第二九話 予感のお話

 目を覚ました時、窓の外にオレンジ色の空が見えた。着けっ放しだった腕時計を見ると、時計の長針は6時の少し前を指していた。確か夕食の配給は午後6時と言っていたから、遅刻寸前だ。

 慌てて飛び起きた僕の隣に、誰かが座っていた。


「起きたね」

「あ、ナオミさん。先に起きてたなら僕のことも起こしてくれてよかったのに。おかげで夕食に間に合わなくなっちゃいますよ」

「いや、君があまりに気持ちよさそうに寝てるからね。ついつい起こすのが申し訳なくなったんだ。まあここから役場まで歩いて5分もかからないし、そう焦る必要は無いよ」


 見れば開け放たれた襖の向こうで、のんびりと布団を畳んでいる結衣と愛菜ちゃんの姿が見える。ナオミさんの言う事も一理あるが、今まで時間を気にしていた僕としては何だか落ち着かない。

 文明が崩壊して時間なんてどうでも良くなったと思われがちだが、実際には違う。通信手段がほぼ全滅した今、容易にコミュニケーションを取ることが出来なくなった。そのため時間を指定して行動することがより重要になったのだ。

 たとえば僕らはここに来るまでの間、所々で休憩や物資の探索を行った。その際必ず合流する時間を決めていたが、これは僕らが連絡手段を持たないからだ。万一誰かが合流時間までに約束の場所に来なかった場合、他の人は何かあったのだと知ることが出来る。そのため一人でいる時以外、僕は必ず時間を守って行動するようにしていた。

 

「そう言えば、食事って何がもらえるんでしょうね? やっぱりご飯とかかな?」

「そりゃあやっぱり、保存食が中心なんじゃない? 避難民として受け入れられても、アタシたちって所詮よそ者だし。こういった田舎って『余所者にくれてやるメシはねぇ!』って感じがするじゃん」


 布団を畳みつつ、愛菜ちゃんと結衣がそう言葉を交わしていた。結衣の言葉は田舎に住む人々に大変失礼だが、その通りかもしれないと僕は思った。いくら彼らが表面的には避難民を受け入れていても、内心反発している可能性もある。どうして自分たちの貴重な食料をくれてやらなければならないんだと思う人々がいてもおかしくはない。

 役場に来る途中で農作業に当たる人々を見かけたが、それらの生鮮食品は村人優先で支給され、避難民には保存食が出されるかもしれない。もしかしたら、量も少ないかも。そう思うと僕は少しくらい気持ちになった。いい加減缶詰や乾パンの食事から脱出したい。




 ――――――という僕の予想は、あっさりと裏切られることとなった。

 昼間来た時に役場の駐車場にはテントが立てられていたが、今やそのテントの下ではガスコンロや大きな鍋がいくつか置かれ、即席の調理場と化していた。しかし調理に当たる人々は少なく、用意された食器の量もあまりない。

 本当に食事を受け取っていいのだろうか? そう思いながら役場に向かった僕らだったが、先に駐車場にいた鏑木さんが僕らの姿を見るなり手招きしてきた。彼の周りには猟銃や拳銃を持った男たちの姿、どうやら巡回していた警備隊のメンバーらしい。ライフル銃の銃身が、夕日を受けて鈍く輝く。

 警備隊のメンバーは駐車場の隅に座り、各々夕食を食べていた。あの炊き出しは僕らのような避難民だけでなく、こういった村の警備の当たっている人々に対しても行われているようだ。


「あの、僕たち、食事をもらっても大丈夫なんでしょうか?」

「何を遠慮しているんだ。昼間村長……じゃなくて、警部補から聞いただろう? 君たちは避難民なんだ、遠慮することはない。食材だって十分ある。……まあ最近じゃ、この炊き出しを利用しているのはほとんど警備隊のメンバーだけになっていたがな」


 そう言えばこの村を訪れる避難民は少ないと言っていたし、僕ら以外に避難民がいる気配はない。あの炊き出しは本来警備隊などの忙しくて食事を作る暇がない人たちが対象で、時々やって来る避難民はそのついでらしい。村人には食材が平等に配給され、各々家でそれを調理して食べているのだと鏑木さんは言った。


「それじゃ、お言葉に甘えて……」


 プラスチック製の食器を持ってテントの前に並ぶと、調理を担当していた高齢の女性たちが料理を僕らの皿に盛りつけていく。何故だか彼女たちは僕らに視線を向けず、また一言も言葉を交わそうとしなかった。


「……やっぱり歓迎されていないんですかね、わたしたちは」

「そんなことはないさ。この村には子供があまりいない、だからつい自分たちの子供や孫の姿を君たちみたいな若い者に重ねてしまうんだよ」

「そう言えば、どうしてこの村には子供がいないんですか? 若い人だっているのに、僕らのような中高生の姿が全然見えない」


 訊いてはいけないのかもしれなかったが、僕はそのことが無性に気になっていた。村に入ってから今まで、一人たりとも子供を見かけていない。一番若い人でさえ、20代後半だ。いくら過疎化していた村とはいえ、一人くらいは子供がいたっておかしくはないだろう。村の外から避難してきた人たちが家族連れだということもあるはずだ。

 もしや何かの映画やゲームのように、食料不足から子供を……という考えも頭に浮かんだが、僕らのような余所者を受け入れ食事を配給してくれるからその線は無いだろう。僕らが受け取った皿にはご飯やふかした芋と共に、骨付きの鶏肉が盛り付けられている。食糧不足でないということは確からしい。


「……子供は、ここに避難してくるまでに全員がやられた。君たちも知っているだろう? 感染者は驚くべきほど身体能力が高い、体力がなければとても逃げ切れない。そして子供たちは、連中から逃げ切れるほど体力がなかった。そういうことだ。わたしからしてみれば、君たちのような子供が自力で今まで生き延びていられたことのほうが驚きだよ」


 その考えはなかった。考えてみれば大人でさえ感染者から逃げ切るのが難しいのに、子供なら自力で逃げ切るのはほとんど不可能だろう。僕は逃げ足が速く、結衣は僕と会うまで安全な避難所にいて、愛菜ちゃんは運よく隠れて生き延びることが出来た。そして軍人に訓練を受けたことがあるナオミさんと出会ったからこそ、僕らは誰一人欠ける事無くこの大沢村に辿り着くことが出来たのだ。もし僕の足が遅かったら、結衣が避難所を脱出した直後に感染者に見つかっていたら、愛菜ちゃんが体育倉庫に隠れることが出来ていなかったら、ナオミさんが軍人に訓練を施されていなかったら、僕らは今頃呑気に飯を食うことは出来ていなかったろう。

 だが僕ら以外の子供たちは足が遅いか、もしくは運がなかった。彼らは感染者から逃げる途中で見つかり、追いつかれ、そして食い殺されるか連中の仲間入りをしてしまったのだろう。武器を持った大人でさえ死んでいるのだ、子供なんて卵のように脆弱な存在に違いない。


「まあ、そういうことだ。何か質問があったら、これからは私だけに言ってくれ。他の人では答えられないことも多いし、下手をすると彼らを傷つけてしまうかもしれないからな」


 言われなくとも、こんな質問をするのは一回きりだ。僕にだって常識はあるし、遠慮や配慮というものくらいある。

 

「巡査部長、そろそろ時間です!」

「おう、今いく」


 見れば警備隊の男たちは既に食器を下げ、各々銃器の点検を始めていた。その中の一人が、鏑木さんを呼ぶ。


「鏑木さんって、警察官だったんですか?」

「ああ、そうだよ。もっとも私は大和さんみたいな公安畑じゃなくて、この村の駐在だがね」


 そう言うと鏑木さんは素早くご飯の残りをかき込み、食器をテントに返しに行く。来ているジャケットの裾が捲れ、拳銃の収まったホルスターが腰から下がっているのが見えた。私服姿で猟銃を持っていたからてっきり志願した一般人だと思っていたのだが、まさか警官だったとは。

 警備隊の男たちを見れば、全員が銃で武装している。水平二連の散弾銃から、ボルトアクション式のライフルまで。中には伸縮式の銃床を備え、細長い箱型の弾倉を装着した短機関銃を持っている男までいた。あんなものを一般人が持っているはずがないから、おそらく大和さんが警察署から持ち出してきた装備品に違いない。


「あれだけの武器があれば、この村が今まで感染者の侵入を許していなかったのもわかるわ……」


 結衣が呟いたが、僕も全く同意見だった。銃の一丁でもあれば、僕らが今まで経験してきた修羅場は幾分か状況がマシになっていたに違いない。もっとも、上手く扱える自信はないけど。

 結衣と出会う前、一人で行動している時も何度か銃が調達できないかと考えたものだ。勇気を出して警察署や交番に行ってみたが、それらはことごとく無人の廃虚と化していた。中には避難民を受け入れている最中に感染者の群れに襲撃されたのか大きく破壊された警察署もあり、署内に何がいるかわからない以上立ち去らざるを得なかった。少ないとはいえ死んだ警官の死体もいくつか見かけたが、同僚かあるいは生存者が持ち去ったのか、銃は無かった。

 

 既に陽はかなり沈み、村中が夕闇に包まれている。そんな中、役場だけは煌々と明かりが灯っていた。窓から零れる光はとても眩しい。しかし燃料を節約しているのか、所々に建つ街灯に明かりは灯らず、代わりに村のあちこちで篝火が燃やされていた。

 確かに結衣の言う通り、あれだけ銃があれば感染者の十や二十など軽々と撃退できるに違いない。さらに僕らのような余所者に振る舞えるほど、食料も余っている。この村にいれば、きっと僕らは長生きできるに違いない。

 それでも……と、僕は手にした夕食が盛り付けられた皿が並ぶお盆に目を落した。何だか、胸がざわざわする。言葉にして説明するのは難しいが、僕はこの村に対してどこか違和感と不安を覚えていた。

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