第三五話 牢獄のお話
暗い洞窟を、背中から銃口を突き付けられつつ歩くこと数分。突然前方が明るくなり、続いて今まで左右に迫っていた岩肌が消えた。まぶしい光が僕を包み込み、思わず両手首を縛られた腕で目を覆う。今まで耳が痛くなりそうなほど静かだったのに、一転して人々のざわめきが僕の耳に入って来た。
ようやく光に目が慣れ、視界を覆っていた腕を下ろした僕の目の前には、予想外の光景が広がっていた。
「なんなんだよアンタら……」
洞窟の先は広いホールのような構造になっており、そこに大勢の人々がいたのだ。しかもその中には、何度か見た顔も混じっている。守備隊員だけでなく、村の住民までいる。
いったいこれはどういうことだ? 僕はてっきり守備隊が暴走して何かをやらかしていると思っていたのに、もしかして僕の拉致には村の住民全てが関わっていたとでも言うのか?
人々の声が、一瞬で止んだ。今この場にいる全員が、両手を縛られた僕に視線を注いでいる。幸か不幸か、僕を見つめる人々の中に結衣と愛菜ちゃん、そしてナオミさんの姿は見えない。
「なんだよこれは、どういうことだよ! 説明しろよ、アンタらいったい僕をどうしようってんだよ!」
「おい、押さえろ! 誰か注射持ってこい!」
突如今まで背後にいた守備隊員が僕の両手を押さえ、がっちりホールドした。両手をじたばた振り回し、地を蹴ったものの解放される気配は一向に無い。そんな僕の視界に、注射器を持って近づいてくる男の姿が入った。白衣を着ているバーコードハゲの中年男は、確か村の診療所に勤める医者だ。村に来た当初、身体に傷がないか身体検査を受けた時に彼の姿を見たことがある。
おそらく、中身は麻酔か何かだろう。あれを注射されてしまえば、再び僕は意識を失ってしまう。そして多分、二度と目を覚ますことはない。仮に目を覚ますとしても、そこは天国か地獄だろう。
「ふざけんな、何も知らないまま死んでたまるか! 誰でもいいから事情を説明しろ、でなきゃ死んでも死にきれない!」
「暴れるなよ……暴れるなよ」
医者はそう言って注射器の針を僕の二の腕に刺そうとした。叫んだ僕の声は、岩の壁に反響して洞窟全体に広がっていく。しかし村の住民たちは何も言わず、哀れみの篭もった視線を僕に向けるだけだった。
もうだめなのか、僕の人生はここで終わりなのか。おお勇者よ、死んでしまうとはなさけない――――――ロールプレイングゲームではそういったメッセージと共にセーブポイントからやり直しができるが、これはゲームじゃない。死んだらそれっきり。
「おい待て、彼の望みを叶えてやろうじゃないか」
どこかで聞いた事のある声が洞窟に響いた。突然そう言ってモーゼのように群衆を割って出てきたのは、大沢村の村長代理を務める大和さん――――――いや、大和だった。その表情はいつものように穏やかだが、感情が篭っていない。仮面のように笑顔を張り付けた大和は、僕の前に立って言った。
「すまない、本当なら君を眠らせたまま全てを終わらせるつもりだったんだ」
「ふざけんな、一体何をしようってのか説明しろ! これはアンタが仕組んだ事なのか?」
「そうだ」
その一言は短かったが、十分な破壊力を秘めていた。どうやら僕らが村に来た時から、彼らの計画は始まっていたらしい。大和たちが何をしようとしているのかはわからないけど、決して気持ちのいいことではないだろう。
「しかしわかってほしい、これは必要な事なんだ。私たちは決して君の犠牲を無駄にはしない、君の死で多くの人々が助かるんだ」
「何のことを言ってんのかさっぱりだ。とにかくここはどこなのか、どうして僕を気絶させてこんなところに運んできたのか、これから何をしようとしているのか説明しろ!」
「……君は質問ばかりするんだな」
「当たり前だ、僕は何も知らずに死んでいくのは御免なんだよ」
村の住民たちは、僕と大和のやり取りを黙って見つめているだけ。止めることも煽ることもしない。どうやら大和の話を聞く限り、「必要な事」のために僕は犠牲になるらしい。
「まず一つ目の質問に答えよう、ここは旧軍が本土決戦のために構築した地下陣地だ。もっとも建設途中に終戦を迎えたから、完成には至っていないけどね。それでも爆撃に耐えうるよう設計されているから崩落することもなく、村で倉庫代わりに使っていたんだ」
「じゃあ次は第二の質問だ。どうして僕をここに連れてきた? しかも気絶させてまで。アンタらは僕らが村に来た時から、こんなことをしようと企んでいたのか?」
思えば全てがおかしかったのだ。わざわざ避難所があるという看板を離れた場所に置いておくことも、それにつられてやって来た人間をすんなり受け入れたことも、僕らを働かせずに家に留めておいたことも。僕はそれらの全てに大なり小なり疑問を抱いていたが、深く考えることをしなかった。その結果がこれだ、自分の間抜けっぷりに笑えてくる。
「簡潔に言おう、君にはこれから死んでもらう」
「わーお、直球。アンタら僕を気絶させて、その間に殺そうとしてたのかよ。どうして僕らが村に来た時に、さっさと殺さなかった? その方が手っ取り早いだろうに」
「勘違いしないでくれ、私たちは何も殺人衝動があったり物品目当てに君を殺そうってわけじゃない。それに最初は君たちが私たちと一緒にやっていけるかどうかを確かめたかったんだ」
なるほど、私たちの側云々という話はそのことだったのか。だが残念なことに、僕はそこまでイカれているわけじゃない。どんな理由があろうと、何の罪もない人を殺すような集団の仲間入りは御免だ。
「じゃあ最後の質問、これから何をしようとしているんだ?」
「……それは今から見せるよ。おい、扉を開けろ!」
その一言で、僕は群衆の背後に大きな鉄の扉があることに気づいた。あちこち錆びているものの頑丈そうな鉄の扉は、洞窟の先を塞ぐようにして設けられている。その扉が重々しく、金属の擦れる音と共に開かれた直後、獣の咆哮が洞窟内に響き渡った。
いや、獣じゃない。この声は人の形をしていながら野獣に堕ちてしまった、感染者のものだ。
「立て、そして自分の目で確かめるんだ」
大和のその言葉で、今まで僕の両腕を痛いほど握りしめていた守備隊員たちが手を離した。逃げ出す絶好のチャンスかと思ったが、守備隊員は手を離すなり再び銃を僕の背中に突き付けている。おまけのこれだけの人々がいるのだ、逃げ出すのは不可能に近い。
鉄扉の方へと一歩踏み出した僕を、村の住民たちはまるで凶暴なライオンが近づいてきているかのように一歩後退して離れた。遮るもののいないホールを、僕は一歩一歩前進していく。やがて先ほどまで鉄扉が覆い隠していた空間の全容が明らかになって来た。
元々は指揮所か何かとして設計されていたのだろう、鉄扉の向こう側の空間は、数メートルほど地面が低くコロシアムのようになっていた。その一段低くなった空間の周りを、これは後から作られたらしい頑丈そうなフェンスが取り囲んでいる。感染者の咆哮は、その下から聞こえてくる。
天井のライトが点灯し、僕は目を疑った。僕が今いる位置から4メートルほど一段低くなった空間は25メートルプールほどの面積があり、そこに数十もの人影があった。
いや、人間ではない。口の端から血の涎を垂れ流し、血走った眼で僕を睨みつけてくるそいつらは、ここ数週間一度も見かけていなかった――――――そして多分この先ずっと見ないで済むであろうと思っていた感染者たちだった。
僕の姿を見るなり、感染者たちは雄たけびを上げてこちらへ突進してきた。壁に爪を立て、僕をホールの中へと引きずり落とそうとする。が、如何せんつるつるした岩肌に加え、頭上のフェンスまでは4メートルほどの高さがあるのだ。いかに身体能力が人間を上回っている感染者とはいえ、手がかりもなく飛び上がったところでフェンスを掴めないのであれば、いかに目の前に人間がいようと手出しができない。
一体の感染者が大きくジャンプして、岩盤に埋め込まれたフェンスの鉄の柱に手を触れた。瞬間、バチッという大きな音と共に閃光が走り、感染者の身体が一瞬大きく痙攣して地面に叩きつけられる。見ればフェンスを支える鉄棒には電線が繋がっていて、フェンスには電流が流されているらしい。頭上を電流の流れるフェンスと岩肌に囲まれていては、感染者たちもこの穴底から抜け出すことは出来ないだろう。
僕が以前風呂に入っていた時に聞いた、感染者の咆哮のような音。あの時は風の音だと納得していたが、やはりアレは感染者の咆哮だったのだ。
しかし何故、彼らは感染者をこんな場所に押し込めているのだろうか? 大和は警察官だったそうだから、感染者の危険性くらい理解しているだろう。感染者が一体いれば、そこから倍々ゲームで感染が広がっていく。感染者は見つけ次第殺害せよ、まだテレビが放送されていた頃にはそんな命令が自衛隊や警察に出されたことが盛んに放送されていた。
感染者を捕獲して、何かの実験をやっているのだろうか? いや、それならなんでこんなに感染者がいるんだ? 感染者は人間を見るなり襲ってくる。捕獲しようにもこっちが殺されたり、感染するリスクが大きすぎる。いくら豊富な銃火器を装備しているとはいえ、ゴキブリホイホイを使うように感染者をいくらでも捕獲できるはずがない。
それに僕らがこの村に来る途中で一切感染者に遭遇しなかったように、大沢村は人里離れた場所にあるから感染者が滅多にやってこないはずだ。それが彼らが今まで感染者に見つからずに生き残ってきた最大の要因でもある。大和たちはどこからこれだけの感染者を、何のために捕まえたんだ?
この村に科学者はいないと聞いているし、実際今僕を取り囲んでいる人々の中にもそういった雰囲気の人間は見えない。さっき注射器を持ってきたバーコードハゲの医者は、本当に単なる医者でしかないようだ。
ではこれらの感染者は、どこからやってきて、何のためにここにいるのか――――――。
咆哮を上げてこちらを見上げ、岩肌に突進してくる感染者を見ていた僕は、とあることに気づいた。穴底にいる感染者の大半が約半分が子供、残りの半分は老人か女性ばかりだ。
学校で笑い合っているのがお似合いの少女は今や目や口の端から血を垂れ流し、憎悪の表情を顔に張り付けて甲高い声で吠えている。その背後ではよぼよぼの70代後半くらいの男性が、元気にこちらに向かって突進してきている。平和な世界だったら老人ホームかあの世に行っていただろうに、ウイルスに感染した事で元気になったとは皮肉な話だ。
穴底には成人男性の感染者はほとんどいない。何故大和たちは子供や老人の感染者ばかりをこんなところに閉じ込めているのか。
いや、この感染者たちは本当に、外から連れてこられたのか?
僕がこの村に来た時に抱いた感想、それはどうして子どもの姿がほとんどないのかというものだった。あの時は鏑木に、子供は都市部の住民が村に避難してくる途中で襲われたせいだと言っていた。
感染者に襲われた場合、襲われた人間は失血死するか自らも感染して理性を失ってしまう。僕は今まで襲われた子供たちは全員死んだとばかり思っていたし、実際鏑木もそう言っていたのだが、もしかしてそうではないのかもしれない。
「あっ」
僕は全てを察した。この村に子供がいない理由。避難民してきた人間がこの村から消えた理由。大和らが感染者をこんな場所に閉じ込めた理由。僕を気絶させ、わざわざこの場に連れてきた理由。それらが全て一本の線でつながる。
そして僕の予想を裏付けるように、目の前の感染者たちを指差し大和は再び口を開く。
「彼らは、私たちの家族だ」
そして僕の方に向き直ると、目を見据えて言う。
「君には、彼らの糧となってもらう」
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