お返事のようなもの

初めてコメントをもらって嬉しくて返事を書いていたらものすごい量になってしまい自分でもドン引きしたので、短く書きなおすことにしました。


まず読んでくださってありがとうございます……。

今確認したらフォロワーさんも2人いるしアクセス数もなんか思ったよりあって、

本当に僕の書いたものが読まれているのかと実感すると急に嬉しいような怖いようなかんじで緊張してきました。なんだか、誰も読まないだろうという気で書いていたので。


僕の小説のいろいろな出来の悪さについて、弁解しようと思っていたのですが、さっき書いたところ大変見苦しかったのでやめにするのです。ああ、苦しい。読まれていると思うと急に書けなくなってきた。どういうことだろう。


たぶん僕が小説を書いているのはもう読者のためじゃないんです。自分のために書いているんです。深夜、眠れない日、胃が痛いのか胸が苦しいのかわからないまま、ベッドから這い出してきて携帯端末をつかみ、痛い、苦しい、痛い、と叫ぶ代わりになにか文学らしきものを書いて、一通り書くと満足して収まって眠る。そういう暮らしをしています。もう何年も。嫌なことがあれば何か書かずにはいられないんです。そうでしょう? 僕はつらかったことをつらかったとそのまま人に言うのが耐えられません。言うのも聞かせるのも堪えられない。聞くのはもっと嫌です。だから関係ない話をする。それで紛れるんです。いまはこのサイトに書いていますが前は端末のメモ帳、その前はパソコンでワープロソフトに、その前は紙のノートに書いていました。とても人が読めるものじゃありません。


僕がどうしてこんな習慣を持つに至ったかというと三年間の文芸部での暮らしのせいだと思います。県では有数の文芸部で(といっても5校中で1番か2番かとかですけど)、二年生からは部長を務めていたので、それなりに、まあ関係ないんですけど、それなりに小説の修行を積んできたつもりです。ではどうして基本的な技術が欠けているんでしょう? 思い出した! 起承転結は物事の進み方としては不適切だと思うんです。読むために整えられすぎている。現実はもっと無機質な秩序に沿っていて、人が見て面白いと思うために起こる出来事なんでひとつもないんです。でも小説だからそう書いたほうが面白いでしょう? そうです。でも僕はそれより大事だと思って昔から何か別のルールに従って小説を書いている。無意味じゃないんです。何か目指すところがあってそうしていた、はずなんです。今はわからない。今は思想は抜け落ちて手癖だけが残っている。プロットを作らないのもそのせいです。確か何度か、物語の背景をきっちり決めて小説を書いたことがありました。ここが山場で、とオチから何まで決めてです。で、できたのは何の変哲もない駄作でした。どこにでも溢れている。全然面白くないわけじゃない、たぶんこのへんが面白いんだろうなあと理解はできる。でもなんというかそれは僕の理想とはもう全く違うんです。書きながら自分でも結末がわからない、いや結末や展開は僕の心の中で定まっているのだけど、それを頭では理解できない。その場面場面に魂がこもっているような、そんな小説を書きたい。書いてどうするか? 売れるのか? 人はそれを読みたいのか? それは、……また別の話です。売れなくても、というか売れないほうが自然だと思っています。


やっぱり長々と書いてしまった。

もうしばらくいろんなものを書くと思います。

よければ読んでください。本当に、拙い文章で申し訳ないですが。

それから知り合いの方、僕がもし死ぬようなことがあればこのサイトについて紙に書いて残し、遺書の代わりとするつもりです。

どうか僕の書いたことを誤解しないでください。

僕は誰を責めるつもりもありませんし、誰も恨んではいません。

ただ、誰かに責められたり恨まれたりするのを恐れています。

僕が死んだら、できたら都合の悪いことは忘れて、

ちょっとくらいいいやつだったな、と思ってゆっくり忘れていってください。

そういうわけで。

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