第三〇話 サイレントヒルのお話

 大沢村の人々からはゆっくりしていいと言われ、僕らはその通り過ごしてきた。タダで食事や安全な場所を提供してもらっていることに申し訳なさを感じ、何度か村の仕事を手伝うと申し出たものの、その度に断られ家で休んでいろと言われた。そしてあてがわれた家で半ば引きこもるようにして暮らし始めてから、早一週間近くが経過しようとしていた。


「あんた、太ったんじゃない?」


 朝目を覚ますなり、先に起きていた結衣にそう言われた。愛菜ちゃんとナオミさんは庭で洗濯物を干していて、家の中には僕ら二人だけしかいない。時代劇に出てきそうな広い日本家屋は、まるで廃虚のように静まり返っている。


「あ、やっぱり? 最近余り動いてないしさ、昨日風呂場で体重計ってみたら、2キロ増えてた」

「まったく、いくらここが安全だからって腹も脳味噌も弛みっぱなしなんじゃないの?」

「そういう結衣だって太っ……いや何でもない」


 体重の話は乙女に禁句なのだろう、「あ”?」とカエルくらいなら見ただけで殺せそうな殺気の篭もった視線を向けてきた結衣に、慌てて口を噤む。いくら結衣が勝気な女の子だからって、言っていいことと悪いことがある――――――たとえそれが事実だろうとも。

 だが、僕がこの一週間足らずで太ってしまったのも事実だ。今までは常にどこかに感染者がいるかもしれない、襲ってくるかもしれないというストレスに苛まれていたし、食事だって節約のためにギリギリの量しか摂っていない。それ故必然的に体重は落ちていく一方だったし、このウイルス騒ぎが始まる前に比べれば今の僕はかなり体重が落ちている方だろう。

 この村は安全だから夜も安心して寝られるし、夜に見張りに立つ必要もない。それに食事だって新鮮なものが沢山食べられる。まさに一週間前まで僕らが渇望していた環境にいるのだ、これでストレスを受ける方がおかしい。

 

 唯一不満があるとすれば、それは自由に外に出られないことだろう。大沢村の臨時村長である大和さんは、僕らになるべく家の敷地から出ないようにと言っていた。

 大沢村は町から離れた山奥にあり、少々音を立てたところで感染者に発見されることはない。元々人がいない場所には当然感染者もいないわけで、この村の周辺に感染者はほとんどいないだろう。爆発でも起きない限り、感染者がこの村に気づくことはなさそうだ。

 そのため村の人々は、普段から余り物音を立てずに生活していた。この一週間で動いている車を見たのは警備隊が使うピックアップトラックだけ。それも騒音を立てないよう低速で動いていた。

 

 大和さんはまた、人の動きも制限していた。村では基本的に、夜間は外出禁止。そうでなくても不要な移動はなるべく控えるようにとの通達が出ているらしい。下手に出歩いて村の外に出てしまい、感染者に見つかる可能性を考慮しているのだろう。村の人々は村の地形を熟知しているからそんなことはなさそうだが、僕らのような外からやって来た避難民は話が別だ。興味本位でうろうろ歩き回り、余計な問題を起こしてほしくないのかもしれない。


 そのせいで僕らは食事の配給を受け取る時以外、ずっと家の中に篭もる生活を送っていた。幸い風呂もトイレも家の敷地内にあるし、手動ポンプ式とはいえ井戸もある。生活するのに不便はなかったが、それでも数日もすると僕らは暇を持て余すようになった。

 当初は物珍しくあちこち見回った日本家屋だが、一週間近くも住んでいれば特に気を引くことも無くなってしまう。家の中には前に来ていたという避難民が置いていったらしい雑誌や文庫本がいくつか置いてあったが、暇で仕方がない僕らはすぐにそれらの本を読み尽くしてしまった。余計な荷物は持てないということで僕らが持ち込んだ荷物の中に本などはないし、ゲーム機もない。やる事と言えば食べて寝る、そんな生活を送っている以上太っても仕方がないだろう。


「あー、暇だ」

「じゃあ私が格闘技でも教えてあげようか?」

「いえ、もう結構です。痛めつけられるのはもう勘弁です」


 縁側に座ってそう呟いた僕に、ナオミさんがそう言った。何度かナオミさんに格闘技や武器を使った戦闘術を教わったことがあるが、しょせん僕はただの高校生に過ぎずどれも上手く身についた自信がない。それに感染者相手に格闘技を挑む時点で、こちらの死は確定している。

 ナイフや斧を使った戦い方も学んだが、それらもこの村に留まっている限り無駄だ。何せ感染者と戦う機会がない。それに武器は僕らが「うっかり」渡し忘れていた小型のナイフ2本を除き、全て警備隊に没収された。訓練しようにも道具がなければ何もできない。


「感染者はいないし、食事も十分ある。これで自由に行動できるんなら最高なんですけどね……」

「それは仕方ないよ、ここに来る前のあたしたちだって自由に行動できていなかったじゃん。それに比べればここは天国よ」


 結衣の言うことにも一理あるが、それでも僕はこの村での生活にどこか失望感を味わっていた。僕が望んでいたのはウイルスで世界が滅茶苦茶になる前と同じような生活を送ること、自由に外も出歩けず一日中家に引きこもるような暮らしではない。これでは飢えや乾きの心配がなくなっただけで、今までの生活とほとんど同じではないか。そう思い始めてすらいた。

 大和さん達が村の安全を第一に考えた結果このような生活を送っているのは理解できるし、仕方ないとも思う。しかしいい加減家に篭もりっきりなのも飽きてきた。このままでは感染者が餓死し日本が平和になる前に、人間としてダメになってしまう。


「……そう言えば、この村って学校とかあったかな?」

「どうしたの?」

「いや、学校があるなら図書館とかあるはずじゃん? いくら過疎った田舎町でも、学校の一つくらいはあるでしょ」


 もっともこの村ではとっくの昔に廃校になっていそうだが、その時はその時だ。別に僕は本が読みたいわけではなく、外に出て暇を潰したいだけなのだ。図書館がなければ村を散策する、家に篭もりきりでは気が滅入ってしまう。


「でも、大人の人たちからは家の外に出ちゃいけないって……」

「大丈夫大丈夫ヘーキヘーキ、絶対外に出るなって言われたわけじゃないじゃん。もしダメって言われたら、その時は素直に戻るだけさ」


 愛菜ちゃんの心配を、僕はそう笑って一蹴した。大和さんたちからはなるべく家の敷地の外に出るなと言われたが、絶対に外に出るなと言われてはいない。そもそも食事の配給を受け取る時に僕らは家の外に出ているのだ、そう目くじらを立てられることもあるまい。衣食住の不安がない引きこもり生活は多くの若者の憧れだが、ネットもゲームもなければそこに魅力は感じない。


 家でトレーニングをするナオミさんを残し、僕らは外へ出た。近くに人影は見えず、遠くで農作業に従事する人々の姿が小さく見えるだけだ。

 とりあえず僕らは図書館が無いかどうかを訊くために、村役場へと向かうことにした。村役場なら常に人が詰めているだろうし、歩いてもそんなに時間がかからない。


「静かだな……」


 この村は今まで通り過ぎてきた街とはまた違って意味で、静けさに包まれている。僕らが今まで点々としてきた街は人そのものが消えてしまったために静寂だったが、ここでは人がいるのに活気も何もない。感染者を恐れているのはわかるが、これではゴーストタウンも同然だ。


「なんか、寂しいですね。人がいっぱいいるのに」

「そうね、でも仕方ないかも。アタシだって感染者に見つかるか静かに暮らすかどっちか選べって言われたら、静かに暮らす方を選ぶわ。だって連中に見つかったら、それこそ一巻の終わりだもん」


 にしても、ここは静かすぎるけど。結衣はそう呟いた。

 他に暮らしている人がいるだろうにも関わらず、役場に行く途中に通り過ぎた家々からも生活音はほとんど聞こえてこない。暮らしているのは老人ばかりだろうから余り音が立たないのも当然だろうけど、それにしても奇妙なまでにこの村は静かだ。


「ねえ、あれ……」


 突然、結衣がそう言って前方を指差した。視線を前に戻すと今までの静けさを打ち破るように、エンジン音を響かせて一台のピックアップトラックがこちらに向けて走ってきていた。

 ピックアップトラックは僕らの前で止まると、助手席から坊主頭の若い男が降りてくる。その肩に上下二連の散弾銃が吊られていることから、どうやら彼らは警備隊の人間らしい。


「君たち、ここで何やってる? 家からはあまり外に出ないようにって言われてたはずだろう?」

「ええ、でもその、凄い暇で……。図書館か何かないか探しに行こうとしてたんですけど」


 そう答えると、若い男は呆れ顔で言った。


「図書館なんてこの村にあるわけないだろう。役場に本が何冊かあるはずだから、夕食の配給の時に受け取りに来なさい。さあもう帰った帰った」


 有無を言わさぬ口調でそう言われては、僕らも元来た道を引き返すほかなかった。ピックアップトラックの荷台に乗せられた僕らは、そのまま家へと連れ戻されることになった。


「なんか、タイミング悪いですね……」


 走り去るピックアップトラックを見つめつつ、愛菜ちゃんが残念そうに呟いた。もしあのトラックが来なければ、僕らはもっと外にいられたはずなのに。外に出た途端連れ戻されるなんて、運が悪すぎる。


「もしかしてアタシたち、見張られてるんじゃない?」


 結衣はそう冗談めかした口調で言ったが、こうもタイミングが悪いと、そんなこともあるのかもしれないと思ってしまう。結局僕らは何も成し遂げることができず、夕食の配給まで暇を持てあます羽目になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る