第五六話 お休みするお話

 男を見捨て、女の足を撃ち、赤ん坊もろとも置き去りにしてきたことは、結局皆には言わなかった。3人とも感染者に殺されて死んだと伝えたが、ナオミさんたちはそのことについて深く追求してくることはなかった。街からの脱出のゴタゴタでそんなことを気にする余裕なんてなかったし、初めて会った3人組のことなんか別にどうでもいいという気持ちもそこにはあったのかもしれない。


 あの後僕は一人マンションに戻り、ナオミさんたちと合流した。銃声と悲鳴、そして鳴り続けるクラクションで感染者たちは街の北側に引きつけられていて、マンションの辺りはがら空きになっていた。女を撃った後、僕は一発も発砲することなくマンションに戻り、ナオミさんたちが準備していた車に乗り込んで街を後にした。

 物資がまだ残っているかもしれない街を捨てるのはとても惜しかったが、自分たちの命が一番大事だった。あの一家が街の外から派手に感染者を引きつけてきてくれたおかげで、もうあの街は安全とは言えなくなっていた。感染者が外をうろつく中、物資を求めて街を彷徨うのはあまりいいことだとは言えない。



 感染者から逃れるように、東へ東へと進んでいく。やがて夏も盛りを過ぎ、涼しい季節がやって来た。

 9月。本当なら今頃は二学期が始まっている頃だ。しかし学校がいつ再会するのか――――――そもそも学校に通うべき子供たちが生きているのかどうか、僕は知らない。少なくとも学校が再開するのは、僕が二十歳を過ぎて大人になった頃だろう。


 季節も移り変わって来たということで、衣服も新たに調達する必要があった。今までは真夏だったから、半袖の服だけで済んでいた。しかしこれから気温はどんどん下がって来るし、夜中は寒くなるだろう。風邪を引いたって医者はいないのだ、今は些細な病気でも命取りになりかねない。


 スーパーやコンビニで入手できる物資が減ってきていることも、僕らの頭を悩ませていた。どうやら他にも生存者はいるらしく、踏み込んだスーパーで缶詰などの食料が軒並み持ち去られている様を何度も見たことがある。自分たちの他にも生きている人間がいるということは嬉しかったが、彼らが物資を持って行ってしまっていることについてだけは喜べなかった。何より、また厄介ごとをもたらす人間がいるかもしれないと思うと、気が重くなる。


 ウイルスの蔓延により、社会機能は完全に停止した。工場で品物が作られることはなく、それを店まで届けるトラックの運転手も軒並み感染するか死んでしまった。物資は今あるだけしかなく、それらは少なくなっていく一方なのだ。


 今はまだ、大勢の人間が死んだから物資も大量に余っている。しばらくは消費者よりも各地の倉庫や店に残った物資の方が多いから、いくつかスーパーを回れば食料などを手に入れられるかもしれない。しかし時間が経つにつれて物資はどんどん減っていく。そしてそれらが補充されることは無い。


 そのこともあり、僕らは東へ向かう道中で人口の少なそうな町を見つけると、そこで物資を探していた。人口が少なければ感染者になる人間も少ないし、街の規模が小さければそこを訪れる生存者の数も少ないと思ったのだ。もっとも、同じようなことを考えている人間は他にもいるかもしれなかったが。


 そうして乏しい物資を補充しつつ、僕らは移動を続けた。度々感染者に襲われることもあったが、それらを全て僕らは退けてきた。かなり心細くなったものの弾薬はまだまだ残っているし、幸いガソリンスタンドや放置車両に残った燃料も変質していない。ガソリンが変質を始めたらいよいよ車を捨てて徒歩で移動する羽目になるだろうが、その前に感染者が全て餓死していることを願うしかない。


 

 ある日僕らが海岸の道路を車で走っていると、道中に一軒のスポーツショップがあった。大手のチェーン店で、店の前には広い駐車場がある。海水浴客やサーファーが主な客なのかもしれないが、大手の店なので一通りの品物は揃っているだろう。まだ誰も略奪していなければ、食料が手に入るかもしれない。


「ナオミさん、停めてください。そこのスポーツショップに寄って行きましょう」

「スポーツショップ? ……ああ、成程」


 後部席に座る結衣と愛菜ちゃんは、お互いにもたれ掛かるようにして寝息を立てていた。最近では二人にも夜間の見張りをやってもらっているため、まだ眠気が残っていたのだろう。


 海岸に沿って走る道路の陸側には、釣り道具を扱う店やコンビニが点々と並んでいる。民家は少なく、感染者もまだ見かけていない。しかし以前に生存者がこの辺りを訪れていたのか、道中で見かけたコンビニや個人商店はほとんどが荒らされていた。無論、食料は残っていなかった。


「……なに、もう夕方?」

「残念だけど、違う。今からあのスポーツショップに食料が残ってないか調べるんだ」

「そんなところにご飯が売ってるの? 革靴なら煮込めば食べられそうだけど、売ってるのはせいぜいシューズとかくらいじゃない?」


 寝ぼけ眼を擦りつつ、結衣が起きた。大昔の白黒映画で革靴を食べる貧しい男がいたような気がするが、生憎合成繊維で出来た今の靴はとても食べられないだろう。


「それが売ってるんだな。スポーツショップには大抵登山のコーナーがあって、そこでテントや登山靴と一緒に保存食も売ってるんだ」


 とはいっても缶詰などではなく、軽くて嵩張らないフリーズドライの食品ばかりだが。それでもないよりはマシだし、ここらで色々と調達しておきたいものもあった。


「へえ、よく知ってるわね」

「昔家族で山登りに出かけた時、店で登山の道具を見たんだよ。まあ山に登って食べたのは、インスタントのラーメンだったけど」


 あの時山頂で家族三人で一緒に食べたラーメンは、それまで食べてきたどんなラーメンよりもおいしかった。そんなことを思い出すと同時に、もうあんな楽しかった日々は永遠に戻ってこないのだということを思い出し、少し気分が暗くなった。やろうと思えば山には登れるだろう、しかしもう一緒に登ってくれる父さんと母さんはいない。


 スポーツショップの駐車場には数台の車が停まっていたが、どれも長い間放置されていたらしく潮風で表面に白い錆が浮いている。店の入り口のドアは開け放たれているものの、駐車場から見る限り店内に荒らされた形跡はない。


「よし、じゃあ皆武器を持って。離れないでついてきて」


 愛菜ちゃんも起こして車から降り、それぞれ武器を確認する。散弾銃を手にするナオミさんの横で、僕もすっかり手に馴染んだクロスボウの様子を確かめた。結衣もホルスターに収まったリボルバーを手に取り、愛菜ちゃんにもう一丁の拳銃を手渡す。



 最近では、愛菜ちゃんも物資の調達に同行するようになっていた。ナオミさんと結衣は危険だと反対したが、愛菜ちゃん自身の強い希望によるものだった。そして愛菜ちゃんは、自分の身を守るための武器を欲した。


『私、わかってるんです。私がお荷物だってことくらい。でも皆の迷惑にはなりたくない、だから自分の身は自分で守りたいんです』


 戦車が放置されていたあの街を抜け出した後、愛菜ちゃんはそう言った。結衣はまだ小学生の女の子の子に武器を持たせることに、そしてナオミさんは幼い女の子が武器を扱うのは危険だということで反対したが、僕は賛成した。誰かがいつでも愛菜ちゃんの傍にいるわけではないし、万が一感染者に襲われた場合は、戦える人間は一人でも多いほうがいい。


最終的にはほかの二人も愛菜ちゃんに押し切られる形で、彼女が武器を持つことを承諾した。とはいってもやっぱり小さい女の子に四六時中武器を持たせておくのは危ないので、普段はこうして誰かが預かることにしているが。


拳銃のスライドを軽く引いて初弾が装填されているのを確認し、ホルスターに戻す。拳銃はあくまで予備だ、音が出ないクロスボウで感染者を倒せるならそれに越したことはない。ナオミさんも散弾銃をスリングで肩から吊っていたが、あくまでもメインウエポンは腰に下げた二本の大きなナイフだ。


「じゃあ様子を確かめてくる。皆はここで待ってて」


僕はそう言うと、皆を残して足音を立てないように建物の方へと歩いていく。万が一店の中に大量の感染者がいた場合、早くここを立ち去らなければならない。ナオミさんはすぐに車を出せるようドアを開けたまま、運転席の横から僕を見ていた。


建物から10メートルほどのところまで近づく。店の中は明かりが灯っていないせいで様子がほとんど伺えないが、中に何かがいる気配はない。開け放たれたままのドアから差し込む日の光で入口付近の様子はある程度わかるが、やはり店内で感染者が息を潜めている気配はなかった。


車の中から持ち出したコーヒーの空き缶を握りしめた僕は、それを建物へと投げつけた。空き缶は何度か地面にバウンドして間抜けな金属音とわずかな飲み残しをまき散らしながら、開いたままのドアから店の中へと転がっていく。すぐさまクロスボウを構え、音を聞きつけて現れるかもしれない感染者に備える。



10秒待ち、20秒待っても店の中から飛び出してくるものはいなかった。念のため、今度は足元に転がっていた石ころを再び店の中へと投げ込んだ。しかし、何も姿を見せない。


どうやらこの店は安全なようだ。もしも中に感染者がいたら、今頃とっくに外に飛び出してきている頃だろう。振り返って手を振ると、ナオミさんたちがほっとしたような顔でこちらにやって来る。


「私とユイで店の中を回って安全を確かめる。二人は物資の確保をお願い」


 そう言われ、僕は愛菜ちゃんを引き連れて店の中へと踏み込んだ。小さな手に拳銃を握った彼女を少し不安にも思ったが、これも必要な事だ。いつまでも僕らが守ってやれるわけではないし、もしも僕たちがいなくなったら愛菜ちゃんは一人で生きていかなければならなくなる。そんな時に備えて、生きるための手段は学んでおかなければならない。



 店の中は、ほとんど荒らされていなかった。入り口のすぐ脇にあった会計カウンターの周りが散らかっているくらいで、誰かが漁った形跡はほとんどない。生存者たちは食料を手に入れるためにスーパーやコンビニを探しても、スポーツショップなんて見向きもしなかったということか。


「綺麗ですね……」

「ああ。多分、今まで僕ら以外に誰も足を踏み入れなかったんじゃないかな?」

「でも、ドアは半分開いてましたけど」


 カウンターの奥の壁にかかった日めくりカレンダーは、日本で感染者が発生した日のままだった。床には小銭と、皺くちゃになった何枚かの札が散らばっている。レジが壊された形跡はなく、お金が仕舞ってある引き出しが開きっ放しになっていた。レジは許可された者以外操作できないのは、開けたのはこの店の店員だろう。


 日本で感染者が発生し、各地で混乱が多発する中、この店の店員たちはレジの金を持ち逃げして逃げ出したのだろう。ドアが閉まっていなかったのは、店員たちが慌ててこの店を去って行った証拠だ。そして店員たちが逃げ出してから、この店には今日まで誰も足を踏み入れなかったといったところか。


「金なんて持って行っても、意味なかったのにな」


 感染が広がってからは、あっという間にお金はただの紙切れと化した。店は閉まったままだし、掠奪すれば代金は支払わずに済む。それに金がいくらあったところで、死ぬ運命から逃げられるわけではない。


「行こう。登山のコーナーは……」


 店の中は暗いままで、結衣とナオミさんの居場所は、彼女たちが持った懐中電灯の明かりでどうにかわかると言った具合だ。フラッシュライトで適当に壁を照らしていると、「あそこみたいです」と愛菜ちゃんが一か所を指差す。彼女の手にした懐中電灯の光が、天井から下がる『登山・アウトドア』のプレートを照らしていた。


 登山道具を扱うコーナーも、他と同様荒らされていなかった。テントや椅子、子供一人がすっぽりと入りそうな大きなリュックが所狭しと並べられている。テントの中に並んだマネキンが一瞬感染者に見せて、心臓が口から飛び出しそうになった。


 他にもピッケルやトレッキングシューズなどが並び、その奥に食料関係の什器が置かれていた。スーパーなどに比べて数は少ないし、種類も乏しいが、全て保存食品だ。その隣にはアウトドア用の調理器具も並んでいる。


「よし、とりあえずこれを全部リュックに入れよう。そうだ、あれを使おうか」


 この際だから、壁にかかった登山用の大きめのリュックも持って行くことにした。車で移動しているので歩く機会はあまりないが、それでも万一車を失えば、僕らは徒歩で行動しなければならない。その時に大きなリュックがあれば、それだけ多くの物資を車から持ち出せる。


 ナイフでタグを切ったリュックに、食料品を次々放り込んでいく。どれも嵩張らずに軽いフリーズドライ食品ばかりだが、貴重な食料だから文句は言えない。雑炊や味噌汁のパッケージをリュックに詰め込み、ついでに調理器具も持って行くべきか悩んだ。


 食品の隣には、アウトドア用の携帯できる調理器具が並んでいる。僕らは今調理の際はカセットボンベを使うガスコンロを用いているが、重いし嵩張って仕方がない。しかしマグカップほどの大きさの缶に入ったホワイトガソリンを用いるガスストーブは、火加減は代えられないものの軽くて小さい。他にも何枚も重ねて収納できる、コンパクトなクッカーのセットもあった。


 万一感染者の襲撃を受けてバラバラに行動しなければならなくなった場合に備えて、僕らは全員分のリュックを用意していた。中には食料や水が入っていて、いざという時にはそれを持ち出して各自逃げることになっている。しかし調理器具は、中には入っていない。


「店の中を見て回ったけど、やっぱり誰もいない」


 調理器具も持って行くべきか考え込んでいると、店の中の安全を確認に行っていたナオミさんたちが戻ってきた。誰も、と言うからには生存者もいなかったのだろう。戦車のあった街でのことを考えると、他の生存者には出会いたくない気分だった。


「窓も割れていないし、他に侵入出来そうな場所もない。入り口さえ封鎖すれば中は安全だし、今日はここに泊まらない? ここしばらく、ずっと車で寝泊まりしてたし」


 結衣が続けた。確かにここしばらく、僕らはずっと車で寝起きを繰り返していた。人口密集地帯を避けひたすら民家のない場所を進んでいたせいで、夜は車の中で寝るしかなかったのだ。


 それに運よく民家があっても、常に感染者に警戒しなければならないせいで余り寝ることも出来なかった。民家のドアは略奪に押し入った連中が破ったらしく、どこも破壊されたまま。それらを修理する余裕もなく、感染者が押し寄せてきた時には中に侵入されるのではないかという恐怖は、快適な睡眠をもたらしてはくれない。


 このスポーツショップの窓は大人の身長よりもはるかに高い位置にあるから、感染者たちが組体操でピラミッドでも作らない限りよじ登って侵入することは出来ないだろう。それに入り口は什器や棚を積み上げれば十分封鎖できる。それにこの辺りは人口の少ない海岸線だし、見晴らしもいい。もし感染者が近付いてきたら、すぐにわかる。


 彼女たちの提案に反対する理由は無かった。久しぶりに足を延ばして平らな床で寝たいという欲求に、僕は素直に従うことにした。

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