第六二話 全品100パーセントオフなお話

 小さな車のエンジン音が、静寂に満ちた車内に聞こえるほとんど唯一の音だった。言葉を発する者はなく、助手席でナオミさんが道路地図のページを捲る音だけが時々聞こえるだけだ。

 狙撃手が潜んでいたマンションで、僕らは多くのものを得た。食料に医薬品、そして民間用とはいえ多くの武器弾薬。

 失ったものは、愛菜ちゃんの命だ。こればかりは、どうやっても取り戻すことは出来ない。食糧はどこかの店を漁れば残っているかもしれない。武器弾薬もこの先補充できる可能性はある。しかし失われた愛菜ちゃんの命は永遠に戻ってくることはなく、僕らに残されたのは彼女との思い出だけだった。


 愛菜ちゃんが死んでから、会話もめっきり減った。以前は誰かが冗談を言ったり、他愛もない思い出話に花を咲かせることもあった。しかし今では交わされる言葉は事務的な、それも必要最低限のものばかり。余りに重苦しい雰囲気に耐え切れずに一度冗談を言ってみたものの、誰も反応してはくれなかった。道化を演じる自分が馬鹿らしく思えたので、それからはまた必要が無い限り口は開かない生活に戻った。


 どこへ行けばいいのか――――――いや、何をすればいいのかわからない。何のために生きているのかすらわからない僕に、この先どうすればいいのかなんてわかるはずもない。ただ当てもなく東へ車を走らせ、腹が減ったら食事をする。夜は交代で銃を携え、感染者を警戒しつつ寝る。だが何のためにそんなことをするのか、僕自身もわからない。ただ惰性で、以前と同じ行動を繰り返しているだけだ。

 以前は「生き延びるため」という目的があった。しかし愛菜ちゃんを埋葬した時にナオミさんから問われたことで、改めて空っぽな自分という人間を思い知った。帰る家も、出迎えてくれる家族ももうない。友人や知人は残らず死ぬか感染者と化し、誰も僕の生存を待ち望んでいる人間はいない。

 結衣には「行方不明」という文字が頭に付くとはいえ、まだ家族がいる。アメリカの様子はわからないとはいえ、ナオミさんの家族も生きている可能性があるだろう。だから彼女たちには生きて家族と再会するという目的がある。だが僕には何もない。


 感染者のことを笑えないな、と思った。感染者は理性を失い、何も考えずに本能のままに行動するだけの存在と僕は思ってきた。だが僕だって、何も考えていない。感染者が飢えを満たすという本能に従って人間を襲っているように、僕も動物が持つ当然の欲求に従って生きているだけだ。そこには目的も何もない。

 「死なないために生きる」。僕も感染者と同じように何も考えず、その本能に従って生きているだけなのだ。




「ちょっといい? 少し寄りたいところがあるんだけど」


 静まり返った車内の雰囲気を打ち破るようにナオミさんがそう言ったのは、ちょうど正午を回った時だった。朝の6時から車を走らせ、途中何度か運転を交代し、僕がハンドルを握っているときのことだった。


「寄りたいところ? どこですか? ガソリンは昨日補充したし、食料もまだ十分残ってますけど」


 銃器や食料の入った段ボールが無造作に積まれた後部席、それらの物資の隙間に身体を押し込むようにして座っている結衣が投げやりな口調で言う。彼女もまた、愛菜ちゃんを失ったことに大きなショックを受けている。このメンバーの中で一番愛菜ちゃんを可愛がり、まるで実の妹のように接していた彼女の悲しみは計り知れない。愛菜ちゃんがいなくなってからも彼女はきちんとグループのために行動していたが、どこか覇気を失ったように感じる。


「この先の街にミリタリーショップがあるみたい。そこで色々、役に立つ物が手に入るかも」


 そう言ってナオミさんは、ダッシュボードの上に雑誌から破ったらしい一枚のページを置いた。事故を起こさないように気を付けつつそちらに視線をやると、確かにミリタリーショップで取り扱っている商品と住所が印刷されている。あの狙撃手の部屋には銃器系の雑誌が何冊かあったから、それから破ってきたのだろう。ページに記載されている住所は、確かにこの近くだった。


「でも、役に立つ物って? シュワちゃんの映画ならともかく、日本のミリタリーショップじゃ銃や弾薬なんてとても取り扱ってませんよ」

「シュワちゃん?」

「アーノルド・シュワルツェネッガーですよ」


 ショッピングモールで銃が売っているアメリカだったら、ロケットランチャーも手に入るミリタリーショップがあるのかもしれない。しかし日本で銃を売っているのは銃砲店だけだ。ミリタリーショップで入手できるのは、せいぜいエアガンくらいだろう。


「いや、銃なんか手に入るとは思ってないよ。ほら、『実物暗視装置取り揃えてます』ってあるでしょ? もしも暗視装置があれば夜の警戒もぐっと楽になるし、夜間も行動できるようになる」


 感染拡大によってライフラインが止まり、当然今では夜になる度街灯一本灯らない真っ暗闇が広がっている。他に人工的な灯りが無い中では懐中電灯の光すらかなり目立ち、感染者に見つかる可能性があるので中々使えない。かといって月明かりだけを頼りに行動するのも中々困難なので、今まで夜に行動することを避けていた。


 しかし暗視装置があれば、その状況も少しはマシになるだろう。暗闇の中、どこにいるかもわからない感染者に怯えながら夜を過ごさずに済むかもしれない。

 感染者に懐中電灯を使うという知能は無く、またそれほど夜目が利くというわけでもないらしい。もしも僕らに暗闇の中でも昼間のように行動できる能力があれば、こちらの有利に事を運べる。


「まあ、いいんじゃないんですか?」


 暗視装置が無くても、他に役に立つ物があるかもしれない。「米軍放出品」の文字もページにはあったから、使えそうな軍用品もあるだろう。何より、今は行動する目的が欲しかった。

 結衣も反対しなかった。そういうわけで僕はハンドルを切り、街を目指した。




 ミリタリーショップというくらいなのだからさぞ要塞みたいな店なのだろうと想像していたのだが、住所にあったのは至って普通の雑居ビルだったので拍子抜けだった。ビルの壁面に吊り下げられた看板の中にその店の名前が無ければ、見落としてしまいそうなくらいだ。

 ビルのシャッターは開いていたが、中に感染者が潜んでいないとも限らない。いつも通り入り口の前に空き缶を放り投げ、しばらく待つ。5分経っても中から何も飛び出してこないのを確認し、僕らはビルに入ることにした。


 また誰かに襲われてはたまらないので、車は目立たないところに停めておく。いざという時にいつでも車を出せるようにドアはロックせず、エンジンキーは付けたままにした。さらに結衣が見張りとして、車に残ることになった。

 狙撃手から奪った自動小銃を手に、何の変哲もないビルに近付いていく。木製の銃床には狙撃手の血が染みついていたが、文句は言っていられない。愛菜ちゃんを殺した武器を使うのは気が進まなかったが、今僕らが持つ銃火器の中で、もっとも強力なのはこの自動小銃であることは事実だった。


 念を入れて、道路を渡る時も警戒しながら進んでいく。一人が進む間にもう一人は待機し、何かあった場合即座に援護できる態勢をとる。幸い、今回は銃弾が飛んでくることはなかった。


「私が先行する。バックアップをお願い」


 ライフルをスリングでたすき掛けに吊り、代わりにソードオフ――――――全長を短くした散弾銃を片手に握ったナオミさんが、もう片手にフラッシュライトを持ってビルの中へ踏み込んでいく。電気が使えない建物の中は、昼間だというのに真っ暗だ。シャッターが上がったままのビルの入り口が、まるで巨大な化け物が大きく口を開けているように見える。


 入り口から見た限り、上の階に繋がる階段はかなり狭そうだった。自動小銃では銃身がつっかえてしまうだろう。僕も小銃を肩から吊ると、代わりに腰に提げた手作りのキャンバス地のホルダーから、銃身バレルと銃床ストックを切り落とした上下二連式の散弾銃を引き抜いた。

 ライフルや散弾銃では銃身が長くて屋内では使いづらいし、拳銃では威力が低い。人間相手ならともかく、痛覚が麻痺した感染者を拳銃で倒すには一撃で致命傷を与えなければならず、そのためにナオミさんが手持ちの散弾銃を改造したのだ。

 銃身と銃床を鋸で切断したことによって全長は大きめの拳銃といった程度まで短くなり、重量もかなり減った。銃身が切り詰められたことで射程は短くなったが、その分近距離での威力は増大するらしい。もっとも改造してからまだ一発も撃っていないので、本当かどうかはわからないが。


 同じく片手にソードオフ、もう片手にフラッシュライトを握り、ナオミさんの後に続いてビルに足を踏み込む。とたんにかび臭い臭いが鼻についたが、腐臭も血の臭いもしない。

 足音だけが、暗いビルの中に反響する。人が二人、どうにかすれ違えそうな幅しかない階段を上がっていくが、死体は見当たらない。このビルの利用者たちは、幸運にも殺戮が始まる前に逃げ出すことが出来たらしい。それでも慌てていたのか床には書類が散乱し、脱げたハイヒールが転がっていたりするのだが。


 最上階の4階が、目当てのミリタリーショップだった。階段を上がるなり、迷彩服を着たマネキンが僕らを出迎える。一瞬感染者かと勘違いして銃を向けそうになり、それを見たナオミさんが笑った。

 店内には所狭しと、様々なミリタリー関係の物品が並べられているようだった。ライトの光だけでは店内全体を把握することは出来ず、仕方ないのでリュックから取り出したLED電球のランタンを灯した。店の6割は迷彩服や戦闘服のラックで埋まっており、残りのスペースは弾薬箱だったり使い道がよくわからない物品が積み上げられている。ミリタリー系の雑誌が並んだ棚のてっぺんにランタンを置いた僕は、店内の探索を始めた。


 暗視装置は、あっさり見つかった。店の一番奥、鍵のかかったガラスケースに暗視装置や光学機器が展示されている。軍用の光学照準器なども、同じケースに収められていた。雑誌のページで見たものとよく似ている。


「もしかして暗視装置って、これですか?」

「そうそう、それそれ。さて、ケースのカギを探さないとね。迂闊に叩き割るわけにもいかないし」


 暗視装置の脇に置かれた値札は、どれも6ケタの数字が並んでいた。中には100万円近くのものもあり、当然ケースは鍵が掛かって警報装置も取り付けられている。電池式なので停電中でも作動するから、ナオミさんの言う通り叩き割ったら大音量の警報音が鳴り響くだろう。


 事務所に回ってみると、ガラスケースの鍵もすぐに見つかった。壁のフックに、リングに束ねられた数本の鍵がある。いくつか試してみると、警報が作動することなくガラスケースは開いた。


「うわ、これ最新のやつじゃない。軍や警察向けばかりで、民間に出回ってることなんてほとんどないのに」

「そうなんですか?」


 まあ40万も50万もするのだから、どちらにせよ一般人には手が届かないものだが。僕はガラスケースに並んだうちの一つを手に取ってみた。単眼式のちょうど手の大きさくらいの暗視装置で、普通はヘルメットに装着して使用するものらしい。微弱な光を増幅することで視野を確保するのだとナオミさんは言った。

 が、動かなければ無用の長物でしかない。作動するかどうかを確認するナオミさんを残し、僕は一人で店内を回って役に立ちそうなものを次々とカゴに放り込んでいく。救急セットに折り畳み式のナイフ、フラッシュライトといったアウトドア用品の他にも、軍用糧食レーションのパックがいくつかあった。が、ナオミさん曰く放出品なので安全に食べられるかどうかはわからないらしい。一応密封されていて保存状態も良好だったらしいので、持って行くことにした。


 他にもグローブやズボン、ジャケットなどもカゴに入れていく。徒歩での移動だったら可能な限り荷物を減らさなければならないが、車だったら大丈夫だ。新しく入手したワゴン車は以前の車よりも車内スペースが広いし、残酷な話だが愛菜ちゃんがいなくなったことでさらに空間に余裕が出来ていた。


「よし、どうやらきちんと動くみたい」


 その声で振り返ると、ヘッドバンドに暗視装置を取り付け、まるで宇宙人か何かのように見えるナオミさんがいた。昆虫の目のように突き出した暗視装置越しに、店内をぐるりと見回している。


「頭、重くないんですか?」

「重いよ。まあ許容できる範囲だけどね」


 そう言ってヘッドバンドごと暗視装置を外し、僕に手渡してきた。片目を瞑り恐る恐る接眼レンズを覗くと、途端に視界が緑一色に染まる。天井近くに置いたランタンが白く輝いていて、肉眼ではシルエットでしか見えなかったナオミさんの姿がはっきりとわかった。

 しかし視界が狭い。試しにヘッドバンドを装着したら、途端に頭がずっしりと重くなった。明るく見えるのはいいが、暗視装置を覗いたままだと小銃の狙いを定めることも出来ない。


「そういった時は赤外線のレーザー照準器を取り付けるんだけどね」


 ナオミさんが手にしたレーザー照準器から、細い一筋の白い光がライトセーバーのように虚空に伸びるのが見えた。暗視装置を外すと、レーザーは見えない。この暗視装置では赤外線の光も可視化出来るらしい。

 だが、狭い視界はやはり致命的だ。こういった障害物が多いでは、どこに感染者が潜んでいるかわからない。もしも丸く見えている暗視装置の視野の外から襲われたら、何が起きているのかわからないまま僕は死んでしまうだろう。


「まあ、狭い場所ではあまり使いたくはないね。暗視装置は外での見張りとかに使って、建物の中はライトも使って行動することにしよう」


 ナオミさんが使えそうな暗視装置やスコープなどをカゴに次々と積んでいく。ガラスケースにいくつか残されたままだったので気になって尋ねると、残った奴はあまり役に立ちそうにない代物なのだとか。

 金属製のケースに収められた、望遠鏡にも見える長い暗視装置を手に取る。ケースの表面にはキリル文字が印字され、中にはやはりロシア語で書かれた説明書のような冊子が入っていた。


「そっちは旧式の。ソビエトが崩壊した時に不良軍人が装備や兵器を横流ししたらしいから、多分その時のものだと思う」

「たしかに、かなり重いですね」

「それにその暗視装置は銃に直接取り付けるタイプなんだけど、私たちの銃のマウントベースには取り付けられないからね。ずっと手に持って使うわけにもいかないし、置いていった方がいいよ」


 それにロシア語読めないし、と最後にナオミさんは付け足した。しかし何かに使えるかもしれないと僕が言うと、好きにすればいいと彼女は答えた。またずっしりと重くなったカゴを抱えて店を出ようとした僕を、背後からナオミさんが呼び止めた。


「ちょっと待って。いいものを見つけたから」


 彼女が差し出してきたのは、銃の弾倉だった。『希少! 実物M14マガジン入荷しました。残り8個』のポップと共に、同じ弾倉が店の中央のテーブルの上に置かれている。M14とは、確か僕が持っている自動小銃の軍用モデルだったか。


「今装着してるのは5発弾倉だけど、こっちは20発入る。一々弾倉交換する手間が省けるでしょ」


 そう言ってナオミさんはポケットの中からライフル弾を取り出し、新品の20連弾倉に込めはじめた。バネが縮む音と、金属が擦れる音が響く。5発ほど弾を込めたところで、「付けてみて」とナオミさんが弾倉を手渡した。

 今まで装着していた5発弾倉を外して薬室の弾を排出し、スマートフォンを一回りほど大きくしたようなサイズの20連弾倉を装着する。ボルトハンドルを引くと、ガチャリという音と共に初弾が薬室に装填された。ガタもなく、給弾にも問題はなさそうだ。


「それにしても、M14のマガジンが一個15000円だとはね。私の町じゃ、軍の放出品が一個30ドルで買えたよ」

「てことは一ドル100円で考えても、5倍の値段ってことですか」

「そう。こんな値段で取引されてるなら、いくつかアメリカから持って来ればよかった。そうすれば大儲けできたのに」


 店には他にも米軍の放出品らしい、実銃の部品がいくつかあった。その中には今見つけたような空の弾倉などもあったが、僕の小銃に合致するものはテーブルの上にあった8個しか見つからない。口径6ミリ以下の銃火器は銃刀法で規制されているが、米軍や自衛隊の小銃の光景は5.56ミリだ。いくら空の弾倉を集めたところで、銃砲店で取り扱ってないのだから持っていても仕方がない。自衛隊や米軍の銃を入手出来れば、話は別なのだが。


 他にも銃のパーツなど、使える物はすべて持って行く。ミリタリーショップで取り扱っていた商品の中にはアメリカから輸入したらしい、僕の自動小銃をアップグレードさせるパーツもあった。銃の全長を短縮し、フラッシュライトやレーザーサイトのマウントも可能になるらしく、ナオミさんが後で組めるかどうか試してみるらしい。

 あまり期待はしていなかったが、今回は色々と役に立つものを入手できた。しかし幸運はいつまでも続かないことを、僕は知っていた。

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