11】キライだよね? え、あ、好きなんだ


 放課後までに集合場所をメールするからしばし待て、と沢瑠璃さんに言われていたけど、実際にメールは放課後までに来なかった。

 たんに忘れているだけだろうし、であれば僕のとるべき行動はただ一つで、それはすなわち昨日の再戦だった。


 彼女の下校スピードに、今日は勝つ。


 何も知らない昨日と昨日を知る今日とではそれこそ天地雲泥の差がある。だから僕が本日とった行動は、授業終了直後に帰る準備を済ます、というシンプルだけど確実なものだった。


「ではこれでホームルームを終える。委員長、号令」


 起立、礼。

 そして着席した瞬間、僕はお尻の筋肉を爆発させた。椅子に尻っぺたを触れさせた瞬間に飛びあがり鞄を引っつかんで出入口へ猛進した。そして廊下を矢のように走り沢瑠璃さんの教室前でブレーキ。


 このスピード、断言できるこれ以上はもう望めない、こういう類の競技があれば明日から世界代表で出場してもいい、これで負けたら今日、沢瑠璃さんになんでもおごる。そう自分に誓いながら僕は顔をあげた。


 ――沢瑠璃さんへのおごりが確定した。


「な、なぜ……」


 中を確認した窓におもわずもたれかかる。

 いない。教室には見事に沢瑠璃さんの姿だけがなく、彼女の席だけが空席になっていた。先生すらまだ教壇にいるタイミングで姿を消すこのスピードは異常というよりこれはもう異次元だった。異次元? 異世界? チート? いや下校が早いというだけの能力をチートと呼んでいいのか?


 仕方ない。メールして正門で待とう、と密着していた窓から離れると、そのタイミングで「あ、昨日のあんた」と声をかけられた。


 声がした方を向くと、それは昨日の女子だった。パックの野菜ジュースに刺したストローをくわえながら帰り支度を進めている。


「あによ、今日も来たの」


 もう空なのか、彼女がしゃべるにあわせてパックがふりふりと動いて、器用にしゃべるなぁ、と妙に感心する。


「う、うん。沢瑠璃さん、もう帰った?」


「帰ったよ」


「ですよねぇ……」


 メールアドレスを知っていて良かった、昨日は沢瑠璃さんが偶然アパートの屋根の上にいたから(すさまじく違和感のある文章だ)見つけられただけなのだから。少なくともあてどなく探し回る行動だけはさけられる。

 と。

 女子が、どう表現すればいいのか、呆れたような笑いと言えばいいのか、そんな笑い方をした。そして、こう尋ねてきた。


「あんた、もしかして手伝うの?」


 それはあまり好きになれる笑い方ではなかったけど、僕は頷いた。


「と言うより、手伝うことになった。これからも探しに行くはずなんだけど……」


 すると、彼女が食い気味に少し身を乗り出してきた。


「え、そうなの? じゃさ、ちょっと教えてよ、おでんてなんなのよ」


 まさかコンビニ行けばあるとかじゃないよね、と続ける。僕と同じことを考えるなぁ、と思ったあと、まあ普通はそう考えるよね、と思い直す。そう、なんの前情報もなくおでんと言われたら、食べるおでんと考えない日本人ははたして何割いるだろうか。ネコだと初めに伝えていれば、一人くらいの助けはもしかしたら得られただろうに。沢瑠璃さんは、なぜそうしなかったのだろう。

 と考えていると、「人の話聞いてる?」と急かされる。


 沢瑠璃さんからは「言うな」とは言われてないけど「言いふらすな」とも言われていなかったので、「人に言わないでね」と前置きしてから、


「おでん、て、沢瑠璃さんの飼ってるネコの名前だよ」


 とその女子に伝えた。あわせて、「あ、でもネコて言ったらダメだよ、ネコそのものは嫌いみたいだから」と伝えようとした。

 すると。


 その女子は、「あぁーなるほどね」となにかの合点がいった声を上げた。


「あの子、猫好きみたいだもんねー」


「え?」


 僕はおもわず聞き返してしまった。沢瑠璃さんが、ネコが好き?

 おでんのことをネコと呼ばれることがかなり嫌そうだった沢瑠璃さん、だから僕はてっきりおでんだけは特別なのだろうと考えていたのだけれど……


「沢瑠璃さん、ネコ好きなの?」


「直接聞いたわけじゃないけどね。あの子、鞄に猫のぬいぐるみとかキーホルダーとかじゃらじゃら付けてたし」


「え?」


 おもわずもう一つ聞き返してしまった。

 ネコのぬいぐるみ? キーホルダー? 沢瑠璃さんの鞄にそんなものは一つも付いていないと僕は断言できる、なにしろその鞄を用いた打撃を過去四度も受けているのだ。付いていれば視覚的にも痛覚的にも忘れるわけがない。


 付いてなかったよ、と言うと、その女子もふと気づいたように「そう言えば、ここしばらくあのじゃらじゃらした音聞いてないわ」と呟いた。


 どういうことなのだろう。クラスメートが印象深く憶えているようなことを、沢瑠璃さんはやめてしまった。なにかがあったのだろうか。

 ふと、あることを思いついた。それを女子に尋ねると、「そんなん憶えてるわけないじゃん。……でも、そのくらいは経ってるかも」と答えた。


 僕が尋ねたこととは、「それって一ヶ月前くらい?」。一ヶ月前、それは沢瑠璃さんがおでんを探し始めた時期、そして僕が見る沢瑠璃さんの表情が曇りがちになった時期だ。

 素直に考えたらおでんの失踪が原因してるのだろうけど。それだけとも違う気がする。

 一か月前くらいの話を聞こうとしたそのタイミングで、ポケットのスマホが振るえた。画面を確認するとメールの相手は案の定沢瑠璃さんで、『忘れてた』というその言葉それだけで事情を飲み込める短文が表示されていた。


「行かなきゃ。教えてくれてありがと」


 『今どこにいるの?』と返信して女子にお礼を言うと、くわえっぱなしだったストローを今ようやく離しながら、


「まあ、おでんの話は黙っとくし。どうでもいいけど頑張りなー」


 と、あまり想像してなかったことを彼女は言ってくれた。


 僕はもう一度彼女へお礼を言いながら、正面玄関へと向かいはじめた。向かいはじめながら、僕は少し悩んだ。初めはただおでんを見つければそれでいいと思っていたけど、さっき聞いたことも沢瑠璃さんに聞いたほうがいいのだろうか。けれどそれはたぶん、沢瑠璃さんのプライベートに踏みこむことにもなる気がして仕方ない。

 そんなことを考えながら、とにかく今は沢瑠璃さんと合流に向けて、正面玄関へ向かった。


 ――玄関に着くと同時に沢瑠璃さんから返信があった。

『市立体育館の屋上の上がり方分かる?』

 僕は、市立体育館へダッシュした。

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