第三八話 第三次大戦のお話

 青年――――――坊主頭の守備隊員は、何も言わず林の中を突き進んでいた。何故敵であるはずの守備隊に所属していながら僕を助けたのか、これからどうするつもりなのか、訊きたいことはいっぱいある。しかし今の僕には黙って彼についていく事しか出来なかった。

 追われる身となってしまった今、僕が頼れる人物は目の前の青年だけなのだ。一番頼もしいナオミさんとは拉致されてから一度も会っていないし、かといって他に頼れそうな人間がこの村にいるとも思えない。彼が大和たちの側の人間、つまり僕の敵であるならば、わざわざ同じ村の住民であるおっさんを殺害してまで僕を助けたりはしないだろう。


 林の中をしばらく進むと、木々の間に少し開けた場所があった。さっき僕が助けられた砂利道から、直線で100メートル以上は離れているだろうか。青年は構えていた散弾銃を下ろし、「座れ」と言った。


「なあ、アンタは僕の敵なんですか? それとも味方?」

「余り大きな声を出すな。ここだって安全じゃないんだからな」


 そう言うと青年は自身も木の根っこが剥き出しになった地面に座り込み、可能な限り声を抑えるためなのか顔を寄せて口を開いた。


「お前にはどう見える?」

「……敵でもないし、かといって僕の味方でもない気がする。そりゃ助けてもらったのはありがたいけど、あんな『さっさと出て行け』なんて手紙を送られたらいい気持ちはしない」


 もっとも、今となってはさっさとこの村を脱出しておいた方が正解だったのかもしれないけど。そう言うと青年は何か呆れたような表情をした。


「あのなあ、俺はお前らを助けるためにわざわざ危険を冒してメモを本に挟んだんだぞ?」

「危険を冒して? どういう意味?」

「俺は大和さんたちのやっていることには賛成できない……というよりは反対だ。生き残っている貴重な人間を、わざわざ元に戻るかどうかも怪しい化け物になった家族に食わせてるんだからな」

「じゃあアンタは何で大和さんたちに従ってたんですか? 従わずとも、さっさとこの村を出て行けばいいのに」

「んなこと出来るわけないだろう」


 青年は溜息を吐くと、「どうしてこの村の住民は、大和さんたちのやっていることに賛成な連中ばかりだと思う?」と尋ねてきた。

 あの地下壕にいた連中は、確かにこの村の住民たちだった。この村にやって来た時や、配給を受け取りに公民館に行った時に何度か見た顔も混じっていた。この村の住民の数を考えると、大半の住民があの地下壕に集合していたに違いない。


「何でって、そりゃ皆家族が感染したから……」

「違うな、賛成しない連中は全員殺すか化け物に食わせたからだよ」

「――――――!」


 思えば、あんな非人道的なことをやっていて反対する人間がいないわけがない。いくら家族が感染者になったとはいえ、僕のような考え方を持つ住民だっていたはずだ。感染者のために生きた人間を餌にするなんて真似、普通の人間にはとても出来ない。


「大事な家族が化け物になっちまってから、大和さんは変わったよ……。あの人は咬まれた村人が化け物になる前に全員地下壕に押し込めて、そこで匿うと言い出したんだ。もちろん反対する人間はいたが、大半の住民は賛成だった。皆唯一残った家族を手にかけることなんて出来なかったからな」

「……それで?」

「化物どもを匿うことに反対した人間を、大和さんは地下壕に連れて行って化け物どもの餌にしたんだよ。住民の多くはそれに賛成したか、しなくても黙認した」

「そんな簡単に支持しますかね?」

「するさ。大和がわざわざ人間を化け物の餌にする時住民たちをあの地下壕に集めるのは、全員に罪の意識を植え付けるためだ。名目上は家族のために犠牲になった人間を忘れないってことだが、本当は生存者が悲鳴を上げて感染者に食われるところを見せることで、自分も非道な行いに加担したと実感させて従わせやすくするためさ。連中が食うのは人間だけだ、生かしておきたいのなら生存者を食わせなきゃならない。大和はそれを率先して行い、住民たちはその行動を支持した」


 その話を聞いて、僕は頭が痛くなってきた。

 自分が属する集団が間違ったことを行っていると知っていても、雰囲気でそれに従ってしまうのは日本人の特製だ。しかしこの村の異常さは度を越している。無実の人間を殺すことは明らかに悪いことのはずなのに、この村の住民の大半はそれを支持しているのだ。

 家族が感染者と化したからって、生存者を殺してまで彼らを生き延びさせようとするだろうか? 僕にはこの村の住民たちの心が理解できなかった。


 僕は下半身がズタボロになっても生きている母さんを見て、最早人間ではなくなってしまったことを悟った。そして放っておけば、死ぬまでに誰かを殺すかもしれないということも。

 だから僕は母さんを殺した。理性が吹っ飛び、記憶を失い本能のままに生きる感染者は同じ人間じゃない。僕の母さんは感染者と化した時に死んだ。そう思い、これ以上苦しまないよう、そして誰も傷つけないように自分で手を下したのだ。


 でもこの村の住民たちはそれをしなかった。それは感染者たちが、皆彼らの妻や夫、そして子供だったからだろうか?

 僕は子供の親ではないし、自分の命に代えても守りたいと思うような彼女も出来たことがない。もし僕が誰かの親で、大事な人生のパートナーがいたとして、彼らが人間ではない存在になってしまったとしても生きていてほしいと思うだろうか? 子供の僕にはわからない。

 でも……。


「狂ってる……」

「ああ、俺もそう思うね」

「なら、なんでアンタは逃げなかったんです? 抵抗したら殺されるかもしれないけど、逃げることは出来たんじゃ?」


 反対する人間は感染者の餌にされたと聞いたが、この村を出て行くくらいなら問題はないのでは? そう思ったが彼が脱出しなかったところを見ると、どうやらそれも困難らしい。


「もしこの村を脱出した人間が、余所で『大沢村では感染者を生かして、その餌として人間を食わせている』なんて話を広めたらどうなる? 餌になる人間は誰も来なくなるどころか、この混乱が収まれば真っ先に自衛隊がやって来て皆殺しにするさ。だから物資調達や警備のために一時的に村の外に出られても、脱出は不可能だ。それに村の外に出る時は常に複数行動を強いられる、いわばお互いに監視し合うってことだ」

「互いに監視……だから餌にされることがわかっていても、堂々と僕らを助けることが出来なかったんですか」


 そう言えばこの青年も、僕が見かけた時は常に他の警備隊員と一緒に行動していた。そういう規定なのかと気にしていなかったが、あれはお互いに造反しないよう監視を兼ねていたってことか。だから青年は僕らにこの村の異常性を伝えるために接触することが出来ず、本に走り書きを挟むといった回りくどい方法を採らざるを得なかった。


「そう、古き良き隣組ってとこさ。もっとも村八分にされた人間は無視されるどころか、感染者に食われるがな。反対したら殺される、逃げ出そうとしても殺される。まったく、なんで警察官が人殺しに加担しなきゃならないんだよ……」

「警察官? あなたも?」

「ああ、そうだよ。とは言っても正式な任官前の、警察学校の学生だけどな」


 見れば青年の腰のベルトにも、拳銃の収まったホルスターが下がっている。こっちは大和のそれとは違い、よく警察官が持っているイメージ通りのリボルバー拳銃だ。


「感染が広まった時、警察も自衛隊も人手不足になった。当然さ、化け物は人間を襲ってどんどん数を増やしていくし、咬まれたら警察官だろうと何だろうと化け物の仲間入りだ。警察学校の学生も全員拳銃と実包をありったけ持たされて治安維持に駆り出されたが、ベテランの警察官すら次々に死んでたんだ。人間すら相手にしたことがない学生の隊なんかあっという間に壊滅したよ。その時俺は大和さんたちに助けられて、この村に来たんだ」

「じゃあ、大和にも恩があるんじゃ?」

「恩があっても間違っていることには反対するさ。俺は命を救ってくれた大和さんを尊敬している、が、やっていることには賛成できない。大和さんたちがこうなったのは、彼らの家族が感染者になりつつも生きているからだ」


 だから……、と青年は背中からリュックを下ろし、中から何かを取り出した。それを視界に捉えた僕は、思わず目を見開いていた。

 青年が手にしていた丸い棒状の物体の先端からは導火線が伸びていて、僕にはそれがどう見てもダイナマイトなどの爆薬の類にしか見えなかった。それがフラップの開いたリュックの中に二ダース以上は詰まっている。もし今爆発したら、僕らの身体はそれこそDNA鑑定しなければ個人が判別できないほどの細かな肉片と化してしまうだろう。


「ちょ、それ本物ですか? それをどうするんですか?」

「ここで爆発させるつもりはないから安心しろよ。俺はこいつであの地下壕を吹っ飛ばして、化け物どもを皆殺しにする。いくら感染者でもゾンビじゃない、死んだらそれっきりだ。感染者と化した家族が全員死ねば、これ以上人間を餌にし続ける必要も無くなる。家族が感染者になっても生きていることが全ての原因なんだ、死ねば執着しようにもできなくなるだろ。そうなりゃ大和さんは非道なことをし続ける必要もなくなって、正気に戻ってくれるかもしれない」


 だから、と青年は続けた。


「俺と取引しよう。俺はこの爆薬を地下壕に仕掛けたいが、あそこには普段から人がいる。だけどお前らが村の中を引っ掻き回してくれれば、守備隊は人数不足だから応援のために全員出払うだろう」

「ははあ、つまりあの洞窟にいる感染者どもをぶっ殺すために僕に村の中で第三次大戦を引き起こせと?」

「お前らが脱出するにはいずれ村の人間と戦う必要があった、どのみちドンパチやる羽目になってたんだ。俺に協力しろ、そうすればお前らの脱出を助けてやる」


 断ったら? などと聞く余地は無かった。もし僕が彼の提案を拒めば、青年は僕に銃を突き付け大和たちのところに連れて行くだけだ。彼は大和たちの側の人間なのだ、僕が協力を断ったところで青年にデメリットは無い。最悪、この場で撃ち殺すという手もある。

 どうせ情報も武器も何も無いのだ。今の僕は孤立無援状態で、下手に動けば即座に発見されて地下壕に連れ戻されてしまう。村の地形などもよくわからないし、ナオミさんたちが今どこにいるのかさえ把握できていない。彼の提案に乗るしか、僕らが無事この村を脱出する手段は無い。


「わかりました、やってやりますよ。第三次大戦でもなんでもおっぱじめてやりますよ」

「それでいい、ただし無茶はするなよ。死んだら元も子もないからな。お前たちはあくまでも村からの脱出を目指してくれればいい、そうすりゃ村の連中は勝手にあたふたしてくれる」


 そう言うと青年は爆薬をリュックにしまうと、代わりに別の物を取り出した。地図、コンパスそして……。


「これ、僕らが持ってた武器じゃないですか。いったいどこから?」


 青年が最後に取り出したのは、取り上げられたナイフやトマホークといった武器だった。この村に入る時に武装解除されて以降、行方不明だったのに。


「村の武器庫からチョイとな。銃火器が豊富にあるんだ、刃物なんて誰も見向きもしないで埃を被ったまま放置されてたよ。悪いがクロスボウは守備隊が接収して使ってる、残念だが飛び道具は無い」


 くれるのだったら銃でも欲しいところだが、流石にそこまでぜいたくは言えない。まあ素手で戦うよりは幾分かマシだろう。ナオミさんは人体でもスパスパ斬れるグルカナイフをかなり気に入っていたようなので、持ち帰ったら喜んでくれるかもしれないけど。

 さっきおっさんから奪った農作業用の斧を捨て、全金属製の軍用トマホークを手に取る。久しぶりに握るはずの斧は、何故だかしっくりと僕の手に馴染んだ。持ちきれない武器は青年が持ってきていた予備の小さなリュックに仕舞い、地図を畳んでポケットに突っ込む。


「ほれ、お前らの車のキーだ。食糧は生物は捨てられているかもしれないが、保存食はまだあると思う。車の中には多分ないから、持っていきたいのなら公民館の一階の倉庫を探せ」

「ありがとうございます。それで、ナオミさんたちはどこにいるかわかりますか?」

「ナオミって、あの金髪で外人のねーちゃんのことか? あいつらならお前が捕まったと同時に守備隊が拘束に向かったらしいが、逃げられたと無線で聞いた。どうやら武器を隠し持っていて、一人殺されたらしい。その時に拳銃を奪って、少女二人を連れて村の中を逃走中だそうだ」


 なるほど、ナオミさんらしい。軍人に訓練を受けた彼女を捕まえようと思ったら、それこそ訓練された兵士が一個小隊はいるかもしれない。

 ナオミさんたちがまだ無事である事は嬉しい反面、僕にとっては合流が難しくなったことを意味していた。彼女たちが家にいれば僕はそこへ向かうだけで良かったのだが、これでは村中を探し回らなければならない。もっとも彼女たちを放っておいて脱出するのなら話は別だけど、そんなつもりは一切なかった。


 僕らは何度も死線を潜り抜けた仲間なのだ。それを放って一人で逃げたら、僕は自分が許せなくなってしまう。だから何としても僕と結衣、愛菜ちゃん、そしてナオミさんの4人でこの村を脱出するつもりだ。


 その時青年の腰にぶら下がっていた無線機がノイズを発し、男の声が流れてきた。青年はマイクを掴むと時折何ごとか話し、そして溜息と共に送話ボタンから手を離す。


「お前らが脱走した事はとっくに村中に知られたみたいだな。見つけ次第捕まえろ、なるべく殺すなって今命令が来た。無事にこの村から逃げたければ誰にも見つからないか、見つかっても全員排除していかなきゃならねえぞ?」

「大丈夫です、戦いなら慣れてますから」

「感染者相手なら、だろ? お前人間を殺したことは?」


 今まで感染者相手なら何度も戦い、その度に僕は生き延びてきた。だが今回戦う相手は確実に人間になる。理性が吹っ飛び人の形をした獣と化した感染者とは違い、それぞれに感情があり、色々なことを想いながら今まで生きてきた人間たちだ。

 その多くは誰かの息子であり、夫であり、父親だろう。もしかしたら家に戻れば家族が待っているかもしれない人間たちだ。今は非道な事に手を染めているとはいえ生き延びるために仕方なくやっていることで、彼らの全員が生まれつき悪人ってわけでもないだろう。


「……ないです」

「だろうな、俺はある。さっき殺したおっさん以外にも、治安維持のために何人か撃ち殺した。お前に人を殺す覚悟はあるか?」

「覚悟も何も、僕は生き延びるために最善の手段を採るだけです。たとえそれが人間を殺す事であっても。そもそも向こうから襲ってくる場合、生き延びるためには相手が感染者だろうと人間だろうと戦うしかないですよ。その結果相手を死に至らしめても、僕は後悔しません」


 僕はまだ死にたくない。人命は地球よりも重いという言葉が昔はあったようだが、今じゃ人命はそこらに転がっている小石並みに軽いものになってしまった。誰もが簡単に死ぬ。

 僕は生き延びたいだけだ。向こうが襲い掛かってくるのなら、僕は力を以て彼らをねじ伏せ突き進むだけ。襲ってくる方が悪いのだ、死んだって同情なんかするもんか。


 そう言うと青年は、「それでいい」とニヤリと笑った。


「逆に訊きますけど、僕がこの村の住民やあなたの仲間である守備隊員を殺しても、あなたは僕を恨まないですよね?」

「当然だ。第一俺が救いたいのは大和さん一人で、他の連中はぶっちゃけどうでもいい。連中は間違ったことをしているとわかっているくせに、何も行動を起こしていない。もしこの事態が収束して平和になった時は、どうせあいつらは『仕方なく』だの『強制されて』だの言い訳をして一転して大和さんを非難するに決まってんだ。そんな無責任な連中、死んだ方がマシさ」

「じゃあ僕らが脱出するためには何でもしていいと? たとえそれが、この村を滅ぼすような事態を招いても?」

「ああ、構わない」


 ん?

 今、何でもって言ったよね?


 ともかく、これで言質は得られた。僕らが脱出するために何十人殺そうと、青年は大和さんさえ無事でいてくれればいいようだ。命を助けられた恩があるとはいえ、何故彼はそこまであの男を信奉するものだろうか?


「もしかしてあんた、ホモなんですか?」

「今この場で死にたいか?」

「いえ何でもないです」


 まあいい、と青年は構えかけた散弾銃を下ろした。


「俺も出来るだけ村の防衛体制を攪乱できるよう頑張ってみるが、あとはお前らの頑張り次第だ。もし連絡を取りたかったら、無線機を手に入れてチャンネルを15に合わせろ。それは非常用で、普段は使われていない」

「で、僕はどこでその無線機を手に入れればいいんですか?」

「さあ? 生憎無線機は厳重に管理されてたからな。そこらの守備隊員から奪え、銃と一緒にな」


 これまた無茶を仰ってくださる。だがまあ逃走を手助けしてくれただけでもありがたいし、彼は自分が不穏分子であることがばれるギリギリのラインまで行動してくれたのだ。これ以上何かを望む方が失礼ってもんだろう。


「もうお前たちの捜索隊が編成されたし、俺も隊に合流しなきゃならん。出来るだけ見当違いの方向を探して時間は稼いでみるつもりだ。……頑張れよ」

「あんたも死なないで下さいよ。あと、大和さんが正気に戻るといいですね」


 地下壕を吹っ飛ばしただけでそう劇的に状況が変わるとは思えないし、実際青年もそう思っているのだろう。曖昧な笑みを浮かべた青年は、「じゃあな」と言うと元来たルートを戻って砂利道へと走って行った。



 ここからは一人で行動しなきゃならない。ナオミさん達を見つけるまでは誰も頼れないし、僕の周りは敵だらけ。孤立無援、四面楚歌。

 だがそれが何だって言うのか。僕は感染者だらけの街を一人で何週間も生き延びていたんだ、それに比べればどうってことないさ。そう自分に言い聞かせると、僕は斧を片手に林の中を村役場のある方向へと歩き出した。


 気分はさながらランボー、もしくはメイトリクス大佐だった。この小さな村の中で、僕はたった一人で第三次世界大戦を引き起こそうとしていた。

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