第七三話 ダメ。ゼッタイ。のお話

 基本的に少年の日課は三つのパターンに分けられていた。

 一つ目はひたすら家屋の中に閉じこもり、一日が過ぎるのを待つ。こちらは物資が豊富にある時の行動だ。食料や水が充分にあるのならば、わざわざ外に出る必要は無い。外には感染者がいるし、暴徒と化した人々が獲物を求めている場合もある。食糧を求めているのは少年だけではなく、そういった連中はわざわざ店を一つ一つ回るよりも、外を出歩いている人間を襲った方が手っ取り早く物資を奪えると思っているらしい。食料に余裕がある時は余計なトラブルを招かないよう、少年は厳重な戸締りを行いカーテンを全て閉め切った家の中で、本を読むなり音楽を聴くなりしてひたすら日々が過ぎ去るのを待っていた。


 二つ目は移動。感染者や危険人物が周辺にいる場合、さっさとそこから逃げ出すのが望ましい。武器弾薬は以前とは比べ物にならないほど集まっているとはいえ、気軽にばら撒ける量があるわけでもない。直接襲われた場合を除けば、少年はそういった危ない連中を見かけたらすぐさま逃げ出すようにしていた。

 移動する時はなるべく人口密集地帯を避け、郊外を走るようにしていたが、パンデミックの際に自衛隊や警察に封鎖されたり、事故で塞がれた道路はいくつもある。いつも上手く人気が少ない場所を走れるわけではなかったが、感染者が多そうな場所を走る時にはハイブリッド車の電気駆動が役に立った。バッテリーに充電された分しか走れないが、走行音は通常のガソリンエンジンの車と比べて格段に小さい。感染者に感づかれる恐れは、普通の車と比べると幾分か減る。

 それでも人間よりはるかに図体の大きなワゴン車が走り回っていれば、どうしたって目立つ。街には他に車など走っていないのだ。それにガソリンだっていつまでも安定して入手できるとは限らない。そのため少年はなるべく移動に割く時間は少なくしたかった。


 そして最後のパターンが探索だ。食糧や水に余裕がない時は、危険を冒してでも外に出なければならない。少年は世界が一変してしまう前までは消費者として生きており、何かを生産する知識も技術もない。どこか一か所に定住して農業に打ちこむことも出来ないとなれば、食料を得るには有る場所から持ってくるしかない。

 本格的な冬が到来し、外は気温が下がってきている。そのせいか最近では探索の度に、建物の中をふらつく感染者の姿を多く目撃していた。その分外にいる感染者の姿は少なくなったから移動はしやすくなったものの、物資調達の点で言えば迷惑な事この上ない。大抵の食料や水といった必需品は、建物の中にあるからだ。


 


 少年にカレンダーを捲る習慣が残っていれば、今日は11月から12月にページを変更している日だった。パンデミックから既に9カ月近くが過ぎ、時は師走。本来ならば受験勉強に忙しい時期だったが、少年の手にあるのは筆記用具と参考書ではなく、9ミリ弾が30発装填された短機関銃(サブマシンガン)だ。

 少年を襲ってきた子供ばかりの生存者のグループと交戦してから、既に十日以上が経過していた。パンクしたタイヤを交換し、感染者のいない田舎町でたっぷりと休息を取った少年は、再び当てもなく車を東へ向かって走らせていた。出来るところならずっとあの町で引きこもっていたかったが、物資が手に入る見込みがないのであれば、いずれは飢え死にする未来しか待っていない。


 都市部を離れ、なるべく人の少ない郊外を移動し続けていた少年だったが、人口が少ない町には当然ながら商店も少なく、そして残されていた物資もほとんどなかった。同じことを考える生存者はたくさんいたらしい。感染者が少ない場所にある商店や倉庫からは、食料がほとんど消え去っていた。

 食料を持ち去ったその生存者たちも、どれくらい生き残っているかは疑問だったが。それでも食料が見つからないことは少年の頭を悩ませた。


 人口が多い地域は、その分スーパーやコンビニエンスストアといった商店が多い。その近辺には流通の倉庫などもある。だが人口が多いということは、感染者と化した人々も多いということを意味している。

 感染者は缶詰や乾燥食品に興味を持たないから、生存者が持って行かない限り物資はそのままそっくり残っている。しかし感染者が多いのであれば、その物資を入手する前に見つかって殺されかねない。今までのように見つからずに行動する、というのはかなり難しくなる。

 しかし行動しなければ待っているのは緩慢な死だけだ。今や生存本能によってのみ生き続けている少年にとっては、死は何としても避けなければならないものだった。




 灰色の空の下、少年は以前は人口15万人を有していた地方都市、その中心である市街地に向かって車を走らせていた。電気駆動のおかげでエンジン音は響かず、聞こえるのは小さなモーター音だけ。むしろエアコンの温風が噴き出す音の方が大きいくらいだった。

 長いM1Aライフルは助手席との間のスペースに立てかけ、膝の上にはフル装弾済みのMP5短機関銃が置いてある。少年は左手を常に短機関銃の上に置きつつ、右手でハンドルを握りながら周囲に視線を巡らせて車を運転していた。道路全体を見下ろせるような高い建物がある場所は避け、それが出来ない場合はいつでも応戦が可能な状態を整えつつ一気に突っ切る。以前一直線の道路を走っていた時に狙撃を受けた時の経験から、少年は外を移動する時は常に警戒を怠らなかった。


 人口が多い地域ということもあって、道路の左右に並ぶ店は多い。しかし以前にやって来た生存者が全てを持って行ってしまったのか、中が空ということも珍しくは無い。コンビニをいくつか見つけては車を停めて立ち寄ってみたものの、缶詰めや乾麺の棚は全て空だった。

 生存者はどれくらいいるのか、それはわからない。しかしパンデミック前はただの高校生に過ぎなかった自分が今まで生き延びているのだから、他にも大勢生存者はいるだろうと少年は踏んでいた。もっとも、会いたいかどうかは別だったが。



 しばらく走った後、少年はようやく一軒のスーパーを見つけた。入り口のガラスドアが割られているのを除けば、外観は綺麗なままだ。もしかしたら中には、いくつか食料が残っているかもしれない。

 少し離れたところに車を停め、短機関銃と大きめのダッフルバッグを持って車から降りる。重いM1Aライフルは車に置いていく。ライフル弾に比べれば威力不足の短機関銃だが、閉鎖空間内の至近距離で発砲するのならば問題ない。それに万が一間近で感染者と遭遇した場合、連射できる火器の方がとっさの事態にも対応できる。

 後部座席に積まれた銃や段ボールには、薄汚いブルーシートを被せておいた。これで万が一生存者に車が発見されても、外からでは車内に銃があることはわからない。生存者が車を奪おうとしてもドアは全てロックされ、窓も閉まっている。鍵を開けようと窓を破れば警報が鳴るし、それ以外の手段でドアを開こうとしても時間がかかるだけ。奪われた銃がこちらに向けられることを何よりも恐れる少年としては、銃は絶対に他人の手に渡してはならないものだった。


 街は静まり返り、風が吹く微かな音だけが聞こえる。道端に放置された死体の数々は、この街で大勢の感染者が出たことを示していた。それらの感染者がどこへ行ったかはわからないが、確実に数体は残っているだろう。死体はほとんどが腐敗し、白骨化していたが、つい最近殺されたとしか思えないものもいくつかあった。

 短機関銃のストックを伸ばし、上体を屈めて姿勢を低くしながら目的のスーパーに向かう。入り口やその周囲に人影は見えない。が、中はどうなっているかわからない。スーパーの広い駐車場に停められたままの車に隠れた少年は、ドアが破られた入り口目掛けて小石を放り投げた。


 小石がアスファルトの上をバウンドする音は、意外と大きく響いた。すぐに車の陰に隠れた少年は、鏡の付いた指揮棒を伸ばして顔を出さずに入り口の様子を伺う。が、すぐに大きな足音を立てながら、暗い店内から一つの人影が外に飛び出してきた。


 血走った目を周囲に向け、口の端から涎を垂れ流しているそれは、感染者とみて間違いなかった。感染者は音の正体を確かめようと視線を巡らせていたが、鏡だけを突き出し様子を伺っていた少年に気づくことは無かった。感染者が咆哮を上げるのは人間の姿を認めた時だけだ。

 店から飛び出してきたのは一体だけだった。後から他の感染者が外に出てくる気配はない。もしも他に感染者がいたのならば、一緒に外に出てきているだろう。店の中にいた感染者が一体だけだったことに、少年は安堵の溜息を吐いた。


 もしも店内に感染者が複数体いたのならば、少年はこのスーパーでの物資調達を諦めなければならなかった。仲間がいた時と違い、今は一人。銃こそあるものの、狭い場所ではやはり一対一の白兵戦を繰り広げなければならない時もあるだろう。そうなった時に複数の感染者に襲われれば、勝ち目はない。

 そして感染者を招きよせないためにも、なるべく銃は使いたくなかった。となれば、使える武器は刃物か鈍器に限られる。近接武器で複数体を相手にするのは、自殺行為に等しい。


念のためもうしばらく待ってみたが、店の中から新たな感染者が姿を見せることはなかった。外をうろうろし始めた感染者が明後日の方向を見た瞬間に、少年は隠れていた自動車の陰から這い出した。そしてそのまま足音を立てずに背後から感染者に近寄ると、無防備なその首筋向けて斧を振り下ろす。

金属製のチェーンすら切断可能な斧の刃は、感染者の延髄に深々と突き刺さった。音も立てずに倒れた感染者が一度だけ大きく痙攣したが、それきり動かなくなった。刃に着いた血を感染者のボロボロになったシャツで拭い、再び短機関銃に持ち替えると、少年はいよいよスーパーに足を踏み入れることにした。



当然のことだが、電気の供給を絶たれた店内は真っ暗だった。曇り空の上に窓のカーテンが軒並み閉められているため、数メートル先も見渡せないような暗闇が広がっている。どこか雨漏りでもしているのか、水音が聞こえてくる。

MP5のハンドガードに内蔵されたフラッシュライトを点灯し、少年はゆっくりと店の中へ進入した。真っ暗な店の中、フラッシュライトから投射される強烈な光の輪が闇に隠れていたものを照らし出す。


 入り口からまっすぐ進んだところにはレジがあり、当たり前だが荒らされていた。硬貨や紙幣が床に散らばり、壊れたレジが通路に投げ出されている。煙草が収まっているはずのケースは、丸ごと持って行かれたようだ。

 入り口のすぐ脇にある生鮮食品コーナーには、商品は一つも残っていない。腐りきってしまったか、その前に生存者が持って行ったようだ。フラッシュライトの光で照らしだされた陳列台には、干からびて茶色くなった野菜の切れ端がわずかに残っていた。棚の上を動き回っている親指ほどの黒い物体は、ゴキブリだろう。


 これはハズレかもしれないな。少年は思った。

 自分の前に誰がこのスーパーを訪れたのかは知らないが、生鮮食品を持ち出す余裕があったのならば、保存食を持ち出すことも出来ただろう。もしかしたら食料品は全て他の生存者に持ち去られた後かもしれない。若干落胆しつつも、念のために保存食や乾麺のコーナーに少年は向かった。天井から垂れ下がるパネルを頼りに、短機関銃をいつでも撃てる態勢で進んでいく。


 無人のスーパーの中では、足音は思っていたよりも大きく響く。レジ袋が散乱する通路を通り抜けた少年は、遠目からでも荒らされているのがわかる保存食のコーナーを見て溜息を吐いた。

 缶詰が床に何個か転がっているだけで、他に商品は残っていない。菓子のコーナーもダメだった。


「やっぱりな」


 そう呟き、床に転がるサンマ缶を拾い上げ、バッグに放り込んだ。もう一つ缶詰を取り上げたところで、少年は埃が積もった床に残る足跡に気づく。

 床をなぞると、たちまち指先が真っ黒に汚れた。半年以上誰も掃除していないせいで、床には埃が分厚く積もっている。足跡は店の奥からやって来て、また元来た方向へと戻っている。店から出て行くようなコースではなかった。


 もしかしたら、この店内にはまだ誰かが残っているかもしれない。その可能性に行き当たった少年はすかさずMP5を構えると、慎重に店の奥へと進んでいく。石を投げた時に感染者が店内から飛び出してきたことを考えると自分の他に誰かがいるとは思えなかったが、それでも確認だけはしておくべきだろう。



 足跡は鮮魚コーナーと精肉コーナーの間にある、関係者以外立ち入り禁止のドアへと続いていた。多分この奥には従業員用の更衣室や休憩室があるはずだ。もしかしたらそこに他の感染者か、あるいは生存者が残っているのかもしれない。

 短機関銃の銃口で押すと、扉はあっさりと開いた。キィ……と蝶番が擦れる金属音と共に、少年の背丈よりも高い金属のカゴや、空の段ボールが積み上げられた狭い通路が扉の向こうには広がっている。壁に貼られたカレンダーは、三月のままだ。

 

 かなり見えづらくなっていたが、足跡はまだ残っている。「更衣室」のプレートが下がったドアの前まで、足跡は続いていた。

 ライトを消し、息を殺してみたものの、物音は何一つ聞こえてこない。だが向こうもこちらと同じように、息を潜めている可能性もある。生存者を積極的に殺して回るつもりはないものの、スーパーを出る時に背後から襲われては困る。念のため確認するだけだと自分に言い聞かせ、少年はドアの前に立った。


 大きく息を吸い、そして吐く。それと同時に、ドアに思いきり前蹴りを食らわせた。木製のドアはあっさりと蝶番ごとドア枠から外れ、大きな音と共に更衣室の内側へと倒れ込む。出来れば音は立てたくないが、こういった場合は一気呵成に踏み込まなければ相手に対処する余裕を与えてしまうことを少年は知っていた。それに大きな音を立てれば、相手を怯ませることも出来る。

 

 MP5のフラッシュライトを点灯し、少年は更衣室へと踏み込んだ。暗闇の中銃口を左右に振り、室内の状況を把握する。いつでも撃てるように、引き金には指を掛けたままだ。

 ドアの左右にはロッカーがずらりと並び、それが一直線に続いている。どうやら更衣室は部屋のど真ん中にロッカーを背中合わせに並べて置いた、コの字の形をしているらしい。

 暗闇の中、部屋の奥に並んだロッカーにもたれ掛かるようにして、二つの人影が床に座り込んでいた。MP5にマウントしたホロサイトの照準をその頭に重ねたが、少年は二つの人影が全く動かないことに気づく。


 

 それもそのはずで、更衣室に倒れていた二人が死んでいるのは明らかだった。しばらく前に死んだのか、遺体は干からびてミイラ化している。夏に死んでいたのならば、今頃腐りきって蛆とゴキブリの餌になっていただろう。皺だらけの白い肌だが、死んでいるのは20代前半と思しき二人組の男女だった。

 その足元には錠剤のシートと、注射器がいくつか転がっている。病気だったのだろうか? そう思ったのも束の間で、床に散乱する白い粉や乾燥した植物の切れ端が詰まった小さなビニール袋を見て、少年は二人が麻薬中毒者であることを悟った。

 床に置かれたカセットボンベのコンロの近くに置いてあるガラス製のパイプのようなものは、きっと麻薬を炙って吸引するための器具だろう。そして錠剤の中身は医薬品などではなく、危険ドラッグと呼称される薬物だ。高校の非行防止のキャンペーンで配られた資料で、麻薬や違法薬物などが写真付きで詳しく紹介されていたので見たことがある。


 見れば二人の干からびた腕にも、無数の注射痕が残っていた。きっと彼らは暴力団の関係者か何かだ、でなければこれほど麻薬や違法薬物を所持できるはずもない。死んだ男のズボンには、暴力団御用達のトカレフ自動拳銃が挟まっていた。

 死体の脇に山積みされた段ボールの中には、店内からかき集めてきたらしい缶詰や乾燥食品が詰まっていた。きっとこの二人は、ずっとこの更衣室の中に立て籠もっていたに違いない。保存食のコーナーから追って来た足跡は、この二人が更衣室から出て食料調達を行った時のものだろう。


 空き缶や空の袋が床には散乱していたが、食料はまだ十分に残っていた。注射器を使いまわして病気になって死んだか、あるいは薬物中毒による急性死か。


 バカな連中だ。少年が思ったのはその一言だった。

 クスリなんかやっていなければ、もっと長生きできただろうに。あるいは恐怖を紛らわせるために、薬物に手を出したのだろうか? どちらにせよラリって酩酊状態になったり、興奮したままあの世に行けたのならば幸せなのかもしれない。何せ恐怖を感じることなく死ねたのだから。



 店内に敵がいないことがわかった今、もう少年の関心は死体となった二人の薬物中毒者には向いていなかった。まずは男のベルトに挟んであったトカレフを頂いていく。弾は撃ち尽くしたのか、予備の弾倉などは持っていなかった。

 他にも二人が更衣室に持ち込んだらしい食料は、段ボールごと持って行くことにした。立て籠もっている間に二人が消費したせいかその量はかなり少なかったが、それでも節約すれば二週間は保つだろう。


 ジッパーを開いたダッフルバッグに無理矢理段ボールを押し込んだ少年は、更衣室から出ようとして足を止めた。最後に一度だけ振り返り、床に落ちていた白い粉末の詰まったいくつかのビニール袋に目が留まる。


「……まあ、何かの役に立つかもしれないし」


 そう呟き、袋を一つだけ拾い上げてバッグに押し込んだ。そして今度こそ振り返らず、更衣室を後にする。

 ずっしりと重くなった身体を引きずるようにしてスーパーの外に出ると、灰色の空から雪が降り始めていた。真っ白な雪が地面に落ち、溶けていく。今はまだ積もるほどではないが、いつ天候が悪化するかもわからない。その前に今日の寝床を確保しておきたいところだったが、流石にこの街に留まり続けるつもりは無かった。食糧が調達できた時点で、既に街に留まる意義は無い。

 

 積もらなければいいが。そう思い、少年は駐車場のワゴン車へと急いだ。

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