第四一話 発電所のお話

「まいったね、こりゃ」


 思わずそんな言葉が口から洩れた。目の前に広がる発電所――――――それは僕が予想していたものとは程遠い光景だったからだ。

 周囲に古い民家がぽつぽつと立ち並ぶ中、一か所だけ大きな施設がある。数本の太い柱で支えられた屋根と、その下に設けられたポンプやメーターといった機械。随分と古いが、僕の目の前にあるのはガソリンスタンドで間違いなかった。


 そしてその屋根の下には、三台の大型トラックが停まっている。それらの荷台には発電機が積み込まれ、さらにはトラックのバッテリーからも電気を採っているのだろう。複数のエンジンが振動する重低音が空気を震わせていた。

 荷台の発電機やトラックのバッテリーから伸びる複数のケーブルは近くの電柱に繋がっていて、そこから何らかの装置を介して村中に走っている電線に電気を流しているようだった。そんなことが可能なのかどうか僕にはわからなかったが、こうやって明かりが点いているということは、彼らはどうにかしてそれを成し遂げたのだろう。もしかしたら避難してきた人間の中に、電気工事の専門家がいたのかもしれない。


 僕はてっきり発電所とは、どこかの倉庫か何かに無数の小型発電機を集めて稼働されているものだと思っていた。建物ならば見張りをやり過ごすか倒せば侵入は簡単だったのだが、まさかトラックに載せて移動が可能なものだったとは。この辺り一帯は比較的建物が多い方だが、それでもガソリンスタンドの周りに建物は無い。そして発電機を搭載したトラックの周辺を、銃を持った男たちが複数名巡回していた。


 七人……いや八人か。拳銃、猟銃を問わずに全員が銃火器で武装している。対して僕は拳銃を手に入れたものの一発たりとも撃ったことはなく、しかも一人ぼっちだ。戦ったら確実に負ける。

 今までみたいに注意を逸らしたり、隙を見て攻撃するという戦法も通じそうになかった。数名が周りをうろうろしているものの、トラックの周りには必ず四名ほどが残って周囲の警戒をしている。もし発電機を破壊しようと近づこうものなら、彼らはすぐさま僕に気づいて発砲してくるだろう。ガソリンスタンドの屋根からぶら下がる強力な照明が周囲の闇を払ってしまっている。



 どうするべきか。狭い用水路の中、僕は頭を抱えた。

 今僕はガソリンスタンドの北側にある用水路の中に身を潜めていた。ガソリンスタンドの周りには田畑が広がっていて、その中に民家が点在している。田んぼには水が張ってあり用水路にも水が流れていたが、気づかれないよう近づくには用水路の中を進むしかなかった。そのせいで全身ずぶ濡れだが、お蔭で発電所から五〇メートルほどの距離まで接近できている。しかしこれ以上進むと、確実に見つかりそうだ。


 やはり正面突破しかないのか。ガソリンスタンドに八名もの守備隊員が陣取っていて、おまけにその場から動く気配がない以上、こっちから突撃するしか電気を止める方法は無い。

 しかし、どうやって止める? それが問題だった。電線に繋がるケーブルを残らず叩き切るのが一番なのだろうが、その距離まで近づく前に僕の身体に風穴があく。トラックのエンジンが動いているということはタンクの中に燃料は詰まっているのだろうが、流石に映画と違って拳銃なんかじゃ燃料タンクは撃ち抜けないだろう。


「おい、そろそろガソリンが無くなる。ドラム缶持ってきてくれ!」


 ふとそんな言葉が聞こえて来て、僕は慎重に用水路から頭だけ出してガソリンスタンドの様子を伺った。見れば一台のトラックの上に立つ男が、仲間に何か指示を出している。無数のエンジン音にかき消されないよう大声で話してくれているので、五〇メートルほど離れた場所にいる僕にも会話が聞こえた。


 一人の若い男がガソリンスタンドの裏手に回り、しばらくして台車に載せたドラム缶を押してきた。男はスロープ代わりの鉄板を利用してドラム缶をトラックの荷台に押し上げ、蓋を開けて何か作業を始めた。どうやら発電機に給油しているらしい。


 もしかしたらあのガソリンスタンドには、今でも大量の燃料が備蓄されているのではないか。僕はそう直感した。用水路に身を潜めて店の裏側が見える位置に回り込むと、やはりその予想は当たっていた。さっきまで僕がいた位置からは死角になっていた場所に、柱と屋根しかない小屋がある。その下には無数のドラム缶が並べられていて、別の男が再びドラム缶を台車に載せていた。


 わざわざガソリンスタンドの地下タンクから汲み上げないのは、万が一電力供給が絶たれた際に備えてのことだろう。ガソリンを地下タンクから汲み上げるポンプは電気で動いていて、手動式のポンプで汲み上げるのにはかなり時間がかかる。その点あらかじめドラム缶などに燃料を保管しておけばいざという時すぐに給油できるし、必要な場所に運んでいくことも出来る。

 それとも地下の燃料タンクは既に満杯で、あれらのドラム缶は街などから回収してきた燃料を溜めてあるものなのかもしれない。どちらにせよあれらのドラム缶の中に燃料が入っていることは間違いない。



 もしあの集積してある燃料を吹っ飛ばせば、大騒ぎどころではないだろう。僕たちを追う戦力の中から人手を鎮火に割かなければならないし、この辺り一帯への電力供給も止まる。移動可能なトラックに発電機を積載していることから他にも発電所が設営されている可能性もあるが、それでも村を更なる混乱に陥れることが出来るかもしれない。


 それにあの燃料を燃やせば、大きな火柱が上がるだろう。空は赤く染まり、それはこの村から離れた場所にいる感染者たちからも確認できるはずだ。

 派手な爆発を起こすことが出来れば、感染者たちは今まで隠されていたこの村の存在に気づくだろう。そして餌である人間がいると確信し、殺到してくるに違いない。守備隊は僕らに加えて感染者まで相手にする羽目になり、僕らに対処するための戦力はさらに少なくなる。

 村の出入り口は僕が見たように厳重に警備されているだろう。もしナオミさんたちと合流しても、村からの脱出方法が問題だった。もし感染者が押し寄せてくれば、村の出入り口に配置された守備隊員はそちらへの対応に全力を尽くすはずだ。その隙を突いて、僕らは脱出出来るかもしれない。



 全て楽観的な予測に基づいた作戦だったが、何もやらないよりはマシだ。それに感染者を生かすために生存者を餌に捧げるこんな狂った村なんて、感染者に襲われて無くなってしまえばいい。感染者を守るために人間を殺してきた連中が、今度はその感染者に殺される。なんて皮肉な話だろうか。

 幸運なことに、守備隊員たちはまだ僕に気づいていないようだった。エンジンが発する重低音に加え、用水路に流れる水の音が僕の発する音をかき消してくれているからだろう。


 それでも、ガソリンスタンドに近付けば発見されるに違いない。ガソリンスタンドの強力な照明は広い範囲を照らしていて、僕が今いる用水路はその光がギリギリ届かない位置にある。そのおかげでまだ見つかっていないのだろうが、逆に言えばこの用水路を出た瞬間発見されてもおかしくは無い。


 僕は改めて、手持ちの武器を確認した。拳銃にクロスボウ、斧やナイフ。それにクロスボウを入手した時に一緒に手に入れた信号弾が一発。

 せめてライフル銃でもあればと思った。ライフル銃は車のドアも軽々貫通するほどの威力を持っているとナオミさんから聞いたし、ドラム缶の鉄板なんて紙切れ同然に違いない。ここからドラム缶を狙撃して、漏れ出た燃料に信号弾を発射して引火させる。もっともまだ一発たりとも銃を撃った事のない僕に、狙撃なんて芸当ができるはずもないけど。



 まだナオミさんたちは生きているのか、時々思い出したように銃声が響いている。ナオミさんたちは敵から離れつつあるのか、それとも単に弾切れになりかけているのか、僕にはわからない。それでも銃声が鳴っている間はナオミさんたちも生きているということだ。


「もう少し待っててくれよ……」


 本当なら今すぐにでも突撃したいところだが、そんな無謀なことをするわけにもいかない。守備隊員らの動きを把握し、隙を見つけてそこを突く。そうでもしないと八人もの銃火器を持った男たちをやり過ごし、発電機もろとも燃料を爆破するなんて真似は出来ない。


 僕は冷たい水が流れる用水路の中、顔だけを出してひたすら機会を伺った。ガソリンスタンドにいる男たちの内、四人は常に発電機を積んだトラックの周りから動くことは無い。残りの四人はガソリンスタンドの周辺に配置され、四方に目を光らせている。一人を倒したとしても、すぐさま気づかれてしまうだろう。


 とすると、最初の一人を倒してから発見されるまでどれくらい時間があるかが問題だった。流石に連中も、僕が燃料の詰まったドラム缶に細工して脱出するまで仲間の死に気づかないほど間抜けではないだろう。作業途中に見つかって、確実に戦いになる。それまでにどれだけ作業を進められるかがカギだ。


 僕の立てた作戦はこうだ。まず一人を銃声の出ないクロスボウで射殺し、ガソリンスタンド内に侵入する。その後燃料タンクに穴を開けるなり蓋を取るなりして中身を地面にぶちまけた後、その場を離れる。脱出後に振り返って信号弾を水平に発射し、地面に溜まったガソリンに引火させる――――――。

 あれほどの燃料に火が点いたら、さぞかし派手な花火が上がるだろう。ドラム缶が集積してある場所と発電機を積んだトラックが停めてある場所は少し離れているが、火事が発生すればあっという間に燃え移る距離だ。気化した燃料に引火すれば爆発が起き、火のついた燃料があちこちに飛び散る。そうなればトラックは文字通り火の車になるに違いない。


 もしトラックに火が燃え移らずとも、それはそれで問題ない。守備隊は火災を鎮めるために人手を割かなければならなくなるが、あれだけの燃料に火が着いたらそう簡単に消えるとは思えない。村を混乱させてナオミさんたちに脱出のチャンスさえ与えられればそれでいいのだ。村の連中が燃え上がる燃料を前に右往左往していていてくれれば、僕らも余計な戦いをせずに済む。



 それから数分、僕はひたすら機会を伺った。ドラム缶が集積してあるガソリンスタンドの裏側、西の方向には隊員が一人しか配置されていない。しかし北側に配置された隊員との距離が近すぎて、仮に射殺すれば即座に見つかってしまいかねない。西側の隊員が他の隊員から見えなくなる距離まで移動するのを、僕は待ち続けた。


 そしてさらに数分が経ち、ようやく西側の守備隊員が南へ向かって歩き出す。数メートルほど歩いて彼は止まったが、そこはちょうどガソリンスタンドの建物が陰になって北と南に配置された隊員からは死角になって見えない絶好の位置だった。あちこちに張り巡らされた用水路を這うように移動してガソリンスタンドの西側に回り込んでいた僕は、身を乗り出してクロスボウを構える。


 身体が動かないようしっかり地面に上半身をつけ、ドットサイトの光点を隊員の頭に合わせた。実際には弓なりの軌道を描いて矢は飛ぶので、矢が命中するのは胸のあたりになるだろう。人間の身体というのは意外に頑丈で、この距離では頭に命中しても丸みを帯びた頭蓋骨のおかげで矢が貫通しない可能性もある。

 その点胸や腹は骨に覆われていないし、重要な器官が一杯詰まっている。感染者なら一発や二発矢が刺さったところで意にも介さないだろうが、生身の人間なら話は別だ。肺に矢が刺されば気胸を起こして呼吸が困難になるし、激痛で動くことも出来ないだろう。何でもいいから一発当てることが出来れば、人間は戦闘の継続が困難になる。



 西側の守備隊員は立ち止まった後も、何かに怯えるような顔で彼方此方を見回していた。恐らく逃げ出した僕らのことを警戒しているのだろう。彼はすぐ近くに仲間を四人殺した僕が潜んで、自身に狙いを定めていることに気づいていない。


 僕は引金を引いた。

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