第20話「メア・ドラグノス戦⑤」

 アイラと騎士長が戻ると、異様な光景が、そこにはあった。

「なんだ……あれは?」

 思わず騎士長も絶句したそれは、先程までのメア・ドラグノスだと理解するのに、かなりの時間を要した。ガスを吹き、ヌラヌラとした気色悪い表皮は脱ぎ捨てられていた。精悍な顔立ちと、銀色に輝く鱗が美しく、見ただけで相手を射殺せるほどに鋭い瞳が、額に増えていた。美しい曲線を描く角は、今にも天雷を呼びそうであり、威厳すら感じられるドラゴンの姿が、毅然としてそこにあった。ギョロ目と触手はそのまま残されているようで、それが更に異様さを際立たせていた。先程、アイラが苦労して切断した脚は再生され、倒れ込んでいたのが嘘かのように、今初めて会ったかのように、世界の絶望が、そこに居た。

「ドラゴン……」

 やっとの思いで、アイラが口に出来た言葉だった。あれは、メア・ドラグノスなのか? 誰がどう見ても、あれはドラゴンではないか。魔物からドラゴンが生まれた? そんなこと、あるはずがない。じゃあ、どうして……。

 時が止まったかのように、誰もが動けないでいると、それは動いた。

「ギャワワワワォーーー!!」

 鼓膜がやられそうな程の高周波音。もはや超音波に近い声で叫び、雄叫びを上げるかのように、天に向かって同じように叫ぶ。

 これはドラゴンなんかじゃない、メア・ドラグノスだ!

「退けぇい!!」

 騎士長の号令と、魔物が動くのとは、ほぼ同時だった。そして、騎士がほふられたのも、ほぼ同時と言えた。小石のように、あるいは小枝のように、数十人の騎士が宙を舞った。鮮血が雨のように荒れ地に降り注ぎ、地面をあかく染め上げる。まるで大地が血を飲み干すかのように、あっという間に吸い込まれて、ドス黒い色だけが生々しく残る。そこへ、騎士達のものと思われる肉片や身体の一部、臓物などが無残に撒き散らされる。魔物が動いただけで、この有様である。

 これが――天災級アガータスクラス

 これが――メア・ドラグノス。

「アイラ……どうすればいい?」

 初めて対峙する絶望に、騎士長が指示を請う。人間相手や、魔物とは幾度となく戦ってきた。全てに無敗で、全てを圧倒していた。故に、これ程の重圧や恐怖を感じたことがなかった。そういう人間は、得てして弱く、脆いものである。

「アイラ……?」

 隣を見て、寒気が走った。笑っている。傍から見ても、興奮を抑え切れないという様子が分かる。


『バケモノ』


 脳裏に一瞬、よぎる言葉。

 呪われてるとはいえ、所詮は少女。そんな考えが、騎士長には会う前からずっとあった。先程交わっていた時も、彼女は女だった。惚れ惚れするほど美しく、乱れていた。呪われずに育ったなら、世の男全てを虜にしてしまいそうな、そんな末恐ろしさを感じた。そんな彼女、アイラが、今はメア・ドラグノスよりも恐ろしい。初めて対峙した時、久しぶりに本気を出せる相手だと確信した。自分に届くか届かないか、そのぐらいだろうと踏んだ。しかし、今ハッキリと確信できた。彼女は、アイラは。もし本気で戦う日が来たら、万に一つも勝てる見込みはない。情けない話だ……今は心底、敵でなくて良かったと思う。

 だが、それは俺個人のことだ、今は関係ない! 俺は、騎士長だ!

「止まるな! 怯むな! 怖気づくな! 各隊、生存者を率いて戦線を一時離脱せよ! 無駄死には許さん!!」

 戦術的退却、今取れる最善策は、これしかない。

「アイラ!」

「なに?」

 タガが外れかかっているのは、やはりメア・ドラグノスの影響だろうか……それでも、返事はしっかりしているし、意識はハッキリしているようだ。

「我々は態勢を立て直す。大した援護はできんが、出来る限りのことはする」

「そう。それこそ、下手に動いて死なないようにね」

「……それと、もう少しで、強力な援護が出来るはずだ」

「強力な援護?」

「今詳しく話している暇はない。ただ、黄色い信号弾が王都から打ち上がったら、念のために魔物から離れた方がいい」

「黄色い信号弾か……」

 アイラは、ちらりと王都を見遣る。

「分かった。騎士長は離れてて。それと」

「なん――」

 アイラの顔が目の前にあった。口付けだと気付いたのは、アイラが離れて、悪戯な笑みを浮かべ「さっきはありがとね!」と言って、戦いに走って行った時だった。

「…………」

 バケモノかと思えば、心を奪っていく。いつの間にか、騎士長はアイラに惹かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る