第七二話 僕は友達が少ないお話

 学校も、新聞も、肝心なことは何一つ教えてくれなかった。少年はそう思っている。


 学校で教わるのは受験を突破するための知識だけ。数学の方程式や古文の文法が、今この状況で何の役に立つというのだろうか。どうせ教えてくれるのならば、せめて効率的な人間の殺し方の方が良かったと思う。その知識は今や少年だけでなく、生きている全人類に必要とされているものだろう。


 誰も教えてくれないのならば、自分で学んでいくしかない。そのおかげで今や少年は結構な読書家だった。といっても読むのは軍事関係の書物や応急手当の仕方が載っている医学書。そしてどこにどんな施設があるかというガイドブックや観光雑誌だ。それらの本に記載されている膨大な情報の中から必要な物だけを取捨選択し、本当かどうか確かめていく。そうすることで少年は、今のところ一人でも生きていけている。



 小学校で生き残っていた子供たちを皆殺しにした後、少年はワゴン車を停めた公園に戻った。どうにかタイヤを交換し終えた時には既に陽は落ち、夜の闇が少年を包み込んでいた。

 派手に銃声を鳴らし、建物を一つ燃やしたにもかかわらず感染者の姿は相変わらず見えない。この町は元々人口が少なく、余所との往来も乏しかったらしい。そのおかげで感染者がこの町から出ることはなかったのだろう。


 タイヤの交換に戦闘と、少年はかなり体力を消耗していた。その上本格的な冬が到来し、気温も低い。暗視装置を着けて車を走らせる気にはなれず、少年はこのままこの町で一夜を過ごすことを決めた。敵は、もういない。

 小学校にいた子供たちと比べれば、少年の食生活はかなりマシと言えた。それでも最近は保存食の入手が難しくなってきているので、量を減らし始めている。綺麗に整頓されたワゴン車の後部席には缶詰や乾燥食料が詰め込まれた段ボールがいくつか積まれているが、それも保って三週間ほどの分量しかない。


 少年はガレージのある手近な家を見つけると、そこに車を停めた。恒久的な拠点を設立するのであれば荷物は全て家の中に持ち込んでおくところだが、少年はこの町に長居するつもりはない。いざという時すぐに逃げ出すためにも物資の大半は車に積んだままであることが望ましいが、万一外敵に襲われて車を奪われてしまったら、苦労して集めた銃が自分に向けられることになる。

 そういうわけで少年は、ガレージのある家でしか寝泊まりしないとルールに決めていた。襲撃された際は即座に車に乗れるよう、敷地内に車を停めておかなければならない。少年が見つけた家にも、狭い庭を隔てる形で建物とガレージが並んでいる。


 拠点を定めた後は何丁かの銃と食料の入った段ボールを家に持ち込む。無論、家の中の安全確認も怠らない。家の中は荒らされていたが、中には誰もいなかった。台所が荒らされ、食料が全て持ち去られていたのは少し残念だったが。

 一階の窓は庭に面した部分を除いて全て雨戸を閉じ、掠奪の際に破壊された入り口のドアの前にはテーブルや椅子を積んでバリケードを築いた。万が一襲撃を受けた際は、即座に庭に出てガレージの車に飛び乗る予定だ。



 家の中には、役に立ちそうなものはほとんど残されていなかった。あの避難所にいた連中が全て持って行ったのだろうかと、少年は自分を襲った子供たちのことを思いだす。

 あの小学校にも、物資はほとんど残っていなかった。子供たちは全員痩せ細っていて、見るからに飢えている様子だった。燃え盛る体育館から飛び出してきたあの女の子が言っていた、親たちがいなくなって皆飢えていたという話は本当だろう。だからといって少年には、自分を襲ってきた連中に同情する気持ちはこれっぽっちも無かったが。


 おそらく、この町で食糧を確保するのは難しいだろう。この町には感染者の姿が見当たらないので拠点としてはうってつけだったが、食料が確保できないのであれば意味がない。いくら武器弾薬が豊富にあったところで、銃弾は食えないのだ。

 かといって、食料が充分残っているような場所には感染者もいる。そういった場所は感染者がいるせいで、掠奪者が堂々と振る舞えないからだ。遠方から食料を確保してこの町に戻ってくるというプランも考えたが、手間暇を考えるとそれも現実的ではない。


 畑を耕すというプランも無し。最近になって農業関連の本を読み漁るようになった少年だが、結論としては自分ひとりで十分な食料を得られるだけの耕作を行うのは無理ということだった。現代の農業は農薬や化学肥料、そしてトラクターといった近代的な農機具を使用しているからこそ少ない面積でも大きな収穫を得られるわけで、素人が一人頑張ったところでどうしようもない。ジャガイモかカイワレ大根なら少しくらいは収穫できるだろうが、本格的な冬が到来し、より一層カロリーが求められている状況では焼け石に水だ。


「やっぱり、どこか大きな街にいくしかないか……」


 大きな街には大抵感染者が徘徊しているが、その分残されている物資の量も豊富だ。生鮮食品はとっくに腐りきり、カップ麺などの乾燥食品も消費期限を迎えつつあるが、それでも缶詰など年単位で保つ食料品は多い。


 パンデミックが起きる前まで少年は、食料品は金を出せば手に入るものだと思っていた。恐らくそれが日本に住む多くの人間の共通認識であり、世界が一変してしまわなければ、少年は農業の偉大さについて実感することは無かっただろう。今や農業を出来ない人間は感染者のうろつく危険な街を彷徨い、薄暗い店から食料を略奪するしか飢えずに済む方法は無い。代価として支払うのは金ではなく、自分の命かもしれないのだ。


 地図を広げて考えを巡らせたが、妙案は浮かんでこなかった。とりあえず三日だけこの町に滞在することを少年は決め、少年は遅い夕食の準備に取り掛かる。とはいってもカセットボンベのコンロで湯を沸かして、即席麺のカップにお湯を注ぐだけだが。

 3分が経過したが、少年はもうしばらく待った。そうすれば麺がもっとお湯を吸って伸びる。そうやって少年は少ない食料をどうにかして食いつなぎ、腹を膨らませていた。

 7分が経過し、流石にスープが冷めはじめるのはまずいので食べ始める。パンデミック前ならそこらの店で一個百円程度で売られていたカップ麺だが、今なら金塊よりも価値があるだろう。


 醤油ベースのスープも一滴残らず飲み干し、少年の慎ましい夕食は終わった。もっと食べたい気分だったが、無計画に物資を消費するわけにもいかない。一日に摂取するカロリーを設定し、それに達する分だけ食事を行う。それが少年が決めたルールだった。決まった分以上の食事はしてはいけない。

 デザート代わりの溶けかけた飴を口に放り込み、リュックから一冊のノートを取り出す。端の方が折れ曲がったノートを手に取り、付箋を留めたページを捲る。そして今日一日に消費した銃弾や物資の数を、少年は記入し始めた。

 ライフルと拳銃、そして短機関銃の弾倉を外し、残った弾を排出していく。弾倉に残っていた弾と、空になった弾倉の数。それらを数えれば、どれだけ銃弾が消費されたかすぐにわかる。


「7.62ミリ弾14発、9ミリ弾19発……」


 そして今日消費した食料の種類と数もノートに書きこみ、今度は今日入手した物品を記入していく。と言っても今日一日で得られたのは、襲い掛かって来た子供たちを倒して得られた警察用のリボルバーが一丁と、弾が三発だけだが。


 武器弾薬の入手は深刻な問題だった。食糧が無ければ飢えて死ぬが、銃が無ければ感染者や今日のように暴徒に襲われて殺されてしまう。しかし銃規制の厳しい日本では、そう簡単に銃が手に入ることもない。猟銃が大半とはいえ少年は十数丁の銃を入手していたが、今までは運が良かっただけなのだ。


「どっかに銃砲店がないかなあ……?」


 そう呟き地図を眺めたが、少なくとも銃砲店はこの町にはなさそうだった。あったとしても、武器を求める生存者たちに押し入られて略奪されてしまっているだろう。人間、考えることは同じだ。現に少年もどうにか銃砲店を探して訪れてみたものの、シャッターはぶち破られ銃と弾薬は残らず持ち去られている店がほとんどだった。

 武器、弾薬、食料、医薬品、そして燃料。これらのうちのどれかでも欠けたらたちまち生きるのが難しくなる。病院に行っても医者はいないから、病気になっても自力で何とかしなければならない。看病をしてくれる人もいないのだ。


 手探りではあるものの、少年は一人で生きていく術を身に着け始めていた。本にあった知識を片っ端から実践し、出来るものと出来ないものの判別をしていく。身に着けている技術は多いに越したことはない。それも実用的なものを、だ。

 空になったM1Aライフルの弾倉に、紙箱から取り出した7.62ミリ弾を込めていく。その威力と銃弾の入手のしやすさから、少年は長くて重いというデメリットがありながらもライフルを使い続けていた。拳銃用の9ミリ弾は人間相手には十分有効だが、感染者相手には威力不足と言わざるを得ない。それに銃砲店に行っても、拳銃や短機関銃用の銃弾は手に入らない。


 昔だったら自分が本物の銃を扱うなんて考えもしなかっただろうな。20発を装填し終えた弾倉をタクティカルベストのポーチに突っ込んだ少年は、当たり前のように銃が自分の身体に馴染んでいることを自嘲した。男の子なら一度は武器に興味を持つことはあるし、少年がよく見るハリウッド映画で銃は当たり前のように登場していた。それでも自分が銃を持つことなんて、パンデミックの前ならこれっぽっちも考えていなかった。

 それが今や片時も銃を手放さず、射撃の腕もどんどん上がってきている。これは喜ぶべきことなのか、それとも悲しいことか。母さんなら僕が不良になったと嘆くだろうなと思った少年は、その母も既にこの世にいないことを思いだす。


 父も母も、友人も皆死んだ。そしてこの世が地獄と化してから出会った、素晴らしい仲間たちも。

 だからこそ少年は一人で生き延びるための技術を身に着けなければならなかった。もう大切な人は誰も作らないように。失ってまた悲しい思いをするくらいなら、最初から一人で居続けるために。


 もしも彼らが生きていて、今の自分を見たら何と言うだろうか? きっと間違っていると非難されるだろう。だが少年には、これ以外の生き方がわからなかった。全てのルールがひっくり返ってしまったこの世の中で、どう生きればいいのか誰も教えてはくれなかった。教師も新聞も、親も友達も。狂った世界での生き方なんて、誰からも教わらなかった。


 だから少年は己のルールを定め、それに従って行動している。たとえそのルールが傍目には間違っているかもしれないものであっても、それ以外の生き方を少年は知らない。大切な人々が皆死に、頼れる者がいなくなってしまった少年にとって、縋れるものは自分が決めたルールだけだった。

 ルールに従って行動していれば、不安になることはない。だってこの世界で生き抜くために自分で定めたものなのだから。もしもルールが無くなってしまえば、自分はまたどうすればいいか不安で仕方がなくなるだろう。





 二階の寝室らしき部屋の押し入れから布団を引っ張り出し、庭に面したリビングの床に敷く。ここしばらく車上で寝起きを続けていた少年にとって久しぶりに手足を伸ばして横になれる機会だったが、少年の顔は晴れなかった。

 タクティカルベストを脱ぎ、ライフルや装備品一式をすぐに身に着けられるよう手が届く場所に置いておく。昔と違って今は寝ている間に、誰も外を見張ってくれないのだ。万が一襲撃を受けた場合はすぐに飛び起きて、武器を手に取り戦える態勢でなければならない。

 ブーツを履いたまま布団に潜り込み、拳銃を枕元に置いておく。少しかび臭かったが、保温シートと違って柔らかいし音も出ない。ランタンを消して天井を見上げた少年だが、その心は憂鬱だった。


 この一か月、少年はマトモに眠ることが出来ていなかった。目を閉じ眠りに陥っても、数十分もすれば目が覚めてしまう。そしてそれを何度か繰り返し、結局あまり眠れないまま朝を迎えてしまうのだ。

 たった一人で行動しているので、襲撃の恐怖でストレスが溜まっているというのもある。しかし一番の問題は、眠る度に悪夢にうなされることだった。



 そして結局この日も少年は浅い眠りと覚醒を繰り返し、最後は悪夢にうなされたまま朝を迎えた。

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