第45話「世界の在り方を変える」
人は醜くも美しい。
ある人物はそう結論を導き出した。
争いは世界中で絶えず、爪や牙がないから武器を作る。
なぜ同胞殺しを平然とやるのかと、とある人が問う。
ある人物は答えた。「天敵がいないから。いや、むしろ同胞こそが天敵だから」
また、とある人は問う。ではなぜ美しいのかと。
ある人物は答えた。「芸術を生み出し、思想を以て生命を慈しむのは人にしかできない」と。
なぜ、人は矛盾しているのかと、最後の人が問うた。
「矛盾などしていない。人は醜い裏と美しい表によって成り立っている。森羅万象に陰陽があるように、人も裏表という陰陽があってこそ人でいられるのだ。だからこそ、争いが無くなることはないのだ」
――“カザンの人間学より抜粋”
西の遠方より、山の上から戦況を俯瞰する人物が二人。一人は大きな望遠鏡を使い、一人は道具を持たずにジッと同じ方向を見つめる。
「どっちだと思う?」
望遠鏡を眼鏡越しに覗きながら男が問う。
「お前は?」
同じように視線を外さずに聞き返す。
「んー……、ドラゴンかな」
「じゃあ俺は人間のほうで」
「なに賭ける?」
「リッタの
「へへ、乗った」
戦況は五分といったところで、人間は上手く立ち回っていた。
「しっかし、ドラゴンは順調だな」
「当然だろ、僕の理論に間違いはないよ」
遡ること半年ほど前。二人は、皇帝に呼び出された。
「なんで皇帝陛下が僕なんかを?」
ヴァン・ルッカーロは全く身に覚えがないと首を傾げる。
「俺が知るかよ」
イーヴァイ・ファムトは気だるそうに返す。
研究室で遊んでいたところを研究室長に呼び出された。怒られると思ったら「皇帝陛下がお呼びだ。正装に着替え直ぐに向かえ」とだけ言われて放り出された。
昼間、昼食にすらありつけないままに急遽、皇帝陛下に謁見するための準備を進めに学校の寮室へと戻ってきた。
「単位は足りてるしなぁ、研究成果だって悪くは……」
服を着替えながら、呼ばれた理由を考える。
「もしかして、その研究に目を付けられたんじゃねぇの?」
「馬鹿を言うな! あれは画期的な研究で、世界の在り方を変えるかも知れないんだぞ!」
「わーってるよ、誰も悪い意味でなんて言ってねぇだろ?」
「……どういう意味だ?」
「お前は本当にこういうこと鈍いよなぁ」
「だからなんなんだよ」
「お前の研究に目を付けた皇帝が、お抱えにしようって呼んだ可能性だよ」
悪いことを企むような顔と低い小声で耳打ちする。
「はぁ?」
「なーに素っ頓狂な声出してんだよ、あり得ない話じゃねぇだろ。俺はお前の研究も、お前のこともよく知ってる。わざわざ皇帝に呼ばれる理由なんてそれしかないだろ」
「僕は基礎理論を提唱しただけで、根幹の研究には携わってないし……」
「あのな、つまり基礎理論を考えたのはお前なわけだ。研究してる奴らはお前のおこぼれを貰ってるに過ぎない。お前の閃きこそが重要なんだよ」
「僕の……閃き?」
「お前がその理論を思いついたきっかけはなんだ? 覚えてるか?」
「えーと……庭木をぼーっと眺めてたら浮かんできて……」
「それだよ、凡人共には無いその閃きこそがお前の力だ!」
「僕の……力?」
「いいから、お前はお前のままでいろヴァン・ルッカーロ」
「う、うん……」
見たことのない熱を見せるイーヴァイに戸惑いながらも、ヴァンは頷いた。
「よし」
と、その時ノックの音が響いた。
「はいはい、どちら様だ?」
「――! イーヴァイ!」
ドアを開けると、いつの間にか侍女のような女性が一人待機していた。
「ヴァン・ルッカーロ様、イーヴァイ・ファムト様、お迎えに参りました」
「あんたは?」
「……皇帝陛下にお仕えするヨナと申します。以後お見知りおきを」
軽くスカートを持ち上げ、美しい所作で挨拶する。
「あんた一人か?」
「はい。外に魔導車を待たせてあります」
「だとよ、早く着替えてこいよ」
「それはイーヴァイだろ……!」
「あ?」
ヴァンは無言でイーヴァイの下半身に目をやる。先ほどヴァンに詰め寄ったさい、ズボンを脱いだまま忘れていたのだ。
――ヨナが一瞬言葉に詰まったのはそのためか。
魔導車に揺られて帝国を走ると、いつもの街並みが違って見える。歩行と違う目線、速度、賑やかな通りすらも無機質なフィルター越しに見ている錯覚に陥る。
「これが魔導車か……」
一部の上流階級の人間しか所有が認められないこの魔導車というのは、メア・ドラグノス戦で使われた魔導具より遥かに高度で複雑な機構を持つ、移動手段としての魔導具である。
西の帝国は世界一技術が発達、発展した国であり、魔導の研究はここ数年で著しい発展を遂げ、帝国内では世にも珍しい魔導具の数々が見られる。そのため各国からの視察団や王族・皇族などの外遊は後を絶たない。
そういった背景もあり、国内は一年を通して観光客で溢れている。
「魔導の研究は盛んだ。でも本質は見えているのだろうか」
無意識にポツリと呟いた、何気ないヴァンの一言に、ヨナがくすっと笑った。
「なにがおかしい」
イーヴァイの若干怒気が孕んだ言葉にも動じることなく、「いいえ、だから選ばれたのですわ」とヨナは言った。
魔導車が停止し、外に出ると馬鹿でかい城が目の前に聳え立っていた。帝国の中心にある帝都、その奥にこの帝王の居城は在った。
「大きい……」
圧倒されているヴァンを、「こちらです」とヨナが促す。
広大で
「案内ないと迷子になるね……」
すっかり疲れたヴァンは感想を漏らすと、最後の力を振り絞り気合を入れて姿勢を正す。
真紅の大きな扉が開かれると、そこはまた別世界のようだった。エントランスホールの倍はあろうかという広大な広間に希少な絨毯を全面に敷き、天井を引きずり落としてしまうのではないかと思うほど大きなシャンデリアが中央に下がっていた。奥に小さく見えるのがおそらく皇帝なのだろう。
恐る恐る絨毯の上を進み、皇帝から10メートルほど離れたところでヨナが止まる。それを見て二人もその位置に止まる。
「皇帝陛下、御所望の者共にございます」
二人にやったように、流れる所作でお辞儀をする。
「ご苦労、下がれ」
皇帝の一言で、ヨナは壁際のほうへ待機する。
「よく来たな。そう緊張せずともよい」
まさかそう言われて「あっ、そうッスか」なんてフランクになれるわけにもいかない。
「ありがとうございます。皇帝陛下、私共をお呼びになられたのは、どのような御用でしょうか」
打ち合わせ通り、イーヴァイが皇帝に訊ねる。
「お前はイーヴァイだな?」
「はっ、イーヴァイと申します」
「ということは、隣がヴァン・ルッカーロか」
まさか自分に直接話しかけられるとは思ってなかったヴァンは、上擦った声で「はい!」と返事をする。
「先日、学者会議でお前の論文を読んでな、興味を惹かれた」
「あ、ありがとうございます」
「そこでだ、一つ相談なのだが……」
皇帝は意味ありげに間を置いてから、野望を吐き出す。
「ドラゴンを支配できるか?」
一瞬。だが二人にとっては、まるで永遠のようにすら感じる静寂が流れた。
「お前の基礎理論は大変興味深い。現在の研究もだ。だが、それが本質ではあるまい?」
ヴァンは口から心臓が飛び出るのではないかと思うほど驚愕した。
――あの論文を読んだだけで!?
それは、ヴァンにしか分からず、イーヴァイ含む誰にもまだ話していない可能性のレベルの話だった。教授レベルすらも気付かないままに研究が行われていた、その理論に秘められた真実に、皇帝は読んだだけで気付いたという。
ちらりと皇帝を窺い見ると、その自信と確信に満ちた顔はブラフや揺さぶりなどの小賢しい考えなど微塵も感じさせなった。皇帝は確信を持っている。世界の在り方を変えるかも知れない理論だということに。
――恐ろしい。
ヴァンは心の底からそう思った。皇帝が何を考えていて、なにをしようとしているのか。そして、そのために自分がこれからどうなるのかを、ヴァンはこの瞬間に察してしまったのだ。
分からないままに、皇帝の役に立つと意気込めたらどれほど楽なことか……。
逡巡したヴァンは、意を決した。
「……はい、できます」
この瞬間から、ドラゴン討伐という国家規模の計画がまた一つ、始まった。
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