15】理塚-1


 理塚光宗は、いつものように十八時ごろ下校した。


 彼はサッカー部に所属していて、帰りはほぼ毎日この時間だ。土曜も午前中に部活があるのだが、だからと言って恥ずかしながら強いというわけでも、だからと言って弱いわけでもない。県大会ではだいたいいつも三回戦敗退、という、まさにどちらでもない立ち位置をキープしている。


 そして理塚は、そんなサッカー部のとりあえずレギュラーをつかみ、フォワードを任されている。とはいえ、部員若干二十名の強くも弱くもないチームでのレギュラーにそれほど大きな意味があるわけでもなく、部員全員含めて、真剣というよりも楽しむことメインで活動している。理塚を含めた三年生が普段より気合が入っているのは、夏の引退がじわりと近づいてきているからというただそれだけだ。


「りづぃー、お疲れー」


「おう、お疲れさんー」


 後ろから同じ部の友だちが追いつき追い越していく。結果としてその彼より少し遅れる形で正門を抜けた。


 理塚は、帰りは基本的に一人だ。理由は単純で、同じ方向へ帰る部員がいないからだ。方向だけで言えばクラスメートで友だちの織野と同じ方向だが、帰る時間がまったく違う。逆に言えば時間さえ合えば織野と帰るわけで、部活の引退を密かに楽しみにしている。


「腹減ったなぁ」


 部活終わりの健全な腹がエネルギー不足を訴える。買い食いでもしたいところだが、理塚の家があるマンションまで徒歩十三分程度。買い食いするにも中途半端な距離で、いつも迷っている間に家へ着いてしまう。だから何か考え事でもしよう、と考えて、それが織野の沢瑠璃のことになるのはある意味自然だったのかもしれない。


 理塚と織野の付き合いは、高校入学とともに始まった。理塚の席の前がたまたま織野だった、初めはそれだけだった。ただ、それだけで友だちになるわけでもない。


 きっかけは織野からだった。初日、入学式を終えたあとのホームルーム。何かの問題も起こることなく時間は滞りなく進み、その日は終わる。


 理塚は、結局三年になるまで居座ることになるサッカー部の見学でも行こうとしていた。中学からの知り合い組は皆帰宅部を決めこんでいたので、帰りに待ち合わせもしていない。受け取った山のような教科書を鞄に詰め、さあ立とう、としたその時。


 織野が、ぐるんと振り返ってきた。


 その動きになんの初期動作もなかったものだから理塚は面食らう、面食らった理塚に織野はニコッと笑いながらこう言った。


「ペットボトルのお茶二本持ってきたんだけど、重いから一本飲んでくれない?」


 しばしの間言葉を失ったあと、理塚は織野に対する初めての会話をした。


「……なんで二本なんだ?」


 一人なら一本で事足りるだろうに、なぜ二本持ってきた?

 この時点では、織野の評価は『変わったヤツ』だった。


「いやー、僕もそう思ったんだけど、冷蔵庫に二本あったから持ってきちゃった」


 そう言ってニッと笑う。

 いや持ってこなきゃいいじゃん、と言おうとした理塚の机に、織野が「はい」とペットボトルを置いた。要るとも言っていないのに。

 だからと言って今さら断るのも悪い気がして、「おう、じゃあ、ありがとな」と、鞄の中をまさぐっている織野の背中に声をかけた。


 せっかくなので今もらおうとキャップをひねって飲もうとする。飲もうとして、机へ突っ伏している織野に気づいた。


「おい、どうしたんだ」


 何があったのかと声をかけると、織野から返事があった。それは今にも死にそうな声だった。


「間違えた……」

 織野の手には、ポン酢のビンが握られていた。


「キャップ以外の共通点ないのに!?」


 現在ならそう言っていただろう。けれどその時はまだ初対面だった。だから理塚はその言葉をグッと飲みこみ――本当に喉が鳴った――、黙ったまま新品から新古品にしてしまったペットボトルを彼の頭元に置いた。


 それが織野とのファーストインプレッションで、評価が「変わったヤツ」から「変なヤツ」に変わった瞬間だった。


 理塚が織野に初めて笑顔を見せたのは次の日、彼が「昨日のお詫び」とペットボトルのお茶を渡してきた時だった。詫びられることは一つもない、こちらはもらった側なのだから。そのことを伝えたうえで、今回は素直に受け取った。この瞬間から織野のことを『変なヤツ』ではなく『変だけどいいヤツ』と評価ではなく確信した。


 付き合いはそれからだ。ポン酢事件に類似した出来事はそれからも何回か起こって、織野のステータスに『ほっとけないヤツ』も追加されたけど、呆れたことは一度もない。その理由は、織野の人柄だと思っている。


 織野は、他人の悪口、愚痴、誹謗中傷をしない。聞いたことがない。織野は人の悪いところを悪いところと見ず、一つの個性だと見る。そのことに気づいたのは友だちとなってしばらく後のことで、気づいてからはこの変だけどいい友だちをキライになる選択肢はなくなってしまった。

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