第35話「姫と侍女と浴場」

 姫の馬車が王都への門に着く頃、騎士が数名やって来る。

「姫! ご帰還、お待ちしておりました!」

「遅い。なにしてたの?」

 慌てて来た騎士に、姫は車内から若干不機嫌に尋ねる。

「申し訳ございません、諸事情ございまして……」

「諸事情? 騎士長はどうしたのよ?」

「急病により任務が難しいと連絡がありまして、急遽我々が」

「急病? あの人も人の子だったのかしら」

 ふふ、と笑う姫に、騎士は「我々が警護致します」と張り切って宣言する。

「警護って言ったって、襲ってくる人なんかいないわよ」

「いえ、万一を考えて――」

「あら?」

 姫は、遠くからの視線に気付く。

「どなた?」

 遠く、王都の中心に近い所に位置する宿の一室からの視線を、姫は見つめ返す。

「――楽しそうな人がいるわね」

「は?」

「あの宿へ案内して」

「は、はぁ」

「聞こえなかった?」

「は、はい!」

 騎士達は姫に振り回されながらも、視線の主がいる宿へと向かう。下町とは違い、王都では姫を知っている者も多く、「おかえりなさい」と挨拶が多く姫に向けられた。

「ありがとう、ただいま」

 一人一人とは中々いかないものの、王都の人々の顔を見て挨拶を返す。

「こちらです」

 到着したのは、日陰者御用達という噂のある高級旅館だった。

「初めまして」

 姫が車を降りて挨拶したのは、アイラだった。

「あんた、もしかしてシャルレ=プレッツェル姫か?」

 アイラは馬車などという珍しいものが見えたので、どんな奴が乗っているのかと見ていた。すると驚いたことに、相手は真っ直ぐ見つめ返してきた。たまたまではない。視線を受けて、返したのだ。興味を惹かれて出てきたアイラは、相手を見て更に驚いた。

「あら、ご存知ですか?」

「知ってるもなにも、王女殿下だろう。確か王には子供が一人娘しかいないと聞いていた」

「お詳しいのですね、その通りです。私がそのシャルレ=プレッツェルですわ。あなたは?」

「あたしはアイラ。へぇ……修羅場を経験してきたって風には見えない。鋭いんだね」

「アイラ……」

 その名前に、姫は反応した。

「どうかした?」

「ああ、いえ。視線のことですか?」

「まさかあの距離で視線に気付くだけじゃなく、返されるとは思ってなかった」

「ふふ、あれだけの視線なら気付きます。でも、最初は私ではなかったのでしょう?」

「まあね。馬車というものが珍しかったもんでね。そしたら美人が乗ってるから、思わず見てしまったよ」

「あら、お上手なのね」

「――ああ、そうか。騎士長の言っていた仕事ってあんたのことか」

 アイラはふと思い出し、直感した。

「騎士長をご存知ですか?」

「ああ、あたしは騎士長に招聘されてここにやって来たからね」

「まあ、あの人が直々に? 大変申し訳ございません、一般の方だとばかり……」

「あっはっは、別に構わないよ、その通り一般人だし」

「それでも、招聘されたということは、能力があってのことでしょう」

「まあ、ね」

 初対面で「ドラゴンに呪われてるんですよ」なんて言えるわけもない。

「騎士長は急病ということですが、容態はご存知ですか?」

「大したことないよ、過労で倒れたんだ」

「過労で?」

「昨日医者に診てもらったらしい、今は寝てるんじゃないかな」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「悪いね、足を止めさせて」

 騎士からの視線を感じ、ついつい話し込んでしまったのを自覚した。

「いえ、楽しい時間でした。またお会いした時に話しましょう」

「へぇ、また会えるの?」

「ふふ、どうでしょう?」

 会話を終えると馬車に乗り込み、アイラに手を振りながら王宮へと向かう。

「アイラ……」

 彼女とは初めて会った。でもその名はどこかで聞いたことがある。アイラ……何度も口にしてみるが、思い出せない。

「面白いわね」

 騎士長が直々に招聘した人。一体どんな人なのか、期待に胸が膨らむ。

 王宮への門まで来ると、また馬車を降りる。

「シャルレ=プレッツェル、ただいま帰りました」

 黒く重々しい鉄の門がゆっくりと開くと、侍女が数十人、道の両脇に立って「おかえりなさいませ、シャルレ=プレッツェル王女」と声を揃えて頭を下げる。そして目の前には、執事のガーセル・クローシャルが立っていた。

「長旅、大変お疲れ様にございましょう。浴場をご用意しております。それと、国王陛下が自室にてお待ちです」

「ありがとう。荷は届いてる?」

「はい。姫が予めご用意なされた部屋に」

「そう。少し部屋に寄ってからお風呂に入るわ。それと……」

 姫はガーセルに「クレアに賞与を出しておいて、最大額を。そのうちの1割か2割ほどを明日、クレアの実家に届けさせてね」と耳打ちする。

「御意」

 それを受けて、ガーセルも小声で応える。

「姫、侍女はどうなされました?」

 内緒が終わってから、ガーセルはクレアについて尋ねる。

「ああ、彼女は実家へ届けたわ。今まで休み無しで、外遊まで付き合わせてしまったもの。10日ほど休暇を与えたの」

「左様でございましたか。では、休暇が終わる頃合いに迎えを手配致しましょう」

「よろしくね」

 お辞儀の姿勢で待機する侍女達に「ありがとう、ただいま」と声を掛けながら、姫は自室へと戻った。

「ふぅー」

 部屋へ入ると、天蓋付きのベッドへ飛び込む。

「あー、疲れたー」

 旅と言っても外遊だ。ほぼ自由などない。

 他国へ一人で行くのは初めてだったが、クレアが上手く立ち回り、補佐してくれたおかげで、全て滞り無く終了することが出来た。

 ――本当にあの子のおかげね。

 思えば本当に良くやってくれた。初めての旅行に初めての国、異文化に戸惑うことも多かっただろうに、文句も愚痴も言わず弱音も吐かず、常にわたしを支えてくれた。自分の時間は寝る一時ひとときだけ。正に滅私奉公だ。

 そう考えると、10日の休暇と賞与はむしろ少ないぐらいだ。もし今回の外遊が失敗していたら、王女の恥というだけに留まらず、外交問題に関わってくる。クレアはわたしのみならず、王国を支えて救ってくれたのだ。この功績は大きい。分かる人には分かるはずだ。

「あたしのセンスにも感謝ね」

 シャルレ=プレッツェルのシックスセンスが本物であると、またも証明されたという訳だ。

「さてと、お風呂行こうかな」

 部屋を出て浴場へと向かう。王宮は王国の中では一番面積が少ない。それなのにだだっ広く感じるのは、造りと人が少ないせいだろう。

 浴場前には侍女が数名待機していた。

「あら、あなた達もお風呂?」

「いえ、姫のお世話をするようにと」

 ――どこの誰かな、余計なお世話を。

 大体見当はつくけれども。

「はぁ、ほらほら」

 え? と戸惑う侍女を脱衣所まで押し込むと、戸を閉めて鍵を掛ける。

「あのぅ……」

 どうしたらいいのか戸惑う侍女達を見て、

 ――クレアなら。

と思わず考えてしまった。

「さ、一緒に入りましょ!」

 ウィンクしながら言うと、ドレスを脱ぎ始める。

「姫様!」

 わたくしどもがやります。そう言おうとしたところを、姫が「待って」と止める。

「これくらい出来るわ、あなた達は自由にしなさい。こういう所でぐらい羽を伸ばさないと、そのうち倒れちゃうわよ?」

 そう言われても……という空気の中、一人の侍女が意を決したように服を脱ぐ。

「ちょっと!」

「私は、この場のシャルレ=プレッツェル様を、一人の女性として受け入れます」

 他の侍女が慌てる中、その侍女は強い意思でそう宣言した。

「ありがとう! ほらほら皆も!」

 ついには姫が侍女を脱がそうとするものだから、「わ、分かりました! 自分でやりますから、止めてくださいー!」と、侍女達は折れて一緒に入ることにしたのだった。

「はぁー、いいお湯ねー」

 体を洗っている時は、背中を流したいという侍女達の強い希望があったため、今度は姫が折れて流してもらった。

「姫はどうしてそんなに肌がお綺麗なんですか?」

 湯に浸かりながら、姫の美しい絹肌を羨ましく見る。

「えー? そう?」

「そうですよー、私達の憧れなんです」

「んー、わたしはなにもしてないからなー、オイルマッサージしてもらってるぐらいかな?」

「いいなー、オイルマッサージって姫や王妃様しか受けられないんですよね?」

「そんなことないわよ?」

「えっ! そうなんですか!?」

「ええ、確か予約制ではあるけど、王族専属ではないはずよ」

「そうなんだ! 今度お願いしてみよ!」

 あたしもあたしも! と声があがり、浴場は和やかに盛り上がった。

「もう一つ、聞いてもよろしいですか?」

「なぁに? 二つでも三つでもどうぞ」

「姫様の胸のサイズって……」

 その瞬間、侍女達は固まった。

 ――禁断の質問を!

 先程までの和やかなムードとは一転して、鬼気迫る視線を姫は感じた。

「えーと、……88ぐらいかな」

 屈強な男にも怯まず、物怖じしない姫が、まるで戦場にいるかのように小さくなる。

「やっぱりー!」

 だよねー、あたしなんて……といった阿鼻叫喚が浴場に響く。

「あー……でもほら、女の価値は胸で決まるわけじゃないし」

 慰めようとしたが、あまり効果が無かった。

 ――どうしよう。

 どうすればいいのか分からず困っていると、侍女の一人が「揉まれると大きくなるって言うよね?」と呟いた。

「そっか! マッサージしてもらえばいいんだ!」

「そうだね! 姫様もきっとそれで大きくなったんじゃ!?」

「私達にも希望はあるぞ!」

 おー! と盛り上がる。

「そっか、揉めばいいのね」

 それは妙案とばかりに、姫は侍女の胸を揉む。

「きゃー!」

「ふふ、あなた中々いいじゃない?」

「姫様、やめっ……!」

 その様子を恥ずかしそうに見る侍女にも、姫は襲いかかる。

「きゃっ!」

「なーにー? あなたも言うほど小さくないじゃない」

「あっ、姫様……んぅ」

「どうしたの? 二人とも変な声出して……?」

「あん……はぁ、はぁ、姫様ぁ〜」

「はぁ……ん、そんなところ……だめぇ」

 想像以上の姫のテクニックに、二人は悶える。他の侍女も、それを見ながら落ち着かない様子だった。

「あなた達も来なさい、大きくしてあげるわよ」

 無自覚な姫の攻めに、侍女達は虜になっていった。

「さて、逆上のぼせる前に上がりましょうか」

「は、はい……」

 果てた侍女達は、未だ余韻の残る快感にぼーっとしながらも、浴場を出る。それでも脱衣所の涼しい空気に気分も落ち着き、しばらく談笑してから外に出る。

「シャルレ=プレッツェル様」

 呼ばれて振り向くと、侍女達の笑顔がそこにあった。

 ――大分良くなった。

 一緒に入る前は事務的な硬い表情で、つまらない感じだったのが、今では生き生きとしている。

「お誘い頂き、本当にありがとうございます!」

「いえいえ、どういたしまして。また一緒に入りましょ」

「はい!」

 生き返ったような彼女達を見て、これからは侍女達と一緒にお風呂に入る交流というのも、定期的にやってみようかと、姫は思った。

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