第32話「姫の夢舞踏」

 深く、深く、沈んでゆく。光が遠のき、やがて暗闇となる。

「……て」

 声が、どこからか聞こえてきた気がした。

「……きて」

 どこか懐かしい。心地良い声だ。

「おきて!」

 ハッとなって起き上がる。

「……ここは?」

 どこだ? 一面の花畑。心地良い陽気に風が頬を撫ぜる。

 上を見ると、見たことある巨木。そして――。

「やっと起きた?」

「姫?」

 そこに居たのは紛うこと無く姫だった。

「もう、戻られたのですか?」

 陽光に煌めく金色の髪、人の心まで見通すようなコバルトブルーの瞳、白磁のような肌に花の姿のような可憐な美しさ。

 姫だから美しいのだと言う輩もいるが、総じて美しいわけではない。美は地位には比例しない。だがこの姫は、その中にあって別格の美しさを誇る。

「なにを言っている? 寝ぼけているのか?」

「姫は……外遊に出られたのでは……」

「外遊? そんな予定はないぞ?」

 どうなってる?

「そんなことより、約束は守ってくれるんだろうね?」

「約束?」

 ほうけていると、姫は悪戯に笑みを浮かべながら迫る。

「まさか忘れたとは言うまいな? 騎士長ともあろう者が……」

 指先を騎士長の胸に当てると、スーッと下へなぞっていく。甲冑を着ていないために、感触が生々しく伝わる。

「……ッ!」

 ふふっ、と笑うと立ち上がる。

「さて」

 姫の見る方を向くと、そこには王宮があった。

 王宮にこのような場所があったとは……。

 穏やかな風に姫のドレスが揺れる。薄桃色にフリルの付いた女性らしいドレスは姫の性格にミスマッチのようで、しかし似合っていた。

「では、行こうぞ」

「はっ、お供致します」

 目の前の光景は、戦火に包まれた王都が映る。

「姫はここで――」

「ならぬ」

「姫?」

「わたしがここで退いてなんになる」

 決意の火を宿した瞳で戦火を見つめる。腰にある細身の長剣を抜き、目の前に現れた敵に向ける。頭が三つある犬のような獣は、姫の軽く5倍は体高のある魔物だった。

「臆するでないぞ!」

「姫!」

 飛び込み、剣を振るう。まるでアイラのように機敏に、そして舞うかのように軽やかに動く。

 ――いつの間にあのような。

 剣の指導をしたことはあった。しかし数回程度だ。これほどまでに立ち回れるようになっておられるとは。

「姫には天賦の才能がおありだったか」

 嬉しい成長を見て、騎士長は笑顔になる。そして姫の舞踏会が終わると、三つ首の魔物は地面に倒れた。

「お見事です」

「わたしが騎士長になったほうがいいかな?」

 悪戯に笑う姫の後ろでは、既に戦火は収まっていた。小さく白いものが降り出す。

「これは……?」

 騎士長が不思議に見ていると、「雪だよ」と姫が教える。

「雪? これが……」

 王国には雪は降らない。初めてみる雪というものに、騎士長は見入っていた。

「さて、では帰ろう」

「どちらへ?」

「声が聞こえないか?」

 耳を澄ますと、誰かが呼ぶ声がする。

「この声……」

 そうだ、俺は帰らねばならない。

「姫、またお会いしましょう」

「会いに来れたらな」

 突然、景色は闇にさらわれ、意識は次第に浮上していく。

「起きて!」

 薄らと目を開けると、そこに飛び込んできたのはアイラの顔だった。

「アイラか……」

 今のは、夢か……?

「いかん、姫の警護を――」

「寝てろ阿呆」

 起きようとして、アイラに戻される。

「なにをする」

「今の状態、分かってないだろ?」

 ――状態?

「騎士長様!」

 そこへ水鳥がやってくる。なにやら慌てた様子で、なにかあったのか?

「どうした?」

「もう! どうしたじゃないですよ! 心配したんですから!」

 訳が分からずにいると、アイラが「はぁ」と呆れたように溜息をつく。

「あんた、倒れてたんだよ。執務室でね」

「執務室で……」

 そうだ、思い出した。姫の警護について考えねばと思ったところで、意識が途絶えたのだった。

「ここは?」

「あんたの自宅だよ。悪いけど勝手に開けて入ったよ」

 周りを見ると、なるほど確かに自分の家だ。外はもう日が傾き夕暮れ時になっていた。そこでふと、の事を思い出した。

「アイラ、すまんが一つ頼まれてくれないか?」

「なにを?」

 侍女のことを耳打ちすると、アイラは呆れ顔になりつつも承諾してくれた。

「あんた、ろくな死に方しないね。もうだから、あたしは戻るよ」

 アイラは水鳥に、すまないが戻る時間だからと言い残し、伝令に走ってくれた。

 ――ふっ、借りを作ってしまったな。

 なにか、夢を見ていたが……どんな夢だったか。それはいいとしても、明日の警護はどうしたものか。

「水鳥、すまんが医者を呼んでくれないか」

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