需要と供給

 その男は、目の前に詰みあがった不良在庫の山を見て、頭を痛めていた。

「完全に売り時を逃してしまった」

隣国で新型ウィルスが発生した、というニュースを見た時はチャンスだと思ったのだが...


 この業界では、狡猾で利口な人間だけが、儲けを手にすることができる。

 俺はすぐさま、ほうぼうの店舗を駆け回り、マスクやうがい薬のような医療品を買い込んだ。それ以外にも空気清浄機や、外出制限を見越して家庭用ゲームなども揃えた。

これらを売り捌いた金で、事態が鎮静化するまで南国のリゾート地にでも、逃げようと考えていた。


 しかし、政府の対応は恐ろしいほど的確かつ迅速だった。広まりかけたウィルスを、瞬く間にこの国から追い出してしまったのだ。

 苦肉の策で、隣国に商品を流そうかと計画していたが、感染防止のためと、出国制限に輸出規制がかけられてしまい、もうどうしようもない。


机の上に置いてあるスマホが振動して、誰かからの通知が着たことを知らせる。けれどもそれは、俺にとって、良い報せではないだろう。

出品用として使っているSNSのアカウントに届くメッセージは、顧客以外からのものが、殆どを占めるからだ。

どれもこれも正義の味方ぶった内容で気分が悪くなる。特にここ数日は、俺の調子が悪いことを見越してか、攻撃的なものが多い。


『恥知らずな生き方に尊敬します』

『罪悪感はいくらで売ってますか?』

『お前は社会に何も貢献してない』


こいつらは、自分が愛する社会とやらのために「購入制限は守っているから」だとか「これから値上がりするかも知れないから」なんて言い分けをせず、自分に不必要な分まで何かを無駄に買い込んだりしたことは今まで一度もないわけだ。


まだインターネットが無かった石油危機の時だって、スマホが普及してなかった大震災の時だって、皆が不安に駆られて品物を奪い合ったというのに。


冷静に考えれば、俺らが買い占めている分は、全体の1%にも満たないはずだ。結局のところ、周りの奴らがお互いの首を絞めあっているのである。

ぼったくりと言われる件だって、定価で買っている分には購入店舗に損をさせているわけでもない。この差額分も、不安に悩む消費者達に、安心感を売ってあげている結果にすぎない。

そもそも、その不安を煽っている奴こそが、もっとも甘い蜜を吸っている黒幕であり、憐れな俺達は不満をそらすためのスケープゴートに仕立てあげられているのだ。


考えれば考えるほど腹が立ってきて、胃がムカムカしてきた。


いや、これは…

頭が割れるように痛みに襲われ、気持ちが悪い。食道を吐き気が逆流している。


あれだけ騒がれているタイミングで、人の波を押しのけ、売り物だからとマスクをケチって出歩いていれば...


薄れゆく意識の中、男はこの状況を何とかしようと、助けを求めて、机の上に手を伸ばす。

もはやスマホが震えているのか、自分の手が震えているかも分からなかったが、やっとの思いでフリーマーケットのアプリを開き、出品ボタンを押す。


『新型ウィルス売ります』


 どこかの狡猾で利口な人間が、すぐにそれを購入した。

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