第31話「姫の帰国」

「リゼルだと?」

 騎士長とは違い、書類や本が散乱した部屋で仕事をしているのは大臣である。毎度この部屋を訪れるのは騎士長にとっては苦痛だった。

「はい。リゼル・コードです」

「そいつがそう名乗ったと?」

「はい」

 大臣は筆を止めると、長い溜息をつき、ポツリと「リゼルか」と呟く。

「奴は自ら去った。今更なんの用だ?」

 大臣に報告する時は、国に関わる重要案件である。もちろんメア・ドラグノス戦の時も、直接ではないが伝えてあった。

「他にはなにか言ってなかったか?」

 ――竜の子。

 それは伝えねばならない。王国に忠誠を誓う騎士の中でも長を務める立場であるなら、なおさら。

「竜の子を、

「竜の子だと? なんだそれは、ドラゴンの子供でも探しているというのか?」

「はい。彼はそう言っていました」

「どういうつもりだ……まさか、妙な企てはしておらんだろうな?」

 鋭く騎士長を睨む。伊達に騎士として第一線を経験していない。まるで鼻先に剣を突きつけられるような鋭さがあった。

「決してそのようなことは」

 ――企てたところでなんになる。

 騎士というものは、王国への忠誠もあるが、大臣へ信頼を売っている。言ってしまえば国相手の商売のようなものだ。下手に企てをしたところで、自らを破滅させるだけだ。

「なら、いいがな」

 再び筆を取って書類業務を再開する。

「とりあえず、リゼルのことはお前に任せる。場合によってはを動かす」

「王の剣を?」

 騎士長は予想外の言葉に表情が険しくなる。

「何故です?」

「騎士で足らんということではない。万全を期す。それだけだ」

「……分かりました。では、失礼します」

 ――万全を期すか。

 それだけリゼルを警戒しているということだろうが、騎士長には気に入らなかった。

 それなら何故、メア・ドラグノス戦に動かなかった? ……アイラか。

 それしか理由は思い浮かばなかった。仮に騎士だけで対処しなければならないとしたら、王の剣も動かしただろう。だがアイラがいることによって事情は大きく変わった。つまりアイラを試したのだ。そして今回はそのアイラを疑っている。竜の子のことはぼかしたが、大臣は端からアイラを信用してはいない。今度ばかりは王の剣を動かす機と見たのだろう。

 ――どこまで見ているのか。

 昔から食えない男だとは思っていたが、ここに来て腹の中が見えないほど厄介なものはないな。

 大臣の執務室を出て王都へ向かう途中、侍女の一人に呼び止められた。

「騎士長様、国王陛下がお呼びです」

「分かった」

 陛下が侍女を使い、自ら? 何事だ。

「それと……あの」

「なんだ?」

「今宵は、お時間ありますでしょうか……」

 ほんのりと頬を赤らめるそれは、一人の女だった。

 小柄で三つ編みとメガネが地味な印象を与えるが、体のほうはそこらの娼婦よりも素晴らしい。三つ編みを解き、メガネを外した彼女はまるで別人のようになるし、ベッドでは魔性の魅力がある。

「構わん。お前とも久しぶりだからな、待っていろ。遅くなるようなら伝令を飛ばす」

「はい、分かりました」

 嬉しそうに言うと、小走りで去って行った。

 王宮に仕える侍女を抱くというのは、中々にスリルが伴う。それはそうだ、なにせ国の女を抱くのだから。それ故に騎士長は最低でも30日の時間を置き、向こうから求めるよう仕向ける。そうすることである程度はリスクを軽減できるからだ。

「さて」

 思考を切り替えると、謁見の間へと向かう。

「失礼します」

 赤と金で派手に装飾が施された扉に入ると、壮麗な部屋と大きな天井が圧巻としてそこに在った。そして赤い絨毯の向こう、50メートルほど先に国王陛下が居た。

 これほどまでに長いのは、万が一攻撃されたとして届くことがないようにという安全の為だ。仮に全力疾走しようと、魔法を使おうと、投擲をしようと、届くまでには落ちるか落とされる。天井が大きく広いのも、その距離感をすぐに掴ませないようにという用意周到な設計の元である。

「お呼びでしょうか、陛下」

 片膝を床について頭を垂れる。

「うむ。面を上げよ」

 一拍の間を置いて陛下を見上げる。

「お前を呼んだのは他でもない。実はな、娘が明日帰国するという報せが入った。そこでお前に出迎えとここまでの警護を頼みたい」

「姫が?」

「そうだ。頼めるか?」

 ――よりにもよってこのタイミングとは。

「身に余る光栄に存じます。しかしながら、わたくしなどよりも王の剣たる人物が本来であれば相応しいのでは?」

「剣は剣よ、警護には向かぬ。それとも、不服か?」

 有無を言わせぬ重圧感プレッシャー。王の威厳は歳を刻むごとに増していくように思えてならない。

「いえ、決してそのようなことは。生意気にも無礼な発言、申し訳ございません」

「よい。では頼んだぞ。下がれ」

「はっ」

 騎士長は謁見の間を出てそのまま王都へと戻り、自らの執務室へと入った。鍵を掛け、椅子に深く腰掛ける。

「はぁぁぁ……」

 深く長い溜息を吐き出し、ようやく落ち着く。ここに落ち着くまでは下手なことは言えない。もし陛下の耳に入るようなことがあれば、文字通り首が飛ぶことだってあり得る。

「姫がこのタイミングで帰国されようとはな」

 外遊に出ているのは知っていた。スケジュールを把握出来ていれば、タイミングもおおよそ把握出来ただろう。しかし最近はそれどころではなかった。アイラに魔物に巣に、挙句にメア・ドラグノスだ。そしてここにリゼルという問題もある。黒剣の研究もまだまだこれから。片付いているのはメア・ドラグノスだけだ。

 ふと、兵長が羨ましく思えた。以前アイラの仲間であるアモルを紹介したが、今なら兵長の気持ちもよく分かる気がする。騎士長がもう一人欲しい。

 一番の厄介は、姫の出迎えと警護が騎士長に任されたという点。これが騎士達にということであれば、騎士長は指揮という立場で他の仕事が出来たであろうが、指名されては逃げようがない。

「明日の業務は停止だな。他は水鳥に任せるか」

 今のところ、第二の騎士長と言える右腕は彼女しかない。隊長格ですら騎士長としての業務は無理だろう。自分にしか出来ない業務は停止し、他は任せよう。

「明日の警護を……考え……な」

 騎士長の意識は次第に朦朧もうろうとし、そこで途絶えた。

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