14】休火山とのお茶タイム -3

 沢瑠璃さんが同じ高校にいることは、高二の頃に知った。きっかけは偶然にも理塚くんで、隣のクラスに個性的な苗字の女子がいる、と聞き、その苗字を聞いた瞬間、自分でも感心するくらい盛大に飲み物を吹いてしまったのは今でもいい思い出だ。


 けれど、父親の言っていたとおり沢瑠璃さん自身があの事故にどれほど心の傷を負っているか分からなかったから、声はかけられずにいた。ただ、隣のクラスに沢瑠璃さんがいることはずっと意識していたのだ。


「えぇー、そうなんだぁ」


「だから、何かの形で恩返しはしたいなぁ、て思ってたんだ。だから今回、沢瑠璃さんからお願いされたときはホント嬉しかったよ」


「ねね、その時の傷は大丈夫なの? 親には忘れろって言われてたけど、やっぱりさ、ずっと気になってたんだ」


「うん、おかげさまでこのとおり。だから今回は僕の番。おでん、絶対に見つけるから」


 だから頑張ろうね、と続けようとして。

 僕は、言葉を失ってしまった。

 沢瑠璃さんの笑顔。「ありがとう」と言いながら見せてくれた、やわらかい笑顔。

 それは最高に――さいっこうに、可愛かった。


 僕がそんな沢瑠璃さんに見とれていると、それに気づいてない風の彼女が「あ」、と小さく声をあげた。


「じゃあさ、織野くん、その時の私が猫連れてたの憶えてる? まだ産まれたばっかりの子猫」


「子ネコ、子ネコ……」


 僕はその頃の記憶の映像を頭の中で再生する。正直、それについても大きな進歩だ。今まで、思い出すのもつらい記憶だったのだから。でも、沢瑠璃さんもそのことを憶えていてくれた。つまりあれは僕だけの記憶ではないのだ。その事実はなんというか、僕にとって大きな勇気になった気がする。


 だから、僕は子ネコのことをすぐに思い出した。あのとき、さすがにすべり台へはあげてなかったけど沢瑠璃さんはたしかに子ネコを抱いていた。


 僕は声をあげて、それを沢瑠璃さんへ伝えようとした。

 ――僕はそのとき、調子に乗ってバカな選択をしてしまった。沢瑠璃さんの冗談をかぶせてしまった。


「その子ネコ、もしかしておでんのお母さん?」


「……そんなわけないじゃない、バカじゃないの?」


 あとで考えるとお母さんというのも有り得なくないことだったけど。

 ヘコんだ。

 沢瑠璃さんの口調から男口調がなくなったのも気づいてたし、「お前」から「きみ」になってたのも気がついてた。「織野くん」になってたのも気づいてた。だから、ちょっと調子に乗ってしまってた。『調子』という乗り物には、それがたとえ格安で乗れそうだったとしてもその後のことをちゃんと考えて乗ろう。僕はそう思いました。


「あのときの猫がおでんよ。でも、お前も憶えてくれてたのは嬉しいぞ」


 ……元に戻ってる。ああ。大事なものは、いつも失ってから気づくものなんだなぁ。


「でも、一週間も意識がなかったのか。こんなこと聞くのもあれだけどさ、その間ってどんな感じだったんだ?」


 話し言葉は元に戻ってしまったけどテンションは変わらないままのようで、いつもより少し声の大きい沢瑠璃さん。

 僕はその時のことを少し思い出したあと、軽く首をかしげた。


「なんていうか、意識がものすごいぼやっとしてるのが、行ったりきたり、みたいな。すごく表現が難しいけど」


 そして、苦笑いを浮かべる。


「テレビとかでさ、身体から離れた寝てる自分を上から見たり、とかいうのはなかったよ」


「あー、やっぱりそうかー」


 どうやらそういうのを期待していたようで、沢瑠璃さんが少しがっかりしたような声をあげた。頭の後ろで手を組んで、視線だけを僕に向けて、


「一度そういう経験した人は普通の人と視点が変わって、その、そういうのを見やすくなる、て聞いたけど、そんなのもないか」


「さあ……見てるかも知れないけど、てことは見てても気づかないレベルなんだろね」


「……ま、それはそうか。期待外れ」


 そして沢瑠璃さんはケーキの掘削作業を再開する。

 ……期待外れ。見れないことはそれでいいことだけど、期待を外されたのはちょっとヘコむ。


 ――僕たちは、それからも小さい頃の話でなんだかんだで盛り上がった。

 僕の最大の収穫は、ダメもとで「ケーキ少しもらっていい?」と聞いたら意外にもオーケーが出たことだった。代わりに僕のケーキの残りを全部持っていかれたけど、そのときの僕にとっては些細で些末な出来事だった。

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