第34話「侍女クレア」
「帰るのも久しぶりね」
馬車に揺られて車窓から王国を懐かしむのは、シャルレ=プレッツェル姫だ。偶然なのか、騎士長の夢に出てきたような薄桃色のドレスを着ていた。
「50日ぶりですから、皆の顔も懐かしくなりましょう」
向かいに座るのが侍女のクレアである。王宮の侍女の中から姫付きに選ばれるという名誉を賜り、50日もの長きに渡り姫に奉仕してきた。
黒髪を白いカチューシャで留め、ブラウンの大きな目に、スッと通った鼻筋と小さい口が人形のような可愛らしさを持たせる。背もそれほど高くなく小柄なのが、より一層印象を強める。
「クレアはしばらく休暇取っていいからね」
「よろしいのですか……?」
不意に思わぬ休みを頂けると聞いて、戸惑いながらも淡い期待を抱く。
「もちろん、ここまであたしに付き合ってくれたんだから。あたしが出せる額は少ないけど、賞与も出すからゆっくりのんびりしてね」
「ありがとうございます……!」
姫の優しさと思いやりを受け、思わず感涙を流す。
「ちょっと、なに泣いてるのよー」
笑いながら姫は侍女の涙を拭う。
「すみません、すみません……」
クレアは優秀な侍女というわけではなかった。貧しい下町の生まれで、気配りと器用と見立ての良さを買われて侍女にと誘われた。知り合いにたまたま侍女がいたため、その人の目に止まったのだ。
その後は寝る暇も無い程に忙しい毎日が続き、晴れて侍女として王宮に仕えることになった。そして人生最大の幸運が訪れる。それがシャルレ=プレッツェル姫との
姫はシックスセンスが並外れた人物で、幼い頃から政治や経済などの重要項目に対して指摘をしていた。初めはまぐれと思われたが、あまりの的確さに大臣も舌を巻いたものだった。
その姫がセンスで直感した侍女こそが、クレアである。ひと目見て「あなた、私の侍女になりなさい」と直接スカウトし、その時から外遊にもクレアを連れて行くと姫は決めていた。
そしてクレアは、姫の思っていた通り――いや、それ以上か――の働きをしてくれた。
「さて、まずはお父様――国王陛下へご挨拶しないとね」
「……はい! 出迎えに騎士長様がおられる筈です」
「へぇ、騎士長が。楽しみね」
騎士長がまだ騎士だった頃から、姫は騎士長とよく会っていた。時には剣術の手ほどきを受けたこともあったが、ほとんどは他愛のない話に時間を費やした。
「ちゃんとやってるといいけど」
馬車がゆっくりと止まる。目の前に王国の下町が見える。50日前と変わらずの活気ある姿に姫は安堵した。
「そうだ、クレアの実家に寄りましょうか」
「えっ!? いや、そんなお気遣いなく!」
「いいって、どうせ忙しいからって帰ってないんでしょ?」
「えー、いや、その、まぁ……」
図星をつかれてしどろもどろになるクレアを見て、姫はくすくすと笑う。
馬車は姫の指示通りにクレアの実家へと向かう。道中、見慣れない馬車を物珍しく見る町民が数人、何事かと後を付いてきた。
実家の前に停まると、目立つ馬車に人目が多く集まる。
「クレア?」
たまたま外に出ていた40後半と思しき女性が、馬車から降りる侍女を見て呟く。
「えーと、……ただいま、お母さん」
「クレアなの!? もう連絡も寄越さないで! あんた! ちょっと来て!」
なんだなんだ、何事だと家の奥から眼鏡を掛けた冴えない男性が出て来る。
「どうした? ――クレアか?」
「お父さん、ただいま」
「お前、仕事どうしたんだ?」
「今、終わって帰ってきたところなんです」
代わりに説明したのは姫だった。
「あなたは……」
「お初にお目にかかります。
「シャルレ……?」
眼鏡の父親が分からずにいると、母親とクレアが左右から「シャルレ=プレッツェル姫よ!」と耳打ちされる。
「ひ、姫? 王女殿下!?」
ようやく相手が誰か理解し、その場に平伏す。
「こ、この度はとんだ無礼を! お、お許しください!」
「お気になさらないで下さい。滅多に表に出ることもありませんので、分からなくても無理はありません。それに姫なんて言われても、大したことないんです」
そう言って、平伏した父親の手を取る。
「どうか、顔を上げてください」
「お、王女殿下……!」
「クレアさんには、長旅の疲れを癒やして欲しいので、少しばかり長めの休暇を取るように言ってあります。久しぶりの家族団らんを楽しんで下さい」
「あ、ありがとうございます!」
父親は、相手が姫ということも忘れ、力強く握手して手を振る。
「ちょ、ちょっとお父さん!」
「いいのよ、クレア」
慌てるクレアに、大丈夫だと姫は笑顔を見せる。
「では、また迎えを寄越すから、クレアは後から王宮に戻ってね」
「えと、しかし報告などは……」
「そんなの気にしないで、私から言っておくから。戻ってからでいいわ。そうね、10日後でいいかしら?」
「そんなにいいんですか!?」
「構わないわよ。だってあなた、王宮に来てから休み無しだったでしょう?」
「うっ……」
そう言われると、侍女として早く一人前になりたいと、全く休み無しで働いていた。
「ふふ、頑張ってきたご褒美よ。賞与のほうは明日にでも一部届けさせるわ。じゃ、また後でね」
「はい! ありがとうございます!」
姫は馬車に乗ると、王宮へと向かっていった。
「……」
嵐が去ったように、両親はぼーっとしていた。周りの人間はなにがなんだか分からない様子で遠巻きに見ていた。
「えーと……」
口が半開きになったままの両親を見て、クレアは少しばかり戸惑いながらも、
「ただいま!」
と実家へ戻ったのだった。
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