一章

第1話「生き残り」

 ――王国歴137年


 とある人里離れた森の中、開けた場所に流れる川でアイラは沐浴もくよくしていた。

 暖かな日差しに、川のせせらぎが耳に心地良い。大自然を感じながら誰に気兼ねすることもなく裸を自然に預けることの心地よさは、都会の人間には想像もできないだろう。人間の視線がないことで、より開放感がある。

 沐浴を終えると朝食の買い出しに町へと向かう。人間嫌いというわけではないが、人間社会で暮らすことが困難なアイラは自ら人里離れた所で暮らしている。サバイバルが得意ならよかったのだが、残念ながらそういった技術にはうといため、食料は町へ買い出しに行くしかない。

 町に着くと、いつもより賑わっている。――というよりも酒場の前が騒々しい。近くの人になにかあったのか尋ねると、どうやらドラゴン討伐隊の生き残りがいるらしい。

 一年前、〈孤立の洞窟〉が地図から消えたというのはアイラも聞いたことがあった。それがドラゴン討伐隊と関係があるだろうことは誰もが察せるところだ。

 だが話しによれば討伐隊は全滅。生き残りはいないはずだが……。

「ちょっとごめんよ」

 野次馬らしき人混みに割り込んで酒場の中に入ると、見るからに憔悴しょうすいしきった30代の男が隅っこで酒を飲んでいた。

「あれが生き残り?」

 酒場のマスターに尋ねると、男から逃げるようにアイラへと寄ってくる。

「アイラちゃん! よかったー!」

 マスターは男なのだが、女のような振る舞いをする。本人曰く、男であり女でもあるという複雑な人だが、アイラに対して普通に接してくれる数少ない人でありアイラが信頼する一人でもある。

「そうなのよ! いきなりふらっと現れて、お酒を飲みながらずっとあの調子」

 あの調子とは、おそらく独り言のことだろう。ここでも聞こえるぐらい大きい独り言だ。出入り口の野次馬もそれが目当てだろう。

「……だよ、誰だよ、ドラゴン討伐なんか……あんなの、人がやることじゃない……」

 ぶつぶつと呟く。というよりは、延々と虚空に向かって愚痴を言っているようだ。

「アイラちゃん、話聞いてあげてくれない?」

「なんであたしが?」

 明らかに嫌そうな顔をするアイラに主人は真剣に語る。

「あの人、アイラちゃんと同じとまでは言わないけど、似てるのよ」

「似てる?」

「そう。ここに来たばかりのアイラちゃんにね」

 それを聞いたアイラは苦虫を噛み潰したような顔をする。思い出したくもないあの頃が脳裏に浮かぶ。だが、それを主人に言わせるほどに、あの男もしたのだろう。

「……分かった。マスターにはいつも世話になってるからね」

 アイラは主人から酒を受け取ると、男の前に座る。

「だから、あいつら、だから、俺は……」

「ちょっといい?」

 アイラの存在に気付いたのか、男が独り言を止める。

「……なんだ、あんた」

「ここのマスターに頼まれてね、あんたの話し相手さ」

「話し相手だと……? ははは、無理しないでいいよ嬢ちゃん。嬢ちゃんは綺麗な世界だけ見ていればいい……」

「綺麗な世界なんて、どこにある」

 影を落とす、重く刺さる言葉に、男はアイラを凝視する。

「世界は理不尽で回ってるんだよ。綺麗な世界なんて、頭の中にしかない」

「そう、かも知れないな。はは、ははは……」

 必死に抑えようとしているが、アイラにはその前兆がハッキリと分かった。

「酒で誤魔化せるほど甘いもんじゃないよ。は」

 その一言で、男は切れた。

「があああああッ!!」

 アイラの顔を力任せに殴り倒し、マウントを取って首を締める。

「お前にィ! お前のような小娘に何が分かるッ!! アアアアア!!!」

 経験者の発作。衝動と言ってもいい。ドラゴンと対峙した人間は、直接触れずともその空間に少しいるだけでドラゴンの強力な瘴気に触れてしまう。そのあまりに強い瘴気は人間の心身を蝕み、後遺症を残す。

 発作が起きると、興奮と恐怖と絶望の入り混じる最悪な気分にさいなまされ、ドラゴンとの戦いがフラッシュバックする。ほとんどの場合はそれが一生続くことになる。精神がズタズタになり人格は壊れ、人として生きていけなくなった経験者やその親族は安楽死を願う。

「あんたの気持ちは分からない」

 発作のせいで肉体のリミッターが外れた男に限界近い力で首を締められながらも、アイラは涼しい顔で男を睨む。

「でも、としてはよく分かる」

 男の額を指で軽くトンッと叩くと、禍々しい怒りと殺気が消えて男がフワッと後ろへ飛ばされる。

「マスターの店を壊すわけにはいかないからね、最小限にしといたよ。だろうけど、しばらくは大丈夫でしょ」

 呆然とする男とギャラリーを尻目に、アイラは席に戻ると酒をあおる。

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