第六六話 The Last of Usなお話
足を挫いた結衣に肩を貸し、彼女を半ば引きずるようにして東に向かう。橋を渡った対岸の街は、自衛隊が橋を爆破したおかげか感染者の姿が少ない。それでも街中に感染者の咆哮が轟き、路地やドアが開いたままの民家から、いくつかの人影が姿を現す。
だが今の僕は、今までにないほど冷静だった。ナオミさんを失った悲しみや自分への怒りで心はぐちゃぐちゃに掻き乱されていたが、それとはお構いなしに身体は勝手に動いてくれる。左手で結衣の身体を支えたまま右手で自動拳銃をホルスターから引き抜き、前方から突っ込んでくる感染者に向けて二度、引き金を引く。一発目が胸を貫き、仰け反ったところを二発目の銃弾が頭を貫く。
今までは走っている感染者に当てることすらほとんど出来なかったのに。別の方向から向かってくる感染者に三発撃ちこんで殺害したところで、拳銃のスライドが後退したまま止まった。すかさず空になった弾倉を排出し、ベストのポーチに突っ込んであった予備弾倉を叩き込んでスライドストップを下ろす。
「奴らを振り切る。足が痛いだろうけど、もう少し我慢してくれ」
結衣は何も答えなかった。感染者に襲われて全ての武器を失い、足の負担になるからとリュックも置いてきたのに、彼女の足取りは重い。怪我のせいもあるだろうが、一番の理由は愛菜ちゃんに続いてさらにナオミさんまで失ったことなのだろう。
だが今彼女が口を開かないのは、僕にとってはありがたいことだった。言葉を交わしていれば、会話する人間が減ってしまったことを実感せずに済む。以前は4人で言葉を交わしていたのが愛菜ちゃんを失い、さらにナオミさんまでいなくなってしまった。僕が何を言ったところで、答えてくれるのは結衣一人だけ。
さらに東に進むと景色はビルが立ち並ぶ市街地から、古びた民家が密集した住宅街へと移り変わった。背後からは相変わらず感染者たちの咆哮が、逃げる僕らを追いかけてきている。
十字路をまっすぐ進もうとしたその途端、視界の隅に映るカーブミラーの中で何かが蠢いた。嫌な予感がしてとっさに結衣を突き飛ばし、その方向へ素早く拳銃を構える。
口から血の混じった涎を垂れ流し、一体の感染者が交差点の脇から飛び出してきた。すかさず胸に2発、頭に一発撃ちこんだものの、感染者は身体をふらつかせただけだった。確かに頭を撃ち抜いたのに、死なない。すぐにその理由がわかった。
感染者はヘルメットと防弾チョッキを身に着けていた。緑と茶色を基調とした迷彩服に身を包んだその感染者は、元は自衛隊員だったのだろう。防弾装備に身を固めた感染者は大きな咆哮を上げ、まっすぐ僕に向かって突進してきた。
防弾チョッキは標準で拳銃弾程度なら阻止できるし、セラミックプレートを内部に挿入すればライフル弾すら防ぐことが可能だ。感染者相手の治安出動では防弾装備はそこまで求められていなかっただろうが、それでも拳銃でいくら撃ったところで目の前の感染者は倒れないだろう。衝撃で肋骨くらいは折れているかもしれないが、痛みを感じない感染者は全く怯まなかった。
スリングで肩に吊ったライフルを構えかけたところで、感染者が僕に体当たりを食らわせた。ライフルを捨て、ナイフを引き抜く。頭と胴体は守られているが、顔面は露出している。
感染者が僕に馬乗りになろうとした瞬間を見計らい、逆手に握ったナイフを思いきりその顔に振り下ろした。ヘルメットのひさしの下、目に深々とナイフの刃が突き刺さり、感染者の身体が一度大きく痙攣した。眼球が潰れた眼窩から、透明な液体が混じったどろどろの血が流れ出す。
「後ろ!」
地面に尻餅を付いたまま、結衣が僕らが来た方向を指差した。ずっと僕らを追いかけていた十体ほどの感染者の集団が、すぐ目の前まで迫ってきている。地面に転がったライフルを取ろうとした僕は、もう動かない感染者の防弾チョッキに取り付けられたポーチの中に、金属の輪っかが付いた楕円形の物体が収まっていることに気づく。
手榴弾だった。以前タンクローリーを爆破する時に使った焼夷タイプではなく、爆発で破片を撒き散らして敵を殺傷する種類のものらしい。とっさにポーチの中からレモンのような楕円形の手榴弾を引っ張り出し、安全ピンを引き抜いて迫りくる感染者たちへ向けて放り投げる。そして結衣を庇うため彼女の身体に覆いかぶさった直後、信管を作動させた手榴弾が爆発した。
感染者たちの手前の道路に落ちた手榴弾だったが、僕たち目掛けて疾走する感染者たちは自ら殺傷範囲内のど真ん中に突っ込む形となった。結果、手榴弾は群れのど真ん中で爆発し、撒き散らされた鉄片は感染者たちの身体に高速で突き刺さり、ズタズタに引き裂いた。
顔を上げると、群れの半分が地面に倒れ、動かなくなっていた。鉄片を頭にめり込ませて動かないもの、爆風で首があらぬ方向にねじ曲がっているもの……。
それでも仲間が肉の壁になってくれたおかげか、もう半分はその場に立っていた。しかし至近距離で起きた爆発で三半規管を掻き乱されたのか、まるでメトロノームのように上半身をゆらゆらふらつかせている。真っ赤に充血した瞳は僕らの方を向いていたが、その足取りは重い。
ライフルを拾い上げ、動きが鈍い感染者たちの頭を撃ち抜いていく。最後の一体が斃れると、住宅街に静寂が満ちた。遠くから感染者の咆哮が風に乗って聞こえてくるが、どうやら近場にはいないらしい。とりあえず、差し迫った脅威は排除できたということだろう。
元は自衛隊員だった感染者の死体を漁り、武器弾薬を確保しておく。崩落した橋の向こうに置いてきてしまったワゴン車にはまだ武器と弾薬が積んであった。もしも戻って取って来れるのならば問題は無いが、それが出来なかったときのために、少しでも武器を確保しておきたかった。武器と物資は、いくらあっても困らない。
発症して理性を失った時に手放してしまったのか、死体は自衛隊員の標準装備であるアサルトライフルは身に着けていなかった。連射も出来る武器があれば心強かったのだが、無い物ねだりをしても始まらない。防弾チョッキのポーチにはアサルトライフルの銃弾が弾倉に込められた状態でいくつか収納されているが、弾があっても銃が無ければ意味がない。しかしこの先アサルトライフルを見つける可能性はゼロではないため、5.56ミリのNATO弾を30連弾倉ごとリュックに詰め込む。
拳銃は、レッグホルスターに収まったままの状態だった。腰の弾帯に繋がったままの紛失防止用のランヤードを外し、桜のマークと「9mm拳銃」の刻印が入ったスライドを軽く引く。薬室には既に9ミリ弾が装填されていた。グリップ底のマガジンキャッチを押し、弾倉を排出。こちらにも既に銃弾は込められている。
防弾チョッキを弄って、拳銃の弾倉が収められたポーチを丸ごと頂いていく。銃刀法で一般人の拳銃所持が規制されているため、銃砲店に行ったところで拳銃用の弾は当然置いていない。感染者相手には威力不足の拳銃だが、それでも鈍器や刃物で立ち向かうよりはかなりマシだ。大和が所持し、今僕が使用しているドイツ製の自動拳銃も同じ9ミリ弾を使用しているため、いざという時は使い回せる。
もう一発残っていた手榴弾をベストの開いたポーチに突っ込み、再び結衣に肩を貸して立たせる。得られたのは銃が一丁と手榴弾が一発、そして拳銃弾が数十発と使えない小銃弾が200発ほど。無いよりはマシだが、戦闘になればあっという間に使い切ってしまう量だろう。
そして今の僕らは満身創痍の状態だった。結衣は足を負傷して満足に動けず、僕は身体は無事だが精神状態はそうでもない。何より、最大の戦力だったナオミさんを失った。今の僕らに出来ることは、せいぜい逃げ回って隠れることだけだ。
道路脇に立つ電柱に、緑色の看板が掲げてあった。小学校の名前と共に、避難所という白い文字が距離と共に記されている。
「学校か……」
この惨状では、仮にその小学校が避難所になっていたとしても、今は誰もいないだろう。避難所などの人間が多く集まる場所は、真っ先に感染者に襲われた。襲われていなくとも街に感染者が残っているのだ、誰かが生活しているとは思えない。小学校に避難していた人間は感染者に軒並み殺されるか連中の仲間入りをし、あるいはより安全な場所を求めてどこかへ逃げただろう。
楽観視するわけにはいかないが、今まで訪れた様々な避難所は、大抵無人の廃虚と化していた。地震などの災害時ならば、避難所で待っていれば数日で救援隊がやって来て物資の配給などを行ってくれる。しかしこの状況下では、いつまでも避難所に留まっていたところで誰も助けに来てはくれない。備蓄してある物資は減る一方であり、狭い場所に押し込められた人々は不満が溜まる。その上感染者に襲われる可能性が高くなるとあらば、窮屈な避難所など捨てて別の場所に向かうのが当然だろう。感染者に襲われていない避難所でも、そんなことを考えたらしい人々が物資をあるだけ持ち出して逃げていた場所があった。
今すぐ安全な場所に身を隠すべきだが、かといって道路の左右に立ち並ぶ民家に飛び込むわけにはいかなかった。中に何が潜んでいるかわからないし、襲撃された際逃げ場が無かったら困る。そして外を見張るためには、なるべく高い場所に行った方がいい。
そして学校は災害時の避難所としても利用されるため、非常用の物資が備蓄されている。無いなら仕方ないが、あるのならば手に入れておきたい。そしてこの地域の地図も入手しておきたいところだ。
無論、あくまで一時的なシェルターとして学校を利用するだけだ。この後どうするか、どこを拠点にするかは後で考える。今は一刻も早く一息つきたかった。
「……また、二人になったな」
結衣は何も答えなかった。ふと、結衣と出会ったばかりの頃を思い出す。まだまだ世界には救いが残っていると信じていられた、今と比べればまだ純粋であった頃の僕を。
どうしてこうなった? どこで道を間違えた? その問いにはきっと、誰も答えを示してはくれないだろう。あのままずっと二人でいたならば、こんなことにはならずに済んだのではないか。愛菜ちゃんを助けず、ナオミさんと出会うこともなく、どこかの廃虚で二人で引きこもる。そうすれば僕は殺人に手を染めることも、大切な人を切り捨てることもしなくて済んだのではないか。
しかし今の僕に、余計な事を考えている余裕はない。今やるべきことは一刻も早く安全な場所を見つけ、そこに隠れること。その次に武器や物資の収集で、後悔は優先順位のリストの一番下だ。
台風はさらに東へ進んだのか、雨と風の勢いが弱まってきている。この分ではきっと、明日の朝は雲一つない青空が広がるだろう。だが空と同じように僕の心が晴れることは、多分ない。
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