第三四話 地下にいるお話

 よく映画で気を失っている最中、様々な事が脳裏に浮かぶというが、アレは嘘だ。そのことを僕はたった今、身を以って知った。

 夢を見ることもなく突然意識を現実に引き戻された僕の目の前にあったのは、90度傾いたごつごつした地面だった。冷えた岩盤が頬を冷やし、鉛のように重い身体に冷たさが染み渡っていく。


「ここは……」


 身体が重く上手く動かない。仰向けになると、僕の視界いっぱいに岩に覆われた天井が映った。首を巡らせ周囲を確認すると、どうやら今いる場所が地下室のような場所であることに気づく。というのも床と天井だけでなく、壁まで岩が剥き出しになっていたからだ。

 天井から一つだけぶら下がった電球がオレンジ色の鈍い光を放っているが、闇をかき消すには頼りない光だ。室内にあるのは錆びたパイプ椅子と、これまた横たわろうとしたら一発で壊れるんじゃないかと思えるほど古臭いベッド。そして僕の足先には、頑丈そうな鉄の扉があった。


 とりあえず地面に手をついて立ち上がろうと腕を持ち上げる。が、右手を挙げると何故か左腕もセットで持ち上がって来た。ぼやける視界の中目を凝らすと、何故か両手首が細いロープで縛られている。


「ファッ!?」


 なぜ僕は縛られているんだ? 僕はそういったSMの趣味は持ち合わせていないぞ? もしかして気絶している間に、そういった店に連れ込まれてしまったのか? これはそういうプレイの一種なのか?


「……んなわけないよな」


 このご時世そんな店が残っているはずがない。となると、ここはいったいどこなのだろう?

 村役場に行って、大和さんと話をしていたことは覚えている。が、その先の記憶が全くない。大和さんが感染者の意識云々と言っていたことまでは覚えているが――――――。


『それにしても残念だよ、君は素直そうな人間だから私たちの側についてくれると思ったんだが』


 その言葉が唐突に脳裏に浮かび、寝ぼけていた僕の意識は一気に覚醒した。

 そういえばあの時、大和さんは倒れる僕を助けることさえしなかった。まるでそれが目的だったように。それに彼はやたらと時間を気にしていた。そして僕が飲んだ、味の変なオレンジジュース。


 それらの情報が一つに集まり、恐ろしい仮定が導き出される。それを明確な形にする前に、仰向けになった僕の足先の鉄扉が、開錠の微かな金属音と共に開け放たれた。天井の電球とは比べ物にならない、強烈な光が僕の目を刺す。


「起きたか、寝ていれば苦しまずに済んだのに」


 思わず目を覆った両腕の隙間から見える、僕の顔に光を浴びせるものの正体。それはこの村に来た時に初めて出会った鏑木さんだった。感情がうかがえない、能面のような顔が僕を見据える。

 彼の両脇には何度か見かけたことのある村の守備隊員が二人立っていた。そして彼らが構えているのは、上下二連式の散弾銃だった。


「起きたかって、これは何です? ここはどこなんですか? 僕が一体何をしたってんですか!」


 思わず立ち上がり、そう食って掛かろうとした時、こめかみに衝撃と共に激痛が走って視界が一瞬暗転した。どうやら守備隊員の一人に銃床で殴られたらしい。激痛でのた打ち回る僕を隊員は乱暴に起こし、「立て!」と怒鳴った。


「乱暴な真似はするな、ここで死なれちゃ意味がない」


 鏑木さんの――――――いや、鏑木の口調はまるで氷のようで、ぞっとするほど冷たかった。

 隊員の一人が「歩け」と僕を銃口でつつく。「やだ」と言ったら、前へと突き飛ばされた。思わず岩がむき出しの地面にキスしそうになったところで、乱暴に襟首を掴まれて立たされる。


 僕がいた小部屋の外は、トンネルのような場所だった。部屋と同じく床も壁も天井も土が剥き出しになっていて、崩落防止のためか数メートルおきに柱が壁に沿って立っている。同じく10メートルほどの距離を置いて天井からぶら下がる電球の列を見る限り、このトンネルはかなり長いようだ。

 ここは廃坑か何かだろうか? このトンネルの正体を考える間もなく、「行け」と背後から短いながらも十分威圧感の篭もった言葉が飛んでくる。彼らの言葉には数日前会った時とは違い、友好的な雰囲気など欠片もない。感じられるのは敵意だけだ。


「行けってどこに?」

「進めってんだよ、なんならもう一回気絶するか?」

「わかったわかったわかったよもう!」


 守備隊員の一人がそう言って銃床を振り下ろす素振りを見せたので、慌てて僕は前へ歩き始めた。またあの痛みを味わうのは御免だ。さっき殴られた場所はまだじんじん痛む。暗闇なのでよく見えないが、何だか頬が濡れているような感触がするので、もしかしたら皮膚が切れて出血しているのかもしれない。



 狭く細いトンネルを何度も躓きながら、僕は歩き続けた。この村の人々、いや、最低でも守備隊の連中が僕らに好意的でないことは明らかだ。でなければ気絶した僕をトンネルに閉じ込めたり、殴って脅したりするような真似はしないだろう。

 だがなんで僕がこんな目に遭わなければならない? 僕が何かやったか? 大和さんに質問に行く事がそんなに悪いことならば、最初から役場に案内しなければいい。

 それにさっきの「ここで死なれちゃ意味がない」という鏑木の言葉。ここで、ということは、彼らが僕を殺す気でいるのは間違いない。どうして、何のために? 僕らが邪魔ならば村に来た時に殺しておくか、あるいはさっき気絶している間にサクッとやってしまえばよかったのに。わざわざこんな場所まで連れてきて殺すなんて手間をかけすぎだ。


 自分が死ぬかもしれないという状況にもかかわらず、不思議と落ち着いていられた。そりゃそうだ、今まで何度も死にかけてきたのだから。感染者に殺されかけた回数は、両手の指を使っても数えきれない。

 だけど人間に危害を加えられるのは初めてだ。僕は結衣と出会うまで、他の生存者を見かけたらすぐさま逃げるようにしていたからだ。僕に他人を守れる力もなかったし、他の生存者が信用に値するかもわからない。もしかして襲ってくるかもしれないという恐怖があったからこそ、僕は今まで人間相手に戦わずに済んでいたのだ。


 しかし残念なことに、この村の人々はどうやら僕に敵対的らしい。迂闊だった、もっと感覚を研ぎ澄ませておけば、彼らが僕に敵意を抱いていることに気づけたかもしれないのに。僕はこの村での衣食住満ち足りた生活で、すっかり鈍ってしまっていた。

 もっと深く考えておくべきだったのだ、このご時世、この村の人々が何の対価もなく僕らに食料を与えてくれることに。タダより高いものはないという言葉を僕は常に頭に入れておくべきだった。しかし僕はこの村の人々は親切なんだと勘違いし、深く疑うことをしなかった。


 それもこれも、今まで出会ってきた人々が全員いい人間だったからだ。結衣、愛菜ちゃん、それにナオミさん。そんな人々にばかり出会っていたから、僕は生き残っている人間はいい人ばかりだと無条件に信じてしまっていたのだ。

 油断した結果がこれだ。僕はわけのわからない内に気絶させられ、こうやってどこかもわからないトンネルの中を延々と歩かされている。そして僕は多分、そう遠くない内に殺されるだろう。


 それだけは御免だ。今まで何度も死にかけたからといって、はいそうですかと素直に誰かに殺されたくはない。僕は何としても生き延びる、こんな若さで死んでいいと思えるほど人生充実していない。

 逃げなければ。それにはまず両手を縛めるこのロープを切らなければならない。そこで家を出る時、スニーカーの中に半ば強引に折り畳みナイフを突っ込んできたことを思い出す。さっきから異様に歩きにくく足が痛むのは、スニーカーの隙間にナオミさんに渡されたナイフが入っているからだ。


 もしかしてナオミさんは、この事態を予見していたのだろうか? 多分そうだろう。多分彼女は、他人を完全に信用していない。だからわざとナイフを隠し持っていたのだし、僕が役場に行く時に護身用にナイフを渡してきたのだ。

 皆は無事だろうか。ナイフ二本で感染者を軽々と屠り、軍人に訓練まで受けたナオミさんがそう簡単に殺されるとは思えない。しかしこの村の守備隊の連中は銃を持っているのだ、しかも猟銃だけでなく警察用の短機関銃まで。ナイフが銃に敵うかと問われたら、答えはノーだ。

 それに家には結衣と愛菜ちゃんもいる。女三人で、銃を持った男たちに対抗できるだろうか? しかもこちらは丸腰に近いのだ。


 腕時計は幸い没収されていなかった。薄明りの下時計の文字盤に目をやると、夜光塗料が塗られ緑色に光る時計の長針は七時を指している。午前か午後までかはわからないが、おそらく午後だろう。日付も多分変わってないはずだ。

 となると僕は、大体三時間くらい気を失っていたことになる。その間に僕らが滞在していた家を襲うには十分な時間だ。もしかしたら結衣たちもこの洞窟のどこかに囚われているのかもしれない。


 これ以上この村に留まるわけにはいかなかった。理由はわからないが、他人を気絶させた上暴力まで理不尽な暴力まで振るう連中がいる村には長居したくない。ユートピアに思えたこの大沢村も、やはり地獄と化したこの世界からは逃れられなかったということか。


 とりあえず、丸腰でないことは幸運だった。背後で銃を突き付けている連中も、まさか僕が靴の中に無理矢理ナイフを突っ込んでいるとは思うまい、だからナイフを取り上げなかったのだ。

 しかし今すぐここを脱出するのは無理だ。少しでも立ち止まると、背後の連中は銃口で小突いて僕に前に進むよう急かしてくる。靴からナイフを取り出そうとしゃがみ込んだら、またぶん殴られるだろう。


 それに折り畳みナイフ一本で銃三丁に立ち向かうのは不可能だ。僕は以前、鏑木が腰に拳銃を提げているのを見たことがある。守備隊の隊員二人に、鏑木。銃を持った相手三人に勝てるわけない。「馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!」とナイフを掲げて立ち向かったところで、運よく一人を刺殺した時点で僕の身体に風穴があく。


 僕は感染者を今まで何体も倒してきたが、人間相手に戦ったことはない。世界がこうなってしまう以前だって、喧嘩した事すらほとんどない。殴り合いの大ゲンカなんてなおさらだ。

 それに理性が吹っ飛んだ感染者と違い、人間は冷静に物事を考えられる。そこが感染者と人間の違いであり、最も厄介な点だった。隠れれば感染者からは逃れられるが、人間は隠れそうな場所を徹底的に探して相手を殺す。


 とにかく、今は機会を伺うしかないようだ。僕がどこに何のために向かっているのか、行動を起こすのはそれを知ってからでも遅くはないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る