第七一話 これから毎日家を焼くお話

 小学校はすぐに見つかった。敷地をぐるっと取り囲むフェンスには鉄板が張られて中の様子が伺えず、校門にはバリケード代わりらしい中型バスが横向きになって停めてあった。見える範囲に人間の姿は無いが、確かに中に誰かいると少年は感じ取っていた。


「さて、どうやって中に入るか……」


 自分を襲ってきた連中は返り討ちにしたが、その仲間にも落とし前をつけてもらわなければならない。彼らに自分たちがやったことを反省させ、もう二度と手出しをしないと誓わせなければ。パンクの修理には予想外に時間がかかりそうであり、その間誰かと戦いながら作業が出来るほど少年は器用ではなかった。


「すいませーん、誰かいませんかー? というか、いるのはわかってるんで顔見せてもらえませんかね?」


 町に感染者がいないことは確認済みだった。この町に来てから、一体も感染者の姿を見かけていない。そもそもそれほど人口が多くない町であり、都市圏から離れた田舎だというのもその一因だろう。


 大きな声を出して尋ねても、誰も姿を見せることは無かった。出迎えがないのならば、こちらから突っ込んで行くしかない。少年が小学校前の道路に放置されていた乗用車から身を乗り出したその時、校門を塞いでいるバスの窓から銃火が迸った。


 短い間隔で二発、銃声が轟く。しかし放たれた銃弾は少年に当たることなく、近くの民家の窓ガラスを叩き割っただけだった。それでもとっさに姿勢を低くした少年は乗用車のボンネットに上半身を預けると、手にしたM1Aライフルを構える。

 マウントされた低倍率スコープを覗いてみると、バリケード代わりのバスの車内に一人の中学生くらいの男子の姿があった。開けたままの窓からリボルバー拳銃の銃口を突き出し、「近寄るな、撃つぞ!」と叫んでいる。しかし少年はその言葉に耳を貸すことなく、照準を男子の胸に合わせて引き金を引いた。



 拳銃のそれとは比べ物にならない銃声が轟き、土屋つちや未来みくは一瞬身体を震わせた。最初に聞こえた二発の銃声は、校門にバリケード代わりに停めてあるバスの中から、見張りの雄大ゆうだいが発砲したものだろう。

 二丁しかない拳銃の内、一丁は生存者を襲撃に向かった裕樹が持って行った。残りの一丁は万が一の事態に備えて、避難所となっている小学校に残った子供たちが持つことになった。ゲームで銃の使い方には自信があるという中学二年の雄大が拳銃を持って校門前の見張りについていたが、大きな銃声が一発聞こえてきた後は拳銃の発砲音は聞こえてこなくなった。

 銃声が聞こえる前、外から男の声が聞こえていた。しかしそれは裕樹たちの声ではなく、警戒した未来たちは返事をすることもなく体育館に立て籠もったのだ。


 生存者を襲撃に向かった裕樹たちは、未だに誰一人として帰ってきていない。町の方から複数の銃声が風に乗って聞こえてきたが、十数分前を最後に銃声は止んだ。そして今度はかなり近くで再び響いた銃声。未来は裕樹たちが襲おうとしていた生存者が、この小学校までやって来たことを悟った。襲撃は失敗に終わったのだ。


「ど、どうすんだよ? バスに行って様子を見て来るか?」

「いや、雄大さんがやられたって証拠はないだろ。雄大さんが戻ってくるのを待とうよ」


 生存者たちの居住区となっている体育館に集まった小学生たちが、てんでばらばらに喚いた。今日の今日まで、子供たちは誰一人として銃声を聞いたことが無かった。猟銃を持っていた大人たちは二週間前から帰ってきていないし、子供たちが二人組の生存者を襲って拳銃を手に入れてからも、弾がもったいないので今まで一発も撃っていない。


「とにかく皆落ちついて! 体育館の出入り口全部に鍵を閉めて、誰か二階に上がって校門の様子を見て来てちょうだい」


 生き残った子供たちを仕切っていた裕樹は、昨日新しくやって来たという生存者の襲撃に行ってしまった。今避難所に残っている最年長者は未来だが、まだ13歳の中学一年生に過ぎない彼女が出せる指示はせいぜいそれだけだった。

 毛布や漫画雑誌、そして保存食のパックが乱雑に散らばった体育館を走って、集まった子供たちが全ての出入り口の施錠の確認に向かう。体育館の一階にある窓は机や椅子を積み重ねて塞いであるし、普段通用に使う一つの入り口以外の扉は全て鍵を掛けて同じくバリケードで塞いである。ここは安全だと落ちつこうとした未来だったが、二階のギャラリーに上がった小学生が「誰か校庭に入ってきた!」と叫んだ。


「雄大にいちゃんじゃない、高校生くらいの男だ! 銃を持ってる!」

「そんな……雄大は?」

「わからない、どこにもいないよ!」


 そんな――――――と未来が言いかけたその時、「いきなり撃ってくるなんてひどいじゃないか」という少年の声が、薄い窓を通して外から聞こえてきた。

 その声はさっき学校の外から聞こえてきたものと一緒だった。やはり裕樹たちは全員殺され、見張りに立っていた雄大も銃撃戦の末に死んだのだ。身体を震わせた未来は、「体育館の中心に集まって」と子供たちに小声で呼びかける。


「どうしていきなり僕を襲ってきたんだ? 外に出て来て説明してくれないか?」

「返事をしちゃダメ、絶対声を上げないで」


 体育館の中にある武器になりそうなものといえば、バットやナイフといった鈍器しかない。拳銃を持った雄大は体育館の外で死んでいる。外に出て行ったが最後、自分たちは全員殺されるだろう。

 しかし体育館の中にいれば、迂闊に外の少年も手出しはできまい。入り口は全て塞いであって外からの侵入は困難だし、塞いでいない窓は二階部分にある。もしも少年が強引に体育館の中に入り込もうとすれば、その時は全員で襲い掛かるまでだ。狭い場所で一斉に襲い掛かれば、銃があっても倒せるだろう。


「君たちが僕を襲った連中の仲間だってことはわかってる。今外に出て来て僕に謝罪し、二度と手出しはしないと誓えば命は保障しよう。だから外に出て来てくれ」


 少年の声は穏やかになったが、未来は絶対に外に出て行くつもりは無かった。自分たちが裕樹の仲間だということを、外の少年は知っている。それはつまり彼が襲撃に出たメンバーを捕えて、拷問の末に吐かせたということだろう。そんなやつの言うことなど信用できない。外に出たら最後、皆まとめて殺される。


「どうするの、未来ねえちゃん……」

「大丈夫、皆は私が守るから」


 そう、自分はこの場で一番年上なのだ。だから私がしっかりしなくてどうする?

 未来は不安そうな表情の子供たちの頭を撫でながら、そう決意した。幸い相手は一人、どうにか耐えて夜を待てば何とかなるかもしれない。流石に夜になり周囲が暗くなれば、相手にも隙が生まれるだろう。


「僕としても色々と無駄にはしたくないんでね、素直に出てきてくれるとありがたいんだけど」

「ダメよ皆、相手にしちゃだめ」


 未来は次に少年がどう出てくるか予想しようとした。壁越しに銃弾を撃ちこんでくるか、あるいは強引に突破を試みるか。前者ならば、皆を安全な場所へ避難させなければ。そうだ、体育倉庫なら障害物が沢山あって銃弾が来ても直撃は避けられる。皆を体育倉庫に移動させよう――――――。


「なるほど、それが答えか。残念だ、警告はしたつもりだったんだけど」


 ぞっとするような、感情の篭もっていない声が外から聞こえてきた。口調は明るいのに、何を考えているのか全く分からない声。思わず未来が震えた時、外から銃声が轟いた。

 体育館の二階部分に並ぶ窓が次々と割られ、ガラスの破片が降り注ぐ。とっさに床にあった毛布を被った子供たちは、至近距離で轟いた銃声に悲鳴を上げた。

 幸いなことに、けが人はいない。間近で銃声を鳴らして脅かしているのか? 未来は床に伏せたまま、集まった子供たちに体育倉庫に行くよう言った。 


「そこは危ないわ、早く戻ってきて!」

「わかった……あれ、あいつ何か持ってる」


 ギャラリーから下に降りようとしていた男の子が、外の少年に目が釘付けになる。「早くこっちに来て」と言いかけた未来だったが、次の瞬間窓から飛び込んできたものを見て言葉を失った。





「もっと、熱くなれよ」


 そんなことを呟きながら少年が割れた窓から体育館に投げ込んだのは、内部が液体で満たされたビール瓶だった。口には火のついた襤褸切れが押し込まれ、回転しつつ割れた窓から体育館の中に飛び込んだビンは、床に当たって粉々に砕け散る。次の瞬間、撒き散らされた液体が一気に燃え上がった。

 少年が投げ込んだのは火炎瓶だった。背負っていたリュックからもう一本の火炎瓶を取り出し、ライターで口に詰め込んだ布に火をつける。助走をつけて放り投げられた火炎瓶は、綺麗な弧を描いて体育館の中に落ちた。

 中に入っていたガソリンに火が燃え移り、火の塊が撒き散らされる。子供たちが生活区画として使っていた体育館の床には毛布やゴミが散乱しており、あっという間に火はそれらの火炎物に引火した。たちまち炎に包まれる体育館の中にいた子供たちは、パニックに陥って出口を目指す。


 が、少年の侵入を防ぐべくバリケードまで出入り口に積み上げてしまったため、すぐに外に出ることは叶わなかった。バリケードに群がりどうにか外に出ようと押し合いへし合いしているその奥では、逃げ遅れた女の子が全身を火に巻かれてのた打ち回っている。


「あつい、熱いーっ! あぁぁぁぁあああああっ!」

「助けて!」


 そんな阿鼻叫喚の地獄絵図の中、未来はどうにかして子供たちを別の場所へ移そうと必死だった。外に出れば少年が待ち構えている。しかし体育館中に燃え広がった火に恐怖した子供たちは、少年の存在をすっかり忘れてしまっていた。

 どうにかバリケードを退かし、昨日まで助け合ってきた仲間を押しのけてドアから外に飛び出す。次の瞬間轟いた銃声と共に、外に向かって走り出したばかりの男の子は、胸から血を噴き出しながら地面に倒れた。倒れた男の子の向こうには、自動小銃を構えた少年の姿。


 続いて外に出た女の子は、頭を吹き飛ばされた。ライフル弾としては大口径の部類に入る7.62ミリ弾は、人間の頭をスイカの如く破壊するほどの威力を持つ。額から上が消失し、銃弾と頭蓋骨の破片でぐちゃぐちゃにかきまぜられた脳味噌が周囲に撒き散らされる。ようやく少年の存在を思い出した子供たちは慌てて体育館の中に戻ろうとしたが、後から後からやって来る他の子供に外に押し出されてしまい、次々少年の銃火の前に倒れていく。

 体育館の中に戻っても、辺りは一面火の海だった。既に何人かは黒焦げになったまま動かなくなり、未来は残った子供たちを引き連れて外に出るしかなかった。他の出入り口は自分たちで封鎖してしまった上に、炎の壁の向こうにある。外で少年が待ち構えているドアから、出て行くしかなかった。


「撃たないで! 今から外に出ます。何でもします、だから撃たないで!」


 返事は無かった。白旗替わりの白いハンカチを片手に、意を決して未来は外に出る。銃声は、聞こえてこない。少年はライフルを構えたまま、微動だにしなかった。

 未来は目の前の少年が、高校生くらいの年齢でしか無いことに驚愕した。そして身に着けたいくつもの銃を見、何の感情も伺えないその瞳を見、唐突に未来からやって来た殺人ロボットの映画を思い出した。

 サングラスこそかけていないものの、額から右頬にかけて走る傷跡の奥に見える瞳は、まるで未来たちが人間ではないかのような視線を向けている。害虫駆除ですらない、邪魔な石ころを退かしているような、何の感情も抱くことなく作業しているような瞳。


 既に体育館の窓からは黒煙と共に炎が噴き出している。生き残った子供は、未来も合わせて5人。彼らが全員出てきたところで、再び少年が口を開く。


「何で僕を襲ってきたんだ?」

「ごめんなさい、許してください。私たち親がいなくなって、お腹が減ってどうしようもなくなって……」


 嘘は許さないとでも言うような、冷たい口調だった。未来は必死に謝罪の言葉を並べ立てたが、少年は構えたライフルを下ろさない。未来はどうにかして許しを請おうとした。どんな理由があれ、先に少年を殺そうとしたのは自分たちだからだ。


 未来は全てを説明した。町の食料がなくなり、食料を探しに行った親たちも戻ってきていないこと。血気盛んな男子たちが二週間前に二人組の生存者を襲い、それに味を占めてしまったらしいこと。今回も年長者の男子たちが中心になって少年を襲う計画を立てたが、自分は必死に反対したこと、子供たちは襲撃計画に関しては何も知らないことなどなど。

 その間、少年は一言も口を挟まなかった。怯えた子供たちが未来に縋りつく中、最後まで彼女の話を聞いた少年がようやく銃口を下ろす。


「……なるほど、腹が減っていたのか。なら最初からそう言えばいいのに」

「ごめんなさい。でも助けてくれるとは思えなくて……」

「ま、仕方のないことだったんだよな、君たちにとっては」


 未来は必死に首を縦に振った。どうやら事情を理解してもらえたらしい、これなら生き残った自分たちを見逃してくれるかも――――――。

 助かったと安堵しかけたが、「だけど、僕にとっても仕方のない事情ってもんがあるんだ」という、冷たい声で未来は現実に引き戻された。


 少年が自分たちに向けて、またも銃口を向けている。その人差し指は引金に掛かっていた。


「何で……」

「今ここで君たちを排除しておかないと、また襲ってくるかもしれないからね。生憎、僕は死にたくはないんだ」

「そんな、もうあなたを襲うつもりなんてありません! お願いです、助けてください!」

「君たちが最初から僕に助けを求めてきたのなら、話は別だったんだけどね。襲ってきた後に言っても、君たちが僕を襲撃した連中の仲間であることに変わりは無い。僕は僕を傷つけようとする奴らは、全員排除するってルールを決めてあるんだ。たとえ些細な可能性であっても、それを見逃すわけにはいかない」

「待っ――――――!」


 未来の言葉は、最後まで発せられることはなかった。笑うことも怒ることもせず、淡々と少年は続けた。


「僕は、死にたくないんだ」


 次の瞬間、少年が発砲する。頭を思いきり殴られたような衝撃が、未来の最後の知覚だった。

 頭を半分吹き飛ばされた未来の身体が仰向けに倒れ込み、彼女の身体に縋っていた子供たちも尻餅を着く。怯えた瞳で自分を見つめる子供たちにも、少年は躊躇なく発砲した。

 5発の銃声が轟いた後には、少年を除いて何も動くものは残っていなかった。体育館の建材が爆ぜる音と、炎のうねる音だけが静まり返った避難所に鳴り続ける。


 まだ小学生か、それにも満たない子供たちが物言わぬ躯と化したのを見ても、少年の心に後悔や自責の念など湧いてこなかった。彼らは自分を襲おうとした連中の仲間であり、ここで見逃せば後々復讐をされるかもしれない。その可能性を予め摘んでおいただけのことだ。

 彼らが最初から素直に助けを求めていれば、場合によっては少年はそれに応じていただろう。しかし彼らが武器を求めてきたその瞬間に、生存者の子供たちは「敵ではない」存在から「敵」のカテゴリーへと分類された。そして少年は敵は全て排除するというルールを、自らに課している。たとえ幼い子供であっても、そのルールから逃れることは出来ない。


 それでも、小学生くらいの女の子が血塗れになって倒れている姿を見て、少年は唐突に以前まで行動を共にしていた少女のことを思い出した。だが、それも考えないようにした。彼女は死んだ、今さら何を考えても意味はない。


「弾の無駄遣いだったかな」


 ようやく出た言葉も、「敵」を全て倒すのに使った弾を惜しむものだった。校門のバスで発砲してきた男の子を射殺し、奪ったリボルバーに残っていた弾は3発だけ。とても消費量に釣り合わない。


 まあいい、安全は確保できた。これで誰も車のタイヤを交換している間、僕を襲ってはこないだろう。少年はその事実に満足すると、燃え盛る体育館と子供たちの死体には目もくれずに元来た道を引き返し始めた。

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