第七五話 突撃!隣の晩御飯なお話

 ――――――その少年は、唐突に亜樹あきたちの前に現れた。


 この小百合女学院に立て籠もってから既に半年以上が経過していたが、その間学院の敷地から一歩も外に出たことがない亜樹にとっては、少年は久しぶりに見る「外」の人間だった。


 といっても、この学院に入学してからは、外に出たことなどほとんどなかったが。外出は厳しく制限され、たまに外出を許可されても門限は夜の8時まで。おまけに学院の周りは森に囲まれており、その外はだだっ広い田んぼが広がっている。一番近くのバス停まで歩いていくのに、30分以上はかかる。




「誰ですかね、あの人?」




 亜樹の隣、同室で一年年下のあおいが、カーテンのわずかな隙間から外の様子を伺おうとしていた。その首根っこを掴んだ亜樹は、慌てて葵を窓から遠ざける。




「ちょっと、危ないよ。見るからにヤバそうな奴じゃん。銃とかいっぱい持ってたし、しかもこっちに銃口を向けてきたよ」


「確かに銃は向けられましたけど、あれってこっちを観察していただけなんじゃないですか? 引金に指は掛かってませんでしたし。まあ売って歩けそうなくらい銃を持ってるのは気になりますけど」




 そう言って葵は、手にした双眼鏡を振った。その双眼鏡は葵の私物だが、表面には緑と茶色の迷彩塗装が施されている。観劇に使用されるオペラグラスなんて洒落たものではなく、女の子の手にはとても似合わないゴツイ軍用のものだった。


 黒髪を肩の辺りまで伸ばした葵は、黙って椅子に座っていればそれこそ良いところのお嬢様にしか見えない少女だった。しかし同じ部屋で暮らす亜樹は、彼女の趣味が所謂ミリタリー系であることを知っていた。この双眼鏡は葵の私物で、他にも寮監が知ったら仰天しそうな代物を色々と持ち込んでいる。この双眼鏡なんて、まだまだ小さなものだ。




「自衛隊員、かな? あの男の人?」


「にしては若すぎる気もしますよ? それに持ってたのも自衛隊の89式じゃなくて、警察のMP5でしたし。ライフルの方はよく見えませんでしたけど……」




 89式やMP5といった単語は亜樹には理解できなかったが、それでも日本で合法的に銃を持つことが許可されている人間ではなさそうなのは確かだった。少年がこちらを向くまで葵も双眼鏡で外の人物を観察していたが、どう見ても自分たちと同年代にしか見えない。そんな少年が猟銃の所持許可を得ているとは、到底思えない。


 服装も迷彩服や制服ではなく、スキーウェアのようなどこででも売っていそうな冬服だ。車も普通のワゴン車、どう見ても警察や自衛隊の人間ではない。




「とにかく、下に行って先生たちの指示を仰ごう」


「了解です」




 亜樹と葵は、急いで3階の自室から一階の談話室へと向かった。節電のため電気が消された廊下に人気は少なく、途中で通り過ぎた部屋のドアは開け放たれたままだったが、暗い室内に人影はない。寮の三階に部屋はいくつもあるが、暮らしているのは亜樹と葵だけの二人だけだった。


 電球部分を赤いセロファンで覆ったライトで足元を照らしながら、音を立てないよう気をつけつつ階段を下りていく。赤い光は、普通の光と違って暗闇でも目立ちにくいという葵の知識が役に立っていた。




「待ってください、一応姿勢を低くして行きましょう。万が一撃ってきたら、窓ガラスなんて簡単に貫通します」




 自分と同年代の少年がいきなり撃って来るとは思えなかったが、電波が止まって見れなくなる前のテレビでは、暴動が頻発していると言っていた。とはいってももう半年以上前のことだが、暴徒はいないとも言い切れない。葵の言う通りしゃがんで廊下を進み、一階の昇降口脇の談話室に辿り着く。




 本棚やソファー、そして部屋の隅にはテレビが置かれた談話室は、学院に残った生徒たちの緊急時の集合場所に指定されていた。どうやら皆今がその緊急時であると認識しているらしく、全ての生徒が集まって来ていた。窓からそっと外を伺う者、部屋の隅で蹲って震えている者、集まって対応を協議している者など様々だったが、その数は学院に在籍する総生徒数と比べると明らかに少なかった。






 実に9か月近く前になる3月に、ウイルスは日本に上陸した。当時学院では事態が収拾されるまで、寮で暮らしている生徒たちを親元に帰すという方針を採っていた。準備が出来次第女生徒たちは親のいる地元へ帰って行ったが、何人かは学院に留まったままだった。準備が遅れていたり、親側の受け入れ態勢が整っていない者。そして不幸なことに親元に帰れるという時になって、パンデミックにより学院に留まらざるを得なくなった者たちもいた。


 亜樹は唯一の肉親である父親が東京へ単身赴任中であり、帰っても出迎えてくれる者がいなかったため学院に留まった。亜樹と同じように学院に留まった、もしくは帰れなかった生徒たちは合わせて10人いる。そしてそんな女子生徒たちをまとめているのが、この場にいる最年長者の坂口さかぐち裕子ゆうこだった。


 最年長者と言っても、坂口は今年度で二年目の新人教師だった。しかも今年は4月から学校が開かれていないから、教師としての経験があるのは実質一年のみ。まだまだ大学を出たてと言ってもいい彼女はこの学院の卒業生だが、それでも教師としては頼りないのは否定できなかった。




「皆集まったわね。ちゃんと一階の扉と窓のカギは全て閉めた?」




 緊急事態の際は全ての出入り口を施錠することを皆で協議しながら作ったマニュアルで決めていたが、実践するのは今回が初めてだった。何しろパンデミックが始まってから今日まで、この学院を訪れた者は一人もいなかったのだから。感染者も暴徒も全てはテレビの画面越しに見たに過ぎず、亜樹たちにとっては遠い存在でしかなかった。




「あの人、一体なんなんでしょうか? 銃を持ってるってことは、自衛隊か警察官?」


「もしかして救助が来たとか」




 救助、その一言で何人かが顔を上げた。この9か月、小百合女学院は陸の孤島も同然だった。安全である代わりに、外から一切情報は入って来ない。テレビが止まり、ラジオの電波が入らなくなってからは、古い情報と推測だけが彼女たちの行動を決定する要因だった。


 わざわざ外に出て、情報を収集してこようとする者はいなかった。学校の周囲の森が天然の防壁となってくれるし、食堂の冷蔵庫に残されていた食料はかなりあった。300人以上の生徒と教員が、今や11人。節約すればかなりの間保つし、実際に今もまだ食料はある。


 だから彼女たちは外に出ることもなく、ひたすら救助を待ち続けていたのだ。外の世界がどうなっているかなど知る由もなく。




「多分あの人、自衛隊員でも警察官でもなんでもないですよ。武器も装備も全く違う。どこかで銃を手に入れただけの一般人だと思います」




 わずかに明るくなった雰囲気を、葵が一気にぶち壊した。葵は空気が読めないことが多々あり、同室で一緒に行動することが多い亜樹もそれに悩まされていた。


 とはいえ葵のその知識が役に立ったことも多く、彼女の発言は無碍には出来なかった。それに誰がどう見たって、同年代の少年が救助隊とは思えない。




「てことは、やっぱりテレビでやってた……」




 暴徒。その二文字が皆の頭に浮かんだ時、外から声が聞こえてきた。慌てて窓の外を見ると、校門の外にいたはずの少年が、いつの間にか敷地の中に進入してきていた。今やはっきりとその顔が見え、亜樹は久々に見る男子にあらゆる意味で息を飲んだ。


 まず目についたのは、額から右頬に掛けて走る傷跡だった。どこにでもいそうな人相だが、その顔が平凡にしか見えない少年に凄みを与えている。まるで歴戦の兵士か幾度もの抗争を生き延びてきたヤクザのようだった。


 さっきまで持っていたライフルと短機関銃は、今はスリングで肩から吊っていた。何も持っていない両手は宙に掲げられているが、敵意が無いことを示そうとしているのだろうか?




「中にいるのはわかってます。僕にはあなた方を傷つけるつもりはない。ただどこか、休める場所を提供して頂きたいだけです。決して皆さんの邪魔はいたしません」




 声は張っていたが、その言葉からは何の感情も伺えない。よくできた音声ソフトが喋っている、そんな印象を受けた。




「どうします? 助けを求めてるみたいですけど」




 亜樹は教師である裕子の方を振り向いたが、彼女も戸惑っているようだった。何せ久々に自分たち以外の人間、それも男子と遭遇したのだ。女子高である小百合女学院では当然ながら男性は教師や用務員以外に存在せず、さらに外出も制限されているとあって生徒たちが同年代の男子と接する機会はほとんどない。亜樹も最後に同年代の男子と会ったのは、今年の一月に冬休みで地元に帰省した時だけだった。




「追い返しましょう! どう見ても彼は危険です! 他に仲間がいて、私たちが油断したところを一気に襲ってくるつもりかもしれません」




 真っ先にそう主張したのは、3年生の佐久間さくまだった。ややヒステリックなところもある佐久間が亜樹は苦手だったが、彼女の主張にも一理あると感じていた。テレビで報道されていた暴動では、男性が女性を襲って暴行する事件が多発しているとあった。


 110番に電話しても警察が駆けつけて来てくれないことは、もう半年以上前からわかっている。そして恐らく学院の外では法律も警察も機能しなくなっていることも。そんな状況で武器を持った男が何をするのかは、内戦が続くアフリカや中東を見ればわかることだった。




 もしもあれがモデルガンだったらば、恐れることは無い。所詮相手は一人だ。いくら体力や体格で劣る女子生徒といえど、11人で立ち向かえばあっという間に取り押さえることが出来るだろう。しかしあの銃が全て本物ならば、亜樹たちに立ち向かう術は無かった。


 学院にある武器はせいぜいモップの柄に包丁を括り付けた槍か、弓道部で使われていた和弓、そして剣道部の竹刀や木刀くらいだ。しかしそんなものをいくら持ち出したところで、連射の出来るサブマシンガンには勝てないだろう。




 何人かの生徒が佐久間に同調し、少年を追い返すべきだと主張した。しかしもう一人の三年生が、それに異を唱えた。黒髪を短く切り、中性的な顔つきのその三年生の名前は大場おおばれい。男っ気がほとんどない学院内で、ボーイッシュな彼女は年下の生徒から大きな人気を集めていた。パンデミックが起こり、学院にいる生徒が11人だけとなった今でも、彼女は年下の生徒からの人気がある。




「それはどうだろう? 彼は両手を挙げている。もしもこちらに銃があって、私たちがやろうと思えば、彼はあっという間に死んでいるはずだよ。それを覚悟して両手を挙げているということは、本当に敵意はないんじゃない?」


「大場さん、あなたは楽観し過ぎです。私たちを油断させて外に誘い出したところで、全員殺すつもりかもしれないじゃないですか」


「だったらわざわざ大きな声を出して、自分に注目を集めるとも思えないけど。もしも外の彼が私たちの存在を認識していて、その上で全員殺そうというつもりなら、自分を危険に晒すような真似はしないと思う」




 礼が話す時はいつも淡々と、そして飄々とした口調だった。全てを達観しているようなその口調はどこか安心感を与えるものだったし、礼の発言が間違っていたこともない。それでも銃を持っている少年は見るからにおかしかったし、恐ろしい。もしも彼が自分たちを騙していて、中に入り込んだ途端その銃を振り回し始めたら、亜樹たちに出来ることは何もない。せいぜい地面に這いつくばって命乞いをするくらいだろう。




「……私が外に出て、話を聞いてきます」




 喧々囂々の議論が始まりそうになった時、裕子が決断した。「先生……!」と佐久間が抗議するような声を上げる。




「電話もラジオも使えなくなって、もう半年以上経ってるわ。今の私たちは外がどうなっているのかを知らない。その点彼なら、外の状況を知っているはずよ。情報を集めるという点でも、あの人と話をすべきだと思う」


「でも、もしも襲ってきたら……」


「その時は私を置いて、皆逃げなさい。非常時の移動ルートは覚えてるわね? もしも私に危害が加えられたり、あるいは私が危険だと判断したら、その時は皆で逃げて。雪に加えて夜の森なら、そう簡単には追って来れないはずよ」




 だがそうなったら、亜樹たちはこの学院を捨てなければならなくなる。衣食住が揃い、数々の想いでのあるこの学院を。自分たちが外に出て、この先生き残れるのだろうか?


 しかし今まで平和に暮らせていた自分たちの方がおかしいことを、この学院にいる誰もが薄々と勘づいていた。人が人を食らい、法も秩序も世界から消え失せているであろうことは簡単に推測できた。それでも十分な食料と安全な場所があったから、そのことから目を背けてとりあえず今までの生活を続けてきたに過ぎない。




 こうなってしまった以上、もう知らないフリは出来ない。亜樹は「外」の世界の現実を体現する少年と正対し、大きく変わってしまったこの世界と向き合わない時が来たのだと悟った。

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