第42話「アイラの過去 秘密と真実②」
明けない都。そう呼ばれるようになってからはや数十年。昔は違ったと、地元の人々は口を揃えて言う。元々は風光明媚な場所で観光客も数多く訪れたというそこは、世界がドラゴンの話題に騒がれてからは見る影もない廃れた土地となった。空は暗く厚い渦巻く不気味な雲に覆われ、美しかった清流は毒の川となり、昔はなかったはずの渓谷まで現れた。山は木が枯れ果て岩山と化して人々を遠ざけた。
ドラゴンに誘われて辿り着いたアイラは、その光景に懐かしさを覚えた。あるいは、人間を寄せ付けないこの明けない都のような世界がドラゴンにとっての故郷なのかも知れない。アイラは正真正銘の人の子だが、ドラゴンと呪われた契約があるせいなのか、はたまたアイラ自身が実は求めていたものなのか。
しばらく観光して歩いていると、小型の飛竜が目の前に降り立った。
「アイラだな?」
無言で頷く。
「背に乗れ」
そう言って飛竜は身を屈める。アイラがよじ登ると、飛竜は翼を広げ地を離れる。
景色が広がる。眼下には明けない都。そして視線を遠くに投げれば人の世界が広がる。
――こんなにも遠いものか。
人の世界にも線引はある。国境がその最たるもので代表的なものだ。領土を分かつためのそれは、目には見えない。だから国境付近にはそれと分かるよう目印がある。
だが人とドラゴンの世界には、目に見えない線引が目に見えて分かる。目印や物じゃない。世界の区切りがはっきりと分かるのだ。
アイラは、その世界の違いを理解した時、自分がドラゴンの世界になんの躊躇もなく入り、なおかつ懐かしささえ覚えたことに、人としての線引を越えてしまったことを嫌でも自覚した。
これは自分が望んだことでもなく、自分から進んで歩んだ道でもない。強いて言えば、まさに運命というものの悪戯だろう。だが、抗えないと決まってる運命など存在しない。抗えないとしたら、それは運命だからではない。諦めという自身の敗北だ。
「降りろ」
人を寄せ付けない岩山の頂上に、いかにもな居住空間があった。
以前、屋敷で吟遊詩人や旅の者の話に聞いたような洞窟ではなく、空――というより厚い雲だが――が見える。限りなく低く狭い空が。
その低く狭い空が、さらに狭く感じるほど巨大な漆黒のドラゴンが、今アイラの目の前に居る。小型の飛竜なんか比べ物にならない。くしゃみしたらアイラなんか吹き飛ばされて落ちて死ぬんじゃないか。圧倒的な存在感と絶望感が、そこに在った。
「下がれ」
地響きにも似た低い声が、迎えの飛竜を下がらせる。
「お前か、契約の娘は」
「……」
沈黙をもって答える。
「クォンツェルか、彼奴の欲望は節操を知らぬ。人間の価値観など我らには理解できぬが、彼奴は我と会うなりこう言った。『契約してくれ』とな」
「……!」
アイラの表現を見て、ドラゴンは言わんとすることを汲み取った。
「そうだ、彼奴は我らを知っておった。驚いたぞ。我は人の成すことに興味は無い。だが我らを熟知している人間に出会うのは初めてのことだった。契約なぞ、古の遥か遠い過去の遺物だと、我らですら忘れているものを掘り起こし、あまつさえ我に申し出たのだからな」
契約。それは人間のために作られたと言っても過言ではない、ドラゴンとの契を交わすこと。その目的の大半は名誉や栄誉、財を成すためのもの。しかし、ドラゴンが無償でそんな契約をするわけがない。
まるで魔法のような絶大な効力を持つドラゴンとの契約は魂に楔が打たれる。富と名声を得ても、最終的にはドラゴンへ魂が捧げられる。まさに呪いの契約。
そこで人間は考えた。いくら富と名声を手にしたところで呪われて死んでしまうなんて意味がない。ならばと誰かがこう言った。
「聞くところによると、呪われて死んだら生まれ変わることもできず、永遠にドラゴンの腹の中というではないか。でもそれは、本人じゃなければいけないのか?」
ドラゴンにとっては誰でもいい。人間にとっては誰かがいい。そう、この契約は最初からそういうものだったのである。
「我が最後に契約したのは数百年ほど前のこと。それからは我が眷族にも契約の話など聞いたことすらなかった。しかしここにきて再契約することになるとはな」
「再契約……?」
ここにきて、ようやく声が出た。
「どういうこと? パパとの契約は?」
ドラゴンはゆっくりと起き上がる。なるほど、このドラゴンに天井なんかあったら起き上がる度に壊れてしまうだろう。だからここなんだ。低く狭い空を天井に見立てて、疑似的な洞窟となっているのだ。
「ライラ・クォンツェルという名に聞き覚えはないか?」
「ライラ……」
ドラゴンの問に記憶を辿る。だが最初の記憶まで遡ってもライラなどという記憶はなかった。
「いいえ、ないわ」
断言するアイラを、ドラゴンはしばし見つめる。
「意図的に情報が隠蔽されているようだな。まあよかろう。ライラは数百年前、我と契約した最後の人間であり、お前の――」
ドラゴンが語る真実に、アイラは衝撃を受け絶句した。
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