第三六話 反撃するお話
「最初は全て上手く運んでいたんだ……最初は。私たちには警察署から持ち出した大量の銃火器と弾薬があったし、この村にも銃を持った猟師は大勢いた。街で生存者と家族を救出し、私は生まれ故郷のこの村に帰ってきた」
大和は座り込んだ僕の前に立つと、静かに語り始めた。地下壕に集まった住民たちも、僕を取り囲む守備隊員たちも、誰一人として口を開くことはない。やかましいのはさっきから足元の穴倉で吼えている感染者くらいだ。
皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったが、止めた。そんなことを口にすれば守備隊員らにボコボコにされかねないし、何より今はそういう雰囲気ではない。
「本当、最初は怖いくらいに全てが順調に進んでいたよ。地元の人間である私が言うのもなんだが、本当にこの村は人里離れた僻地にあってね。おかげで避難民はこの村を知る私たちくらいしかやってこなかったし、感染者も襲ってくることはなかった。私たちは村の周囲に警戒線を敷き、畑を耕して自給自足の生活を始めた。あの時はこのまま事態が収束するまで平和に暮らせるんだと思っていた」
だが、甘かった。大和はそう続けた。
きっかけは些細なことだったのだという。いくら武器弾薬が豊富で食糧が自給出来ているとはいえ、その他の物資までこの村にあったわけではない。元々が過疎地の村ということで生活必需品の多くは週に一度訪れる移動販売車で購入されていたが、日本での感染爆発以降それらの移動販売が訪れることはなくなった。村に唯一ある診療所では元々医薬品が不足していたし、燃料だってガソリンスタンドにある分だけでは心もとない。そのため市街地から避難してきた人間が中心となり、近くの街まで物資を調達に向かうことがしばしばあったのだという。
しかし、この村の平穏な(あくまで余所と比べれば、だけど)日々もそう長くは続かなかった。物資調達に出ていた者の一人が村の中で感染者と化し、暴れ回ったのだ。
後に死体を検分したところ、発症したその男は腕に咬傷があったのだという。物資調達で街に出ていた時に感染者に襲われたのだろうが、真相はわからない。感染者と化した男は街から避難してきた子供たちが共同生活を送っていた、村の体育館へと侵入した。
街から避難してきた人間の多くはこの村とは何の縁もなく、そのため大勢が廃校となった小学校で暮らしていた。中でも力が弱い子供や女性はまとめて護衛しやすいように広い体育館で一緒に生活していたのだが、それが仇となった。
感染者はあっさりと体育館に侵入し、体育館では文字通りの地獄絵図が繰り広げられた。逃げ惑う子供たちと、それを追うかつて同じ人間だった感染者たち。運悪く死を免れた者は自らも発症し、女子供を襲った。感染者は体育館を逃げ出し、自宅に篭もっていた老人たちを襲った。
ウイルスに感染しても、即座に発症するわけではない。感染から発症までの時間には個人差があり、わずか数秒で感染者と化してしまう人間もいれば、半日以上かかってようやく発症した者もいる。しかし感染した場合、何をやっても発症を免れられないということだけは確かだ。
守備隊がようやく感染者を鎮圧した時、咬まれてもまだ発症に至っていない者は30人ほどいた。しかし発症を防ぐ手段が無いことは、海外の研究機関が軒並み抗ウイルス薬やワクチンの開発に失敗していることから明らかだった。
「皆が感染者になる事を防ぐには、あの時撃ち殺すしかなかった……だが、私たちにはそれが出来なかった。自分の息子を、娘を、どうやったらこの手で殺すことが出来る?」
「だからアンタらは、まだ発症していなかった連中をこの穴倉に閉じ込めたのか。それで感染者と化してもなお子供を死なせたくないって身勝手な理由で、人間を餌にして」
感染者は映画に出てくるゾンビとは違い、あくまでも理性を失い凶暴になった人間だ。出血量が多ければいずれ死ぬし、飢えれば動きが鈍っていずれは餓死するだろう。
しかし問題なのは、感染者が生きた人間しか食べないということだ。どういうわけだか、目の前で犬や猫がいても、感染者はそれらに指一本触れない。しかし人間を見ると態度を一変させ、どこまでも追いかけ、やがて捕食する。食べるのは人間だけ、しかも死体は食わない。
「ああ、そうだよ。私たちはどんな形であれ、子供たちに生きていて欲しいんだ。それがたとえ、他の人間を死に追いやる結果になったとしても」
「狂ってやがる。だからわざわざ余所から人間をおびき寄せて、こいつらに食わせてたってのか? アンタら正気とは思えない」
「私たちがやっていることが人の道に反していることはわかっているよ。いくら世の中が混乱しているとはいえ、緊急避難では許されないことだというのも。だけど私たちは娘たちを生き長らえさせなければならないんだ、いつか感染した人間を元に戻す治療法が発見される、その日まで」
笑わざるを得なかった。自分たちの娘が感染しても殺さないが、知らない人間だった感染者なら殺してもいいと? 娘たちを生き長らえさせるためには、いくらでも何の罪もない人間を殺してもいいと?
「あんたら大馬鹿者だな、治療法なんて見つかりっこない。この村の外の感染者が残らず餓死して復興が始まった時、アンタらはどうやってこいつらを匿うんだ? 余所から人をさらって来て食わせるのか? いずれこのことは村の外にもばれる、そうなったら警察なり自衛隊なりがやってきて感染者を残らず撃ち殺して終了だ。死なせるのが早いか遅いかの違いしかない。僕は頭がいい方じゃないけど、それくらいわかる」
「そうはさせない。政府がこの子たちを殺すというのなら、私はどんな手を使ってでも抵抗する」
「いい大人の上警察官のくせに、、馬鹿じゃないのかアンタ? 現実を受け入れろよ。娘は理性を失った感染者になり、アンタのことなんてエサとしか思っちゃいない。いい加減諦めろよ、んで殺せ」
「ふざけるな!」
大和が一喝し、空気が震えた。地下壕内に集まっていた人々の視線が一斉に大和に集まり、僕はその隙を見逃さなかった。座り込んで胡坐をかき、スニーカーの上に投げ出した縛られた両手をこっそり動かし、土踏まずの僅かな隙間に突っ込んでおいた折り畳みナイフを引っ張り出す。幸い、気づかれた気配はなかった。ナイフを手のひらに隠しつつ、僕は大和を睨みつけた。
「ああそうさ、私たちが間違っていることは百も承知だよ。だけどな、私は警察官である前に人間なんだよ! それに娘はまだ10歳なんだ、これからが人生で一番楽しい時だってのに、こんな時に死なせるのはかわいそうすぎる。君は子供の親になったことがないから、殺せとか平気で言えるんだ」
「ふざけてんのはそっちだ! アンタらは目の前の現実から逃げている。俺がアンタの子どもだったら、理性が吹っ飛んで他の人を襲う前に殺してほしいくらいだね。僕はそう思っているし、母さんだって同じ考えだったはずだ。だから僕は母さんを殺した、これ以上誰かを殺さないように」
思わず僕も怒鳴り返していた。彼らが感染した家族を殺していない、そのことが許せなかった。
僕だってできれば母さんを殺したくなんてなかった、だけどあの状況じゃ他に選択肢はなかった。感染し、下半身を食われ、地を這っていた母さんはとても人間には見えなかった。
仮に理性を取り戻させることに成功したとしても、母さんは出血多量ですぐ死んでいただろう。奇跡的に命を繋ぎとめたとしても、母さんは自分が人を殺したかもしれないと知ったらどうしていただろうか? そのことを考えると、あの場では母さんを殺すという選択肢以外、僕が取るべき手段はなかった。
しかしここにいる人々は、大人のくせに家族を殺したくないという泣き言を言って、自ら感染者に手を下すことから逃げている。子供の僕ですら家族を殺すという決断を下したのに、立派な大人たちは自分勝手なことを言って現実と向き合っていない。それが許せない。
正直、感染しているとはいえまだ家族が生き残っている村の住民たちが羨ましかったのかもしれない。しかし僕は間違っていない。感染して理性を失った時点で、その人は死んだも同然なのだ。
だったら取るべき行動は一つ。精神的に死んだ人を、物理的にも死なせるまでだ。
「感染して理性が吹っ飛んだ時点で、そいつは死んでるんだよ。なんで死人のために、何の罪もない生きた人間を犠牲にしなきゃならない? アンタらは現実と向き合うことから逃げてるだけだ、それをもっともらしい理由をつけて誤魔化しているだけだ」
「うるさい、子供に何がわかる!」
「こんな村の中で、感染した家族を殺すこともなく今まで安穏と暮らしていた大人たちよりかは色々とわかってるつもりだけどね!」
もはや言葉のドッジボールになっていた。村人たちは僕と大和に交互に目をやり、守備隊員たちは予想だにしていない展開なのか目を丸くしている。大和は顔を真っ赤にさせ、「そいつを黙らせろ!」と僕を指差した。
言うことを聞かなければ、無理矢理黙らせる、か。ふざけやがって。僕は再び麻酔薬が入っているであろう注射器を手に近づいてくるハゲを横目に呟いた。同時に今まで背後で銃口を突き付けていた守備隊員が、僕を押さえつけようと脇に回ってくる気配がした。
もはや口論を繰り広げている暇はなかった。この機を逃せば、僕は晴れて目の前の感染者たちの餌にされてしまう。
幸い両足は拘束されていなかったし、両手は前で縛られていたので身体はだいぶ動かせる。ある程度なら戦えるだろうし、走るのにも問題はない。
守備隊員が僕の肩を掴み、無理矢理立たせようとする。その瞬間、僕は掌中に隠していたナイフの刃を起こし、脇に立つ守備隊員に突き立てていた。
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