23】彼女のいない日 -2
「沢瑠璃、休んでるのか!?」
理塚くんが、目を大きくして驚いた。
僕はそれに対して何も言えず、ただ小さく頷いた。
「いつからだ?」
それにもうまく口が動かず、指を三本立てた。
「……そうか」
そうとだけ呟いて、理塚くんも押し黙ってしまう。僕が立てた三本の指を理塚くんは三ヶ月と勘違いしてやしないか心配になったあと、さすがにそれはないなと思い直して、僕は理塚くんと同じように体育館の壁へももたれかかった。
こういう風に理塚くんを体育館裏へ呼び出したのは何日前のことだったろうか。前回も理塚くんへの相談でここへ立ち寄ったのだけれど、色々あったせいかいまいち思い出せない。ただ前とは違って理塚くんに無理を言って部活を休んでもらい(強くも弱くもないサッカー部でも簡単には休めないらしい)、放課後にこうして付き合ってもらっている。午後の授業がまだある昼休みで話すには重すぎる内容だったからだ。
練習試合でもやってるのか、壁越しにバスケ部の歓声が上がってすぐに消えた。陣地替えにでも入ったのだろうか。
そんなタイミングを図って、僕は五日前の沢瑠璃さんのお母さんとの話、そして四日前の沢瑠璃さんとの話を理塚くんへ語った。
話がややこしくならないよう、僕にはおでんが見えることだけは省いた。内容だけを聞くと話半分でも聞けないものだ、と話してる僕自身がそう思うのだから、その点はまた別で話そう。
話してる相手は理塚くんだ。僕が沢瑠璃さんのお母さんをあのドラッグストアで追いかけるきっかけを作った理塚くんだ。だから、おでんがもう死んでいたということに理塚くんは目を見開いたけれど、それ以外は驚くことも疑うこともなく「そうか」とさっき呟いた台詞をもう一度呟いただけだった。
「やっぱり、死んでたのか。おでん」
そこから、僕たちはどのくらいの時間か分からないくらいに黙っていた。理塚君を呼んでおきながら、僕は沢瑠璃さんのことについての結論が用意できていなかった。……いや、それどころじゃない。結論の手前の相談内容すら頭に浮かんでいなかった。けれど、何か話をしなければ。
僕はなにも思いつかないままとにかく口を開こうとした、けれどそれより一瞬早いタイミングだった、理塚くんが「悪い」、という言葉をぽつりと呟いたのは。
どういう意味だろうか。その言葉の意図がつかめなくて何も言えずに理塚くんを見つめると、理塚くんは少し言い淀んだあと、語りだした。それは、僕が沢瑠璃のことに気づく以前の彼が起こそうとしていたことだった。つまり、理塚くんが僕を通して沢瑠璃さんの高校生になってからの変調を止めようとしていたことを。
それらを語って、理塚くんは僕に向き合うと頭を下げてきた。
「……悪い。オレはお前を利用してたようなもんだ。今考えりゃ、自分で動くべきだった。だったら、お前らの仲が悪くなることもなかったのに」
僕は苦笑いを軽く浮かべて、頭を下げ続ける理塚くんに手を差し伸べる。
「理塚くん。ほら、握手」
「あ……?」
顔をあげる理塚くんに向けて、僕は苦笑いから『苦』の感情を省いてにっこりと笑った。
「ありがとうね。理塚くんが気づかせてくれなかったら、たぶん僕は隣のクラスに沢瑠璃さんがいることも気づかなかった。そのまま卒業してたよ」
「織野……」
「たしかに今はアドレス変えられてるけど、僕が沢瑠璃さんと話せるきっかけを作ってくれたのは理塚くんだよ。謝られることなんて、ひとっつもないから」
「……そっか」
暗い表情だった理塚くんが、小さく笑う。
「そう言ってもらえたら助かる」
「なにをおっしゃる」
そして、理塚くんは差し出した僕の手を握り返してきた。
ケンカでもなく僕が許すようなことでもないから、これは仲直りの握手じゃない。友情を確かめあう握手なんだ、と考えるのは、ちょっとクサいセリフかも。
――とか考えていると、ふと気づく。
僕の手を握る理塚くんの手が強ばっている。いったいどうした? と理塚くんの顔を窺うと、その表情もまた強ばっている。なんだなんだ、握手が気に食わなかったか? と勘ぐっていると、理塚くんがその原因になることを呟いた。
「……メアド、変えられた?」
「……え? あ、うん、変えら……あ」
さっき説明したことをなんでまた聞くのだろう、と思ってから、いやそう言えばそれ言ってなかった、とすぐに気がついた。四日前と五日前の話はしたのに、今日の話をすることを忘れていた。
だから改めて沢瑠璃さんに連絡する手段がなくなったことを伝えると、理塚くんは「おま、それ……」とちょっと絶句気味に口を動かしたあと、「あー」と言いながら軽く空を見上げた。
「お前そんな大事なことをなんで言わない、とかは今は置いとくけど」
「いま全部言ったから置くどころか抱きかかえたくらいだよね」
「頼むからやめろ気が散るっ」
言った僕自身が余計なことを言ったと気づいたのでそれ以上何も言わないでいると、理塚くんは額に手の平をしばらく押し付け、そして視線だけを僕へ向けてきた。
「……どうすりゃいいんだろな」
「……」
たぶん色々考えた末に漏らしただろう理塚くんの呟きに、でも僕はそれに何も返せない。その問いは、僕が午後の授業内容をすべてフイにしてまで考えたあげく答えを出せなかったものだからだ。先生に頭をはたかれまでしたというのに、何も思いつけなかった。
沢瑠璃さんに連絡の取りようがない。他のクラスだから沢瑠璃さんの住所を担任の先生に聞いても教えてくれないだろうし、仮に教えてくれたとして沢瑠璃さんの家へ行ったとしても、おそらく沢瑠璃さんは会ってくれないだろう。――どころか、たぶん関係がより悪化するだけだろう。
だとしたら。
何をするべきだろう。沢瑠璃さんに何ができるのだろう。
悩んでいると、理塚くんがため息をつき、とても苦々しい笑みを浮かべた。そして、
「……やめさせるしかねぇよな」
と、言った。
ぼくはその言葉の意味が一瞬分からず、「え?」と聞き返してしまった。やめさせる? なにを?
きょとんとしている僕を見て、理塚くんもまたきょとんとした。
「やめさせる? って、なにを?」
「何を、ってお前」
その言葉には、なんでお前が気づかないの、という雰囲気がありありと浮かんでいて、そして理塚くんが続けた言葉はその雰囲気そのものだった。
「分かるだろ。猫探しをだよ」
「おでん探しを?」
ああ、と理塚くんが頷いた。
「……飼ってた猫が死んだってのも沢瑠璃には辛いことだと思うけど。その猫を今も探してるなんて、そんな悲しいウソを続けさせるわけにもいかねぇだろ。やめさせてやんなきゃ、沢瑠璃自身にも辛い思いさせるだけだ」
「……」
「……? なんだ? オレ、ヘンなこと言っちゃったか?」
「え? う、ううん」
僕は顔を横に振って理塚くんの言うことを否定した。……否定したけれど、それは曖昧な返事だった。
曖昧にした理由、それは、なんだかよく分からない感じ……違和感、と言うべきだろうか? とにかくそんなものだった。理塚くんの今言ったこと、その中に僕は違和感を見つけた。見つけたはずなのに、その正体がなんなのか、何に対して違和感を見つけたのか、僕自身がなんだかよく分からなかった。だから、僕は顔を横に振ったのだった。なんだろう。今のはなんなのだろう?
そんな戸惑いみたいなものが僕の顔にも出ていたのだろう、理塚くんは「そっか」と釈然としなさそうな声をあげ、けれどそれ以上深堀りはしてこずに体育館の壁からもたれさせていた背中を離した。
「織野お前、沢瑠璃探すだろ? オレも手伝うよ。部活は数日くらいなら無理言って休むし。あん時に見た沢瑠璃の地図の広さじゃ、数日は少し短いかもしんねぇけど。……けど、こりゃかなり苦労するぞ。なあ織野、お前、沢瑠璃が持ってた地図の丸の位置……なんか、憶えてねぇよなぁ」
「うーん……だってあれ、数だけで言っても五十は超えてたと思うし」
「だよなぁ。高い所、片っぱしからあたるしかねぇか」「そうだね。僕たち、別々に動いたほうがいいよね」
「のほうがいいだろな。けどお前、高い所大丈夫か?」
僕は曖昧な笑みを浮かべて、「たぶん大丈夫」とだけ答える。克服なんかできていないけれど、だからと言って二人一組で行動している場合でもないことは明白すぎる。
「スマホの地図アプリに頼るしかねぇか。んじゃ、オレはこの学校を境界に東に向かうから、織野は西方面頼む。見つけたりなんかあったら携帯に連絡くれ」
「分かった。気をつけてね、もし理塚くんから見て日の出が東から上ることがあったら、それは風向きが変わったからだから」
「日の出!? 夜通し探すのか!? いやそんな時間はさすがに沢瑠璃も帰ってるよ! いやその前にその忠告どこで仕入れたよ、どういう時に役立つ!」
「ある女海賊が言ってたよ」
「女海賊!? おいそれアニメかなんかだよな、リアルの話じゃねぇよな!」
――そうして、理塚くんは「先行くからな!」と言い残して、体育館の角へと消えていった。
僕は、本当に真剣なのに冗談ぽい言葉をなぜ口にしてしまうんだろう、と考えて、それはやっぱり相手が理塚くんだからという明確な答えに行き着いて納得したあと、理塚くんが消えた方向へと同じように歩きだした。
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