25】立ち止まり、からの加速!-2

 ――放課後。


「……どうしようか」


 僕は正門を出たところで腕を組んでいた。

 ふと、「ああ、人ってこんなときやっぱり腕組むんだな」と的外れなことをぼんやりと考えながら、僕はこれからどうするかということに困っていた。


 放課後のホームルームが終わり、理塚くんに別れを告げて学校を出たのはいいけれど、いまだに違和感を抱えて行動目標を見失っている僕に、行き先が思い浮かぶわけがなかった。


 この三日間のように沢瑠璃さんを探すこともできる。けれど、沢瑠璃さんを探して見つけて声をかけたとしても、拒絶されるのは火を見るより、いや炎、いやマグマを見るより明らかだった。いや、マグマは火と比べたら出会える機会が少ないから、やはり火を見るよりも明らか、の表現が良かった。


 つまり、沢瑠璃さんを探すことで解決する問題じゃない。


 でも、だからと言って、じゃあどうしたらいい?


 やがて、歩き始めた。

 僕はふらふらと歩く。


 ……あれから三週間。沢瑠璃さんと出会うことができて、いろいろあったのに、その結果が今のこれなのか。

 結果。結果。……結果?


 心の中で呟いた言葉に違和感を持つ、持ったタイミングで、


「あれ? 隣のクラスのやつじゃん」


 後ろからそう声をかけてきたのは。


「……あ、沢瑠璃さんのクラスの人」


 沢瑠璃さんのクラスを覗きに行くと、必ず応対してくれたあの女子だった。たしか学校では禁止のはずの小ぶりなナップザックをだらんと背負い、口でパックの野菜ジュースをストローでふりふりと弄んでいる。


「どうも、その節は」


 なんと返せば分からなかったので、非常に曖昧な返事をすると、その女子はぷっと吹き笑った。それでもパックジュースをロックし続けているのは見事だった。


「その節は!? あんた何時代から来た人?」


「……とりあえず、現代っ子です」


「現代っ子って、それもないし」


 僕は頭を搔く。やっぱり、苦手かも。


「なに、今からまた沢瑠璃、手伝いに行くの?」


「え……」


 これもまたストレートに飛び込んできた。しかも、今の僕にとってその言葉はボールでなく矢尻のついた矢だった。とっさに声の出なかった僕に、「あん?」とその女子が眉をひそめる。


「……ああ、沢瑠璃、休みだもんね。でもどしたのよ、暗い顔して」


 そういう機微に気づく子だったのか、人は見かけによらない。もうこれ以上かわせそうな会話も思いつかなかったので、「ではまたごきげんよう」と自分でもいやさすがにそれはないよなと思う別れの挨拶を残して、この場を離れようとした。

 その時だった。

 肩をくい、と引かれ、引かれるままに振り向くと、そこにはこちらがおもわず戸惑ってしまうほど真面目な表情が僕を見つめていた。



「……そんな感じで。どうしたらいいのか分からないんだ」


 きぃこ、きぃこ、と揺れるたびに鳴くブランコ。

 その音に導かれたのか、隣で僕と同じようにブランコを小さくこぐ隣のクラス子の思いがけない真面目な表情にすがってしまったのか、僕も分からない。けれど、誘われるままに立ち寄った児童公園でこうしてブランコに座り、「あたし、暗い顔キライなんよね」となぜか軽くディスられ、「別に力になる気ないけどさ、何があったか言ってみなよ」と距離をまるで詰めてくる気のない聞き方をされると、なぜだろう、張り詰めていた気持ちが逆にふっと緩んで、僕はこれまでに起こった沢瑠璃さんとの一部始終を話していた。


 隣のクラスの子は、何も言わない。ブランコをただ小さくこいでいる。何かを考えてるのだろうか。何も考えてないのだろうか。

 全部を話した手前、少し焦れてしまって、


「……君も、ウソだと思う?」


 そう尋ねてみた。

 すると、その女子はしれっとした顔で頷いた。


「ウソじゃない?」


 おもわずブランコからずるずるとすべり落ちてしまった。たしかに質問はしたけれど、まさかそんなどストレートな返事が突っ返されてこようとは……


「だよねぇ……君もそう思うんだねぇ……」


 かろうじて引っかかった肘で体を支えながら、僕はそれでも苦笑いを浮かべる。


「だってその猫、死んでんでしょ? んじゃ、ウソでしょ」


 この子は、ど真ん中に構えたキャッチャーミットへなかなかズバズバとストレートを投げ込んでくる。……けれどまあ、遠回しにされるよりもいいか。答えは結局分からないままだけれど、余計に分からなくなったわけではないのだから良しとするか。


 そんなことを心の中で呟きながら身体を起こそうとした僕。

 ――その次に浴びせられた言葉に、おもわず顔をあげた。


「でも、それってあんたになんの関係があんの?」


「――え?」


 上げた顔の先に、女子の見下ろしてくる視線があった。彼女はしれっとした表情のままで、言葉を続けた。


「あたしとかあんたの友達とかはウソだと思うよ。でも、それってあんたになんの関係があんの?」


「関係……」


「え、だって、あんたは沢瑠璃が猫探してんのがウソだって思えてないんでしょ? だから今でもそうやって悩んでんでしょ? じゃあもう、それがホントにウソだってもやること決まってなくない?」


「やること……」


 そう呟いた次の瞬間。

「あ!」

 僕は弾けるように立ち上がっていた。


「そうだ、そうだ!」


 それは、滅茶苦茶にこんがらがっていたはずの糸が一ヶ所を引っ張った途端にするりと解けて一本の糸へ戻ったような、快感にも似た解放感だった。この三日間、頭の中でどろどろと粘ついていた違和感が、洗剤のCMでスパッと洗い流される汚れのように消え去っていた。


 そうだ、実にシンプルで明確で、しかもその答えは初めから一つしかないじゃないか。僕のするべきこと、沢瑠璃さんにできることは、沢瑠璃さんを探すことなんかじゃない、おでん探しをやめさせることなんかでもない。僕がするべきことはただ一つ、たった一つ。


 僕はもう嬉しすぎて、そして目の前にいる女子に対して何か少しでも恩返しがしたくて、急いで女子の背後に回りこんで、そして、


「うわわわっ!? な、なにすんのっ!?」


「すいません、これくらいしかお礼が見つかりません!」


 すごい勢いでブランコを押し始めた。そう、今の僕にできることはそれくらいのものだから、その行為に全力を尽くした。


「う、うわ、やめてマジやめて!」


「すみません、ホントにこれくらいしかお礼が見つかりません!」


「いらない、こんなのいらないからマジやめて!」


 僕は僕が満足いくまでブランコを押しまくると、座板の上でふらふらになっている彼女の前に立ち、深々と頭を下げた。


「ありがとう! 君のおかげでやっと吹っ切れました!」


「あ、ああそう、そりゃ良かったわね……」


 僕は頭をあげると同時にブランコの柵のそばに置いていた自分の鞄を引っつかんだ。もう迷いはない、迷っている時間はない。


 僕は走り出そうとして、そう言えば一番聞いておかなければいけないことを思いついた。踏み出した一歩を抑えつけて振り返る。


「ねえ、君の名前は?」

「わ、私? 三間坂」

「ありがとう三間坂さん!」


 そして僕は、今度こそ走り出した。




 そうだ。そうだ。そうだ。

 僕はとにかく走り、走って走って走り、そしてあるものの前にたどり着くと、乱れに乱れた息を充分に整える間も自分に与えず、


「よし。行く。行くぞ。僕は行ける、絶対行ける、行けなくても行く、行けるぞ」


 自分に言い聞かせた。強く、強く言い聞かせた。これまでは理塚くんに教えてもらった古賀征一郎先生の言葉に頼ってきたけれど、今回だけは先生の言葉でなく、自分の言葉を強く信じる。信じなければいけない。でなければ、やっと見つけることができた僕にしかできないことを実行することができない。

 僕にしかできないこと、それは。


 おでんを探すこと。


 そう、それだ。それは他の人もそして沢瑠璃さんでもできない。おでんを探すことができるのは、おでんが見えるこの僕にしかできないことだ。僕が沢瑠璃さんの言うことをウソだと思えなかったのは、理塚くんにも沢瑠璃さんにも見えていなかったとしても、僕にはおでんが見えていたからだったんだ。


 沢瑠璃さんは自分が見つけられることも、おでん探しをやめさせられることも望んでいない。沢瑠璃さんが望んでいる唯一のことは、おでんを見つけることだ。


 おでんは死んでる。そのおでんを見つけることができるのか、捕まえることができるのか、そして仮にできたとして沢瑠璃さんに伝えられるのかは、僕だけの問題じゃない。けれどおでんを探す行為だけは僕だけの問題だ。高所恐怖症に立ち向かえるのかという僕だけの問題だ。この三週間以上してきたことに、結果はまだ出ていない。まだ何も終わっちゃいない。


 今の沢瑠璃さんは、独りぼっちに戻った。僕が独りぼっちに戻してしまった。その過ちを取り戻せるか分からない……いや違う、取り戻す。僕は過ちを取り戻してみせる!


 僕は、目前にそびえる高層マンションを屹然として見あげる。


「よし。よし。よし、行くぞ!」


 気合いを入れて、僕は足を前に踏み出した。

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