第26話「新たな予感」

 騎士長の自宅に娼婦以外の女を招くのは――それも地下ではなく客として――初めてのことだった。

「へぇー、こんなとこで一人暮らししてたんだ」

 物珍しそうにキョロキョロと周りを見るアイラは、まるで探検している子供のようだった。

「見てもなにもないぞ」

 まあ座れ、とアイラをソファに促す。

「貴様こそ珍しいな、夜は出ないんじゃなかったか?」

 そう、アイラは夜外にいられないということは、騎士長も知っている。ただし、月が最大の要因であることは、未だに知られていない。

「今日は大丈夫なんだよ」

 今日は空が厚い雲で覆われ、月明かりがほとんど届かないため、少しなら出歩けた。

「ほう、それは初耳だな。酒は飲むか?」

 アイラが頷くと、騎士長はテーブルの天板を開けてグラスを取り出す。

「わざわざそんな仕掛けを?」

「まあな、ごちゃごちゃして見えるのが嫌いなだけだ」

 そう言えば、執務室も本が整然と棚に並べられ、床は綺麗で書類はテーブルにきっちり積まれていた。わりと潔癖なんだな。

「こいつしかないが」

 と言いながら球氷をグラスに入れ、ウィスキーを注ぐ。

「構わないよ」

 そう言うとアイラは一気に呷った。

「ほう」

 騎士長はその飲みっぷりに目を見張り、感嘆の息を漏らす。

「いける口だな」

「まあね。もらっていい?」

「好きなだけやれ」

 先程より多めに注ぐが、それもまた一気に呷る。

「あたしにそんなこと言ったら、これじゃ足りないよ?」

 そう言って瓶を指差すアイラに、騎士長も苦笑する。

「次に来る時は、樽を持参して来い」

「はは、そうするよ。美味しかった」

 グラスをテーブルに置くと、アイラは表情を変える。

「騎士長、あたしは魔物の巣へ行こうと思う」

「……本気か?」

 魔物の巣は、メア・ドラグノスが消滅した後も、消えることなくずっとそこに在った。ただ空間が歪んでいて、まるで壁があるかのように中には入れない。調査団が何度か挑戦して試行錯誤したが、全て効果が無かった。

「証拠はないけど、確信はある。魔物の巣は完全な人工物だ」

「……やはり、そう思うか」

「あんたも気付いていたんでしょ? 薄々と」

「ああ、まあな」

 あれがドラゴンによるものであれば、ドラゴンの居城があってもおかしくないが、そんなものはない。魔物自体は発生するが、巣が自然発生するなどあれば、それこそ文献に残っていないほうがおかしい。

「だが、行けるのか?」

 いくらアイラとはいえ、空間の歪みをどうやって越えるというのだ……。

「そこはまあ、任せてよ」

 妙に自信ありげなアイラは、なんだかんだ言いながら、勝手にウィスキーを注いで呷る。

「……ふぅ、ごちそうさま。そろそろ行くよ」

「ああ……」

 改めて、まじまじとアイラを見ていた。あれほど鮮烈に記憶に残るアイラとは、やはり別人だ。媚薬がそうさせていただけなのか、あの時ほど性的な魅力は感じられない。

 ――参ったな。

 これでは、まるで……。

 そんなことを考えていると、突然アイラがなにかに反応したのを見た。

「どうした?」

「……遠い、下町のほうだ。わりと大きめの爆発音がした」

「なに?」

 アイラの耳は、呪いによって鋭くなっている。どうやったか知らないが、訓練によって今は日常の音ぐらいは平気になったらしい。しかし今のように、異常に関しては非常に敏感だ。

「先に行く。あんたも来るだろ?」

「当たり前だ、すぐに追いつく!」

 なんだ、まだあれから一週間しか経っていないというのに、新たな問題か?

 この時はまだ、大きな歯車を回すための小さな出来事だと、二人は知る由もなかった。

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