第18話「メア・ドラグノス戦③」

 あれは……。

 その男は、薄暗い部屋で、大きな円卓に映し出されたその女を見て、もしやという考えが浮かんだ。

 いや、しかしそれは有り得ない。あの時、私がこの目でしかと見たのだから。

 あれを、地獄と言うのだろう。向かうも死、引くも死、立ち向かうことさえ馬鹿馬鹿しい。しかしそれでも、死ぬことに臆病し、生に執着した。例え独りになろうとも、腕や脚が千切れようとも、生きる、生きて帰ると。心臓は早鐘のように限界まで鼓動を加速させ、脳は常に最善の一手を模索し、常に剣を正面に構え、絶望から目を離すことはなかった……いや、離せなかった。汗は止めどなく流れては直ぐに乾き、動悸や目眩、耳鳴りまで聞こえ、自分が今何処どこに立ち、何をしているのかすら、気を保っていないと見失いそうになる。

 混乱と混沌の渦に飲まれた男を呼び戻したのは、少女の声だった。極限状態の男に、どうして聞こえたのかは、今なお分からない。しかしその時は、ハッキリと、まるで直接響くかのように聞こえたのだ。

「やめてーっ!!」

 その声で解き放たれた私は、無我夢中で絶望に立ち向かい、打ち勝った。あれを奇跡と呼ばず、なんと呼ぶのか。そして、あの光が空間を一瞬支配した。幸い、私は物陰に居たため、光を浴びることはなかったが、勝利の女神となった少女を探すと、光を浴びたらしく、出入り口付近で倒れていた。顔面蒼白で呼吸もなく、脈拍もなく、ぐったりとしていた。こんな所で、一体何者なのか? それもまた、男の人生最大の謎であった。なぜ、やめてと叫んだのか、なぜ、こんな所に? いくら自問自答したところで、勝利の女神として降臨した少女は、もう戻らないのだ。

「面影は、ある」

 改めてその女、アイラを見る。見れば見るほど、あの少女に似ている。だが、彼女は死んだのだ。確かに、脈も呼吸も止まっていた。

「……有り得るのか」

 もしそうだとしたら、今度は、その勝利の女神を殺さないといけないかも知れない。

 いや、違う! そんなことがあるものか、あってたまるものか! 人間が蘇るというのであれば、生き返ることが出来るというのであれば、私は彼女を……!

 最近では忘れていた――忘れようと努力していた――最愛のひとを、思い出してしまった。

 人生を狂わせたのは、ドラゴンだ! あんな怪物さえ存在してなけりゃ、私は今も、彼女と一緒に……!

 そこまで考えて、ハッと現実に引き戻された。魔物が倒れたのだ。

「まさか!」

 しかし、何度見ても、魔物は地面に倒れていた。

 ここで終わってたまるか!

 薄暗い部屋を出ると、明るく白い廊下が左右に伸びていた。左に向かって進むと、突き当りに【関係者以外立入禁止】と大きく書かれた扉があった。横の壁に描かれた円形の模様に、首から下げているカードを当てると、模様が緑色に光り、扉が開く。部屋の中はあまり広くなく、モニターやら機械が所狭しと設置されていた。

 男は操作するための椅子に座ると、斜め前にある、先程と同じような円形の模様にカードを当てる。すると、また緑色に光り、【管理者:リョウジ カガミ】と、正面の大きいモニターに表示される。

「一体、なにが起きてるんだ?」

 機械を素早く操作し、魔物の状態ステータスを正面の大きいモニターに表示する。魔物の簡単なイラストが表示され、足の部分が赤く点滅していた。

「足が、全部やられてる?」

 馬鹿な、ドラゴンの爪でやっと傷が付くほどの硬さだぞ? どうやったら短時間でここまで出来る!?

 想定外の事態に、リョウジは焦りと緊張を覚える。

 この魔物の準備に、一体どれほどの年月を費やしたと思っているのか!

 人生の大半を費やした研究成果が、目の前でいとも容易く壊される。リョウジという男にとって、これほどの侮辱はなかった。

「クソォーッ! クソクソクソクソッ!」

 リョウジの目に、危険色で警告する蓋で保護された、赤いボタンが映る。激しい憤りに我を忘れ、半ば自暴自棄になり、押してはいけないそのスイッチを押した。

 どうせ、ここが見つかることはない。それに、研究施設のバックアップはある。またいい。ならば、最終手段もいとわない!

 最後に押したスイッチは、天災級アガータスクラスの鎖を解き放つ、禁断のスイッチだった。

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