第三二話 不幸の手紙のお話

 何かがおかしい。

 この数日、僕の頭には常に疑問が浮かんでいた。何がおかしいのかはっきりとは言えないが、なんだか頭がモヤモヤする。言葉に出来ない違和感が、常に僕の頭にあった。

 たとえば耳元で羽虫が飛び回っているような、そんな不快感。ここ数日彼らが隠していることが気になって仕方なく、また外からやって来た自分たちを受け入れておきながら何かを隠しているのだということが僕は気に入らなかった。


 何故村の人々は僕らを一歩たりとも外へ出したくないのか。別に村の中に感染者がいるわけでもないのに、散歩すらさせてもらえないのは警戒心が過剰過ぎではないのか。

 それに僕らを何かに従事させるわけでもなく、家に押し込んでいる。普通なら食事や家屋を提供した代価に労働を求められてもおかしくはないし、実際恩を受けっ放しでは心苦しいということで、僕らも何度か仕事の手伝いを申し出た。しかしその度に返ってくる答えは決まって「人手は足りてるからゆっくりしていていい」だ。

 人手が足りている? こんな年寄りばかりの村で?


 どうして僕らの他に避難民がいないのか。僕らが滞在する家は前に避難民が来ていた時に使っていたと大和さんは言っていたが、彼らはどこへ行ってしまったのか。大事な人を探しに行ったと説明を受けたが、僕らがそうであるように、こんな状況でわざわざ危険な村の外へ生きているかもわからない人を探しに行くだろうか? 僕らは不満を抱きつつも、外よりはマシだという理由でこの村に滞在し続けている。


 そして数日前風呂に入っていた時に聞いたあの音。あれは街でさんざん聞いてきた、感染者の唸り声に似ている。あの時は風が強かったから何かの音が重なってそう聞こえたのかもしれないし、もしかしたら村の近くに感染者が来ていてその唸り声が風に乗って届いてきたのかもしれない。だけど僕は疑念を頭から振り払うことが出来なかった。


 この村は何かを隠している、そのことだけは間違いない。だがそれが何なのか、僕にはわからない。彼らが隠していることがいいことなのか、悪いことなのか。あるいはこの村で生きていくために必要で仕方のないことなのか、そうではないことなのか。とにかくそれを知る必要があった。

 今のところ、この村を出て行くつもりはない。しかし何かを隠されているという今の状況は気に入らない。この村を出て行くかどうかは、彼らの隠していることを聞いてから決める。




 ……そう決意したものの、下手をすれば僕以外の三人にも影響が及びかねない。僕の質問がこの村の人々を不快にさせたのなら、四人揃って村から追い出されるかもしれないのだ。

 そういうわけで、僕は一人で行動することにした。そもそも結衣と愛菜ちゃんはこの村の人々が隠していることなんて余り気にしていないようだし、ナオミさんは何か感づいているようだが何も言わないままだ。彼らを巻き込む道理はない、僕一人で十分だ。


 隣家に人は住んでいないが、この村の住民と会うのは簡単だ。外に出ればいい。そうすれば数分もしない内に、警備隊がトラックに乗って向こうからやって来る。


「ちょっと役場に行ってくる」

「え、外に出るのは禁止なはずでしょ? 何しに行くのよ?」

「ちょっと大和さんと話がしたくて」


 そう言うと結衣はそれ以上何も追求せず、「行ってら~」と手をひらひら振った。


「じゃあ愛菜ちゃん、僕はそういうわけで役場に行ってくるから留守番よろしく頼むよ」

「はい、夕方までには帰ってきてくださいね!」


 そういう愛菜ちゃんの手には線香花火が入った袋が握られている。この家の倉庫で見つけたものだ。時間的に考えて去年この家の住人が購入しそのまま忘れ去られていたものなのだろうが、一年くらいならまだ火薬は湿気ていないだろう。密閉されて保管されていたから、一応火はつくかもしれない。

 この花火を見つけてきた時の愛菜ちゃんの笑顔はとても輝いていた。今夜僕らは庭で、この線香花火を楽しむつもりだ。線香花火程度なら音は小さいし、村の外にいる感染者が僕らの存在に気づくことはないだろう。インフラが死んでかつてのゲームなどといった電気を使った遊びが出来なくなってしまった今、楽しめるのはこういったアナログなものだけだ。

 僕は愛菜ちゃんに別れを告げると、庭で腕立て伏せをしていたナオミさんのところへ向かった。


「そういうわけでナオミさん、あとを頼みます」

「ああ、行っといで。それにしても何が起きるかわからないから、ちゃんと気をつけて。武器は持った?」

「武器? 要らないですよ、別に僕はカチコミに行くわけじゃない。ただ不満点を伝えたいだけです」


 もっとも、武器と言っても初日にほとんど没収されたせいでナイフ二本しか持っていないが。するとナオミさんは僕が持っていた小型の折り畳みナイフを差し出してきた。


「いいから持ってなって。言葉に出来ないけど、何だか嫌な予感がする。警戒はしておいた方がいい」

「……ナオミさんも、ですか。僕も何だかこの村が変に思えてきたんです」

「まあ君がどう行動しようが自由だけど、ユイとマナのことも考えてね。あの二人を厄介ごとには巻き込みたくないし」


 ナオミさんの言う通り、僕がどう行動しようが基本的には僕の勝手だ。しかし彼らの隠している秘密の内容によっては、この村を出て行く羽目になるかもしれない。無論そうならないことが一番なのだが、先日本に挟まれていた「はやくでていけ」の紙切れのことを考えると、この村で僕らに反感を抱いている人がいることに間違いないだろう。彼らを刺激しないよう、細心の注意を払って行動する必要がある。



 僕はナオミさんから受け取った小型の折り畳みナイフをスニーカーの中に無理矢理突っ込むと、門を開けて道路に出た。ひび割れたアスファルトを踏みしめ、視界の隅に見える村役場の建物向かって歩き出す。徒歩でなら10分はかかる距離だが、自動車ならほんの二、三分だ

 思っていた通り、歩き出してから二分もしない内に背後から自動車のエンジン音が聞こえてきた。その場で立ち止まり振り返ると、見覚えのあるピックアップトラックが僕の目の前で急停車する。荷台から降りてきたのは数日前僕らが役場に行こうとした時家に連れ戻した、やはり見覚えのある坊主頭の若い警備隊員だ。数日前と同じく彼は上下二連式の散弾銃を携行していたが、今日は銃を手に持っている。引き金に指こそかかっていないものの、いつでも撃てる態勢であることに僕は気づいていた。


「おい何をやっている! 外に出るなと言われてるだろうが!」


 その口調はやや丁寧さがあった数日前とは違い、完全に敵意を持つ相手に向けられるようなものであった。もはや怒声と言ってもいい彼の言葉に怯みそうになったが、勇気を振り絞り僕は胸を張って答えた。


「役場に行って大和さんと話をしたいんですが」

「役場にならいつも食事の時に……」

「食事が終わってもすぐに家に戻るよう言われてたら、話をする機会もないですよ。お願いします、大和さんと話をさせていただけませんか?」


 すると坊主頭の青年は困ったような顔をして、運転席にいるもう一人の警備隊員に何事か言った。運転席の警備隊員はトランシーバーを取り出すと交信を開始し、しばらくすると青年が戻ってきた。


「いいだろう、今から特別に大和さんが面会してくれるそうだ。さっさとトラックに乗れ」

「感謝します」

「どうやら、警告は効かなかったみたいだな」


 青年のその言葉に、僕は思わずトラックのオアリにかけた手をとめた。警告だって?


「もしかして、あなたがあのメモの……」

「ああ、そうだ俺だよ。なんでお前ら、さっさとこの村から出て行かねえんだよ」


 青年の目には、憎悪の炎が宿っていた。僕が本を読んでいた時に見つけた「はやくでていけ」の紙切れ、あれは目の前の青年が書いたものだったのだ。


「俺たちなんて毎日警備隊の仕事で見回りをやってんだ。それをのこのこやって来た余所者が働きもせず毎日のんびり寝て食ってばかり……ふざけてんじゃねえぞ」

「僕らだってそんな生活をしたくてやってるわけじゃ……大和さんが働かなくてもいいって」

「大和さんが何と言おうと、お前らは単なる厄介者だ。とっとと出てけよ、この村から」


 青年は僕を睨みつけると、吐き捨てるようにそう言った。直後運転席の警備隊員が「何をグズグズしてる、早く乗れ」と急かし、僕は彼に何も言えぬままトラックの荷台によじ登った。

 やはりこの村に来たのは間違いだったのかもしれない。そんな思いが急速に僕の中で広がっていた。 

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