。女性に家督を譲るのが以前ほど不思議でなくなってきた今、シルヴィエの後継者と周囲から目されているのが長女のエミリエで、血の繋がりは無いはずなのに、その意志の強そうな首筋から顎にかけてのラインといい、知的で深みのある声音といい、極めて実務的な思考回路まで継母と瓜二つの才女だった。財団での仕事を手伝う傍ら、彼女も生来のカリスマ性を発揮しつつあり、今や母親の欠くべからず右腕として一目も二目も置かれていた。


末っ子のヘスターだけは、シルヴィエの偉業のきず――あるいは若干の頭痛の種だったかもしれない。


ヘスター・アッシャーは十六歳。金髪碧眼、健康そうなバラ色の頬を持つ割には、その焦点はいつも虚ろで、宙をさまよっていた。夢想的だったが、頭はよく切れた。基本無口だが、時々突拍子もないタイミングで大真面目な顔をして冗談を飛ばしたりするので、賢いが可愛げがない、あるいは扱いにくい娘というのが、周りの一致した評価だった。


未だ閉鎖的な地域社会の感があるアシェロンにおいて、ヘスターの存在は常に頭一つ分ほど浮いていた。




そんなヘスターが、後に国を――いや歴史を動かす主軸になるとは、誰が想像しただろう。


ターニングポイントたる運命の日も、ある瞬間までは実に穏やかで凪いだものだった。

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