第七四話 ころしてでもうばいとるお話

「まずいな、これは……」


 雪が降り始めてから6時間後、既に辺りは闇に包まれていた。灯り一つない暗闇に包まれた道路を、暗視装置を身に着けて少年は車のハンドルを握る。しかし暗視装置越しの緑色の視界は、今や吹き付ける雪で真っ白に染まっていた。

 昼ごろから降り始めた雪は、時間が経つにつれて勢いを増していった。それに伴い気温も急激に低下していき、暖房を作動させているというのに少年が吐く息は白い。サイドミラーには雪の塊がへばりついたままだ。ワイパーがひっきりなしに動いてフロントガラスに付着した雪を払い落としているが、それも動きが鈍くなってきている。窓の下に雪が溜まってしまっているのだ。


 何よりも積もり始めた雪が、車の動きそのものを鈍らせていた。既に雪は少年の踝の上あたりまで積もり、地面を白一色に染め上げている。生憎スタッドレスタイヤは見つけられなかったし、雪が降りつける中タイヤを交換している暇もない。仕方なくチェーンを履かせて走り続けているものの、積もった雪のせいでタイヤが空回りする事態も起き始めていた。


 この分では、もしかしたら膝の辺りまで雪が積もるかもしれない。そうなったら数日は動くことが出来なくなるだろう。今や雪が積もったら除雪してくれる行政は機能していないし、雪かきをしてくれる親切な住民もいないのだ。一度雪が降ったら、溶けるまで待たねばならない。

 チェーンを着けたとはいえ、タイヤが完全に埋もれるほど雪が積もってしまったらどの道走ることが出来ない。その前に安全な場所を見つけておこうと少年は郊外へ向けて車を走らせていたのだが、辺り一面に広がるのは銀世界。道路すら今は雪の下で、左右には何も見当たらない。田畑が道路の左右に広がっていたのか、雪の中から生い茂る雑草が顔を覗かせている。


 もしもどこか避難できる建物が見つからなければ、雪が降りしきる中このワゴン車の中で数日を過ごさなければならなくなる。そうなった場合、待っているのは凍死だろう。マフラーまで雪に覆われてしまったらエンジンを掛けられなくなり、そうなれば暖房も使えなくなる。毛布や厚着だけでは、寒さ対策には限界があった。

 そうなる前に、どこでもいいから建物を見つけておきたかった。しかし地図を広げても辺り一面は田園地帯で、すぐ近くに民家などは存在していない。していても、そこに行くまでに狭い農道や畦道を通らなければならず、そんなところに車を走らせる技術は今の少年にはなかった。少しでもハンドル操作を誤れば、あっという間に田んぼの中に落ちてしまう。


 市街地に留まっておくべきだったかと一瞬考え、無駄な事だとすぐにその考えを頭から追い出す。後悔したところで、今の状況が変わるわけもない。それに街中でどこかの建物に隠れたとしても、雪から逃れるために感染者たちが続々と建物の中に入ってきて鉢合わせしてしまう可能性もある。

 もしも感染者と遭遇してしまった場合、逃げるのは難しいだろう。積もった雪に足を取られ、走ることが出来ないからだ。雪が降り始めた時点でそうなる事を予想し、市街地を離れていた少年だったが、その判断が正しかったのかどうかはわからない。


「ん?」


 雪が吹き付ける中、視界の奥に小屋のようなものが見えた。道路の脇に立つそれは屋根とベンチを備えたバス停だが、標識は錆びつき傾いている。こんな田んぼしかないような場所で、利用客はいたのだろうか?

 しかしバス停があるということは、少なくとも乗り降りする人間はいたということだろう。ならば近くに民家なり何なりがあるかもしれない。バス停の脇に車を停めた少年は、なるべく光が漏れないように電球部分を手で半分覆い、標識を照らした。いくら暗視装置とはいえ、文字まで読むことは出来ない。


『終点:小百合女学院』


 暗闇の中、どうにかその文字だけは読み取ることが出来た。しかし周囲に学校らしき建物は見当たらない。暗闇の向こう、どうにかその輪郭が見えてきた前方に広がる森の中に、その女学院があるのだろうか?

 地図を広げてみると、道路をまっすぐ行った森の中に、確かに高校を示す『文』を○で囲った地図記号が描かれている。余りに小さくて見逃していたのだ。

 ネットが使えればその高校について調べられたのだが、生憎今はその小百合女学院とやらに関しての情報は全くない。しかし学校施設ならば建物くらいは存在するだろう。今は雪や風を凌げる場所さえあればよかった。さらに森の中ならば、感染者にも見つかりにくい。


 迷っている暇は無かった。雪が止む気配はなく、こうして立ち止まっている間にもどんどん積もっていく。タイヤが埋もれて身動きが取れなくなる前に、どこかに避難しなければ。

 少年はアクセルを踏み、再び車を走らせた。ハンドルの利きが、かなり悪くなってきている。




 田んぼの先に広がっていたのは広大な森林だった。既に辺り一面は完全に雪に包まれており、雪の中からわずかに頭を見せるガードレールだけがどこに道路があるのかを示している。タイヤは何度かスピンし、車を押していくか、最悪車を捨てて身一つでその女学院とやらに行く事も少年は覚悟した。この調子では、いつ車が動かなくなってもおかしくはない。

 森の中には一本だけ道路が通っていた。枝葉から落ちる雪の塊が当たる中、車に曲がりくねった道路を進み、数分も経った頃、突然目の前に広大な空間が広がった。立派な校門と、その脇に『小百合女学院』の文字が彫られた大きな碑が並んでいる。その奥に見えるのは校舎らしき数棟の大きな建物だった。


 こんな森の中に学校を作ったのはなぜだろうか? 外から見た限り、この学校には寮もあるらしい。人気の少ない場所で悪い虫がつかないように、お嬢様たちを教育する学校だったのだろうか? いわゆる秘密の花園というやつだろうか。

 しかし寮があるのはありがたかった。少なくとも、生活できるだけの設備はあるということだ。閉じられている門を開くべく短機関銃片手に車を降りた少年は、その瞬間人の気配を悟った。

 この学校に、誰かがいる。半年以上のサバイバル生活で研ぎ澄まされた第六感が、そう告げていた。感染者に発見されにくい森の中で、おまけに寮という生活できる施設がある。先客がいてもおかしくはない。


 この場合、素直に頭を下げて滞在を認めてもらうしかないだろう。可能ならば、無用な争いは避けたいところだ。

 襲ってきた敵は殲滅するというルールを自らに課している少年だが、逆に言えば襲って来なければこちらも実力行使には出ないということだ。おまけに今回はこちらが生存者たちの領域に踏み込んでいく側で、いつもとは立場が逆だ。生存者たちが警戒するのは当然だろう。

 女子供も手に掛けたとはいえ、少年は自分は殺人狂ではないと自負していた。あくまでも殺人はやむを得ない時だけ。それ以外では戦闘は可能な限り避ける。戦いを続けられるほど、武器にも体力にも余裕があるわけではない。


 頭を下げて戦いを回避できるのならば楽なものだった。もしもこの学校にいる生存者たちが少年の滞在を認めなかったら、その時には実力行使に打って出るしかない。車は動かないし、この寒さの中他の建物を探して歩き回っていたら、その内体力を使い果たして凍死してしまう。滞在を断られたら、その時は銃の出番だ。


 滞在の代わりに何か物を要求された時にも、場合によっては戦闘になる。生き延びるため物資はいくらあっても困らないのに、それを他人に分けている余裕はとてもない。「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」という詩があるが、今は分け合っても物資は足りないのだ。生き延びたいのならば、奪い合ってでも物資を獲得しなければならない。

 特に銃だけは渡せない。渡した次の瞬間、その銃口がこちらに向けられることは十分考えられる。もしも相手が銃を寄越すように要求してきた場合は、問答無用で実力行使に出るつもりだ。


 ソードオフの散弾銃とM1Aライフルも手にした少年は、ライフルのスコープ越しに学生寮らしき建物を観察した。三階建ての建物の窓は全てカーテンが閉め切られ、中の様子を伺うことは出来ない。しかし一瞬だけ、最上階の一室のカーテンが揺れたのを少年は見逃さなかった。どうやら向こうもこちらを観察しているらしい。

 建物の入り口は暗くてよく見えないが、ガラス張りの昇降口の向こうにはバリケードが築かれているのが確認できた。昇降口の正面では、積もった雪に足跡が残っている。ついさっき、誰かが出入りしたのは確かだ。間違いなく生存者は寮の中にいる。



 あとは向こうの出方次第だった。亮の中にいる生存者たちは、確実に少年の存在を認識しているだろう。そして少年が滞在を求めて来ても、居留守を使うことは出来ない。

 滞在を許してくれるか、あるいはやられる前にやってしまえとばかりに先制攻撃を仕掛けてくるか。少年は後者だったらいいなと心の底で思っていた。もしも彼らが先に攻撃を仕掛けてくれば、その時は心置きなく「敵」にカテゴリーされた生存者たちを皆殺しにして安全を確保できる。そうすれば寝首を掻かれる不安もなく、この安全な場所に滞在を続けられる。


 もしも生存者たちが排他的で、銃を持っていたならばとっくに撃たれている頃合だろう。しかしまだ彼らは発砲してこない。銃を持っていないのか、あるいは持っていても判断を留保しているのか。それとも生存者たちは友好的なのか。

 しかし生存者たちが友好的に出迎えてくれたとしても、少年には彼らを信じる気はこれっぽっちも無かった。以前とある村に行った時、友好的に出迎えてくれた生存者たちが裏では陰謀を張り巡らし、危うく感染者のエサにされかけたこともある。頼れる者も、信じられる仲間もいない。誰も頼らない、信じない、それこそが少年が仲間を失っても生き延びられた理由だった。


 そろそろ寮の中でも、どう対応するか結論が出た頃だろう。来るなら来い、と少年は気づかない内に口角を釣り上げ、笑みを浮かべていた。自分の生存は他の何よりも優先される、たとえそれが他者の生命であっても。それが少年が定めたルールの基本事項だった。

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