人外×トランスヒューマン
佳原雪
表記の左右に寓意はない
未来、トランスヒューマンとなった人類は不死を獲得した。
眠りを否定した人類は、土に還ること叶わず、コンクリートで覆われた地上を這う。
彼は目覚めを待っていた。己のではなく、友達の。
男は土の上に立っている。有機物が分解され、変化の臭いを発する土の、暖かな気配が辺りを漂っていた。
彼の私有地、霊山であるここは、昔と変わらぬ土の香りがする。被膜のない地面、やわらかな土は地上と地下の境目だ。
地下には安らかな眠りがある。それは現在、地上から失われたものだ。いわばここは扉、白黒わかたぬ、まどろみの中。
「……」
「おはよう」
そうして、彼は目覚めた。彼の姿を見るのは三百年ぶりだっただろうか。ともかく彼は約束の目覚めを迎えた。永い眠りから。静謐で安全な『向こう側』から、戻ってきたのだ。
「おはよう、そして久しぶり」
「喋り方の癖が変わったな。眠っている間、何があった。なにか変わったことは?」
「何もかもが。もはや何が残っているのかもわからない。変わらないのは君だけだ」
「覚えているのか、私を?」
「覚えているさ、覚えているとも。脳の記憶領域を、ほとんどきみに割いている」
二人は手を握り合った。
「今日という日を、この瞬間を待ち望んでいた」
「……そうか」
「きみに、会いたかった」
「そうか。お前、毎回言うよな、それ」
「紛れもない本心だからだ。人間にとって三百年は人生六回分だ」
男は涙を流した。それは、彼らが出会ってから初めての事だった。
「泣いているのか?」
「そうだ。いや、僕は毎回泣いていた。機械に置換された眼球から涙が出るようになるほどの時間を、きみは眠っていたんだ」
「そうか」
二人は抱擁を交わした。強く、強く。体温のぬくもりがそこにあった。
「寂しかったんだ、ずっと」
男は涙を拭った。それを見て、羽の生えた友人は瞬きをした。
「一緒に眠るかと聞かなかったか」
「聞かれたけど断ったんだよ。僕は人間だ。世代交代によって体を乗り換え、記憶を断絶させ、目覚めの合間に長期的な眠りを必要としない人間の末裔だ。世代交代を必要としなくなった今もそれは変わらない。人間は眠らない。いや、眠れなくなった。身体の手入れをせずに長期間眠れば、僕はもう目を覚ませなくなる」
世代交代を否定したことで、メンテナンスなしで生きられた時代はとうに終わった。トランスヒューマンの体は、保守・メンテナンスが大前提だ。
「何が言いたい?」
「きみが眠っている間、寂しかったって話だよ。皆、どんどんと新しいものへ興味を移していく。そうしなきゃ生き残れないからだ。現代科学の研究者だった僕は博物学者になってしまった。やっていることは今も昔も変わっていないのに」
悲しそうな顔をした男を見て、彼はつまらなさそうにあくびをした。
「今ここに私が居るんだからどうだってよかろう。そんなことより楽しい話をしてくれんか」
男はきょとんとして、それから、ふっと笑った。
「そうだな、そのとおりだ。今日はアンティークの機械で古い友人をもてなそう。古いやり方、堅実で非効率的な形式。忘れられた時代の形を、今夜は二人でなぞろうじゃないか。新しいことなど明日でいい。まだ時間はたくさんあるんだからな」
歌うように言い、年相応の笑みをこぼした男に対し、彼はすっとぼけて言った。
「ああ、お前、なんか最近人間っぽくなくなってきたな」
「よせよ。きみに言われちゃおしまいだ」
人外×トランスヒューマン 佳原雪 @setsu_yosihara
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