第二八話 田舎に泊まるお話

 村役場は年代物の木造平屋住宅が並ぶ過疎地には不釣り合いな、広い駐車場を備えた鉄筋コンクリート製の3階建の立派な建物だった。バブル経済華やかな頃の名残なのだろうか、役場の建物はかなり古いように見える。それでもここに来るまでに見た建物の中では、一番新しいもののように思える。

 数十台が停まれそうな駐車場には軽トラやマイクロバスが二三台停まっているだけで、ほとんど空地と化していた。避難所と言うからにはそこらじゅうにテントや机が並べられ、大勢の避難民を受け入れる態勢が整っているのではないかと思っていたのだが、それも見当たらない。建物に入りきらないほどの避難民が訪れることはなかったということか。


「じゃ、村長に挨拶しに行くから私についてきてくれ」


 ナオミさんが駐車場の一角に車を停めると、鏑木さんはそう言って助手席から降りた。彼に続いて車の外に出た途端、うだるような熱気が僕らを包み込む。冷房の効いた車内にいたせいか、余計に暑く感じた。

 財政難で補修する余裕がなかったのか、駐車場のアスファルトはあちこち剥がれ、砂利が剥き出しになっていた。アスファルトの割れた隙間から突き出た雑草は伸び放題になっていて、下手をすればここも廃虚だと思われかねないほどの荒れようだ。

 だが役場のガラス戸の向こうには、確かに人の気配が感じられる。この村が曲がりなりにもきちんとした組織の指導の下で活動していることがはっきりわかる。


「あら鏑木さん、その子たちは?」

「ついさっき外から来た避難民だ、もう連絡が行っていると思ってたんだが」


 役場の中に入るなり、受付にいた中年女性が声をかけてきた。その口調や見た目はとても役場の職員には思えない。もしかしたら、村の住人が交代でここに詰めているのかもしれない。

 外よりはマシだが、役場の中もやはり暑かった。天井の蛍光灯は一つも灯っておらず、空調も作動していない。電気を節約しているのだろうか? そんなことを思いつつ、薄暗い廊下を鏑木さんの先導に従って進んでいく。


 やがて鏑木さんは「村長室」とのプレートが下がった木製ドアの前で立ち止まると、咳払いをしてドアをノックした。すぐに「どうぞ」というくぐもった男の声が聞こえ、鏑木さんがドアを開けて僕たちを手招きする。

 村長室はまるで学校の校長室のようで、応接用のテーブルとソファーが並び、その向こうに高級そうな木の机が置かれていた。その机の向こうでは、スーツを着た40代半ばほどの男性が立って僕らを待ち構えていた。


「こんにちは、君たちが来たことは巡回班から無線で聞いていたよ。私は大和やまと、この大沢村の臨時村長を務めている」


 そう言って大和と名乗った男は机を回り込み、近づいてきて手を差し出してきた。臨時という言葉が頭に引っかかったが、その理由はすぐにわかった。大和さんの手を握る時、スーツの裾からホルスターに収まった拳銃が覗いていた。交番に勤務している警官が持っているようなリボルバータイプではない、黒くて大きなオートマチックだ。

 もしかして彼は裏社会の人間で、武力によって個の村を乗っ取ってしまったのではないか。そんな考えが頭に浮かんだ。日本で合法的に銃を持てる人間は少ないし、ましてや拳銃なんて一般人が持つことは許可されていない。警官のそれとは違う銃を持っている彼は、反社会的な勢力に所属しているんじゃないだろうか。

 ウイルスのパンデミックのせいで、今の日本じゃ警察も法律も存在しない。力さえあれば何でも出来る世紀末状態だ。現に刃物を持った人間が好き勝手する様子を何度か見たことがあるし(それも最初の数週間だけだったが)、銃なんてあれば人々を恐怖のどん底に陥れて簡単に従わせることが出来る。大和さんが「臨時」村長なのも、本来の村長を殺害するか追放してこの村のトップに立ったからでは――――――。


「ああ、大丈夫。私は警察官だよ。まあこの村の駐在じゃなくて、公安警察の人間だけどね」


 僕の顔を見て考えていることがわかったのだろう、大和さんは笑いながらそう言って懐から何かを取り出した。チョコレート色をした二つ折りの革製ケースが開かれると、中には警察バッジと共に、「大和やまと大吾だいごの名前や警部補の階級、さらには個人の識別番号らしい数ケタの番号が印刷されたカードが収められていた。刑事ものの映画やドラマで何度か見たことがある、警察手帳だ。

 目を凝らして隅々まで見てみたが、特に偽物らしい雰囲気は感じられない。もっとも本物の警察手帳も見たことがないのだからたとえ偽物だろうと見破れないのだが、こんな状況で呑気に身分証を偽造している人間はいないだろう。この大和さんは、本当に警察官らしい。


「公安警察?」

「テロリストとか危ない団体を捜査したり、情報収集する役目の人間だよ。おまわりさんとは違って、制服を着て犯罪者を取り締まったりはしない」

「では公安警察の方がなぜ村長を? あなたは臨時とのことですが、元々いた村長はどこへ?」


 僕に代わり、ナオミさんが口を開く。


「一言で表すならば、行方不明だ。ウイルス騒ぎが全国に広まった時、家族を連れて車で逃げる村長の姿を目撃した者がいるらしい。安全な場所に避難しようとしたんだろうけど、その判断は間違っていたと言わざるを得ないな」


 この大沢村はウイルスのパンデミックから数か月が経過しているにも関わらず、未だ平穏な日々を保っている。大都市からそこそこ離れた立地条件と、経験豊富な警察官。それに巡回している男たちが持っていたような銃器が多くあったからこそ、今までここの人々は生き延びてこられたのだろう。その村長とやらはすぐにここも感染者でいっぱいになると思って逃げ出したのだろうが、むしろ外の方が危なかったということか。


「私はこの村出身でね。ウイルスの蔓延で警察が壊滅し、各々北日本へ向かえと命令が下された時、希望する部下を何人か引き連れてこの村に戻って来たんだ。治安維持は本来我々の仕事じゃなかったが、機動隊も警官隊も人手不足だった。だから銃を携帯していたのが幸いだった、そのおかげで今日まで無事生き残ることが出来たからな」

「そう言えば、政府とか自衛隊はどうなったんです? 東北地方に大規模な避難所が設立されているって話を聞いたんですけど」


 結衣がそう尋ねると、大和さんは力なく首を横に振った。


「わからない、警察が機能していられたのはウイルスが日本全土に蔓延してからほんの一週間だけだったからね……。総理大臣と政府の首脳が太平洋上の護衛艦に脱出したことまではわかっているが、そこから先は情報が入ってきていない。自衛隊は最後まで粘っていたそうだが、こっちも不明だ。傍受した通信によると東北地方に集結し、部隊を再編するという指令が出ていたらしいが……」


 つまり、本当のことははっきりしていないということか。このまま東北地方へ向かった時、そこに待っているのは安全な避難所か、それとも無数の感染者か。これが避難民の話だったらまだ希望は持てたのだが、大和さんは警察官だ。しかも情報が多く入ってくる部署に勤めていた。その彼が言っているのだから、東北地方に避難所があるかどうかはわからないということは本当なのだろう。


 ここより安全な場所、数か月前と変わらない場所があるかもしれないという希望が、音を立ててしぼんでいくのがはっきりわかった。もうこの日本で――――――あるいは世界で――――――昔のような生活を送れる安全な場所など存在しないのだ。どこへ行っても感染者の脅威に怯える生活を、僕らはこれからも続けなければならないのだ。

 同じことを思ったのか、結衣と愛菜ちゃんも何も言わずに俯いていた。最年長者ということでナオミさんは飄々とした態度のままだったが、それでも動揺している気配は感じ取れる。心のどこかで予想はしていたが、警察官から改めて事実を突き付けられるのはかなりキツかった。


「まあそう暗い顔をしないでくれ。政府や自衛隊が運営する避難所があるかどうかはわからないが、少なくともこの大沢村は安全だ。部下を連れてくる時、少ないとはいえ警察署から銃と弾を持ち出すことは出来た。それに元々この辺りには猟銃を持っている住民が多い。川もあるし、牛や鶏もいる。飢えと渇きの恐れもない。感染者たちはかつての市街地に留まったままで、こちらに向かってくる気配もない。多分今この日本で、大沢村より安全な場所は存在しないだろうな」


 僕たちの落胆した様子を見て、大和さんは慌てて明るい声でそう言った。

 本当に東北に避難所があるかわからない以上、これからの計画を練り直さなければならない。当初の計画通り無謀を承知で東北に向かうにしろ、ここに残るにしろ、結論が出るまでしばらくここに滞在する必要がある。その点では感染者の脅威に怯えることもなく、十分な食料や水が確保されている大沢村は、拠点としては好条件を備えていた。


「もし君たちが望むなら、ずっとここにいてもいい。君たちはどうするつもりだ?」

「……それじゃあ、お言葉に甘えてこの先の予定が立つまでしばらく滞在させていただきます。それでいいよね?」


 ナオミさんが同意を求め、僕らは頷いた。どちらにせよ、この一週間車上生活ばかり送って来たのだ。久々に広い場所でゆっくりと眠りたい。きちんと疲れをとって、色々考えるのはその後だ。




 車を駐車場に置いたまま、着替えや私物などを持った僕たちは、一軒の日本家屋に案内された。これまた古風な木造家屋の平屋で、庭先には汲み取り式のトイレがある。


「大沢村にいる間、この家を自由に使っていい。元々この家の住民は街に出て行ってから帰って来ないからな、君たちみたいな避難民に提供することになっているんだ」

「では、他にもここで暮らしている人が?」

「いや。二週間前まで二人ほどいたが、家族を探しに行くと言って彼らは出て行った。食事は朝の7時、正午、午後6時に配給する。その時間が来たら役場に来てくれ」


 鏑木さんはそう言い残し、役場に戻って行った。いつまでも外で真夏の日差しを浴びているわけにもいかず、「お邪魔します」と言って僕らは家のドアを開けた。

 少し埃が積もっているが、荒れている様子はない。かなり手入れが行き届いているようだ。靴を脱いで家の中に上がろうとした時、ふと足首に違和感を覚える。

 見るとナオミさんから借りた小型ナイフの収まった鞘が、ベルトで足首に結ばれたままだった。もし斧やクロスボウをなくしても戦えるようにと足首に固定しておいたのだが、さっき村に入る時に外し忘れたままだったらしい。


「あ、これどうしよう?」

「別にナイフの一本くらいいいんじゃない? 私も全部渡したわけじゃないし」


 そう言ってナオミさんも、軍用ブーツの中から細身のナイフを取り出す。ナオミさんの場合は渡し忘れたのではなく、敢えて一本だけ手元に残しておいたに違いない。どうやらナオミさんは、完全にはこの村の人々を信用していないようだ。


「この村の人たちが危ないって言いたいんですか?」

「そういうわけじゃないよ、ただ常に警戒は必要ってこと。何かあった時、武器の一つもないのは困るからね」


 そう言ってナオミさんはナイフを腰に挿した。万が一ということもあるだろう、僕も自分にそう言い聞かせてナイフをポケットに仕舞った。


「じゃあ今から、皆でお昼寝しましょう!」


 先に家の中に上り込んでいた愛菜ちゃんの声が聞こえてきたので見てみると、まるで時代劇にでも出てきそうな畳敷きの大広間の上に、いくつか布団が畳んで置かれていた。布団に汚れは無く、つい最近洗濯されたもののようだ。いつ避難民が来ても受け入れられるよう、大沢村の人たちが用意してくれていたのだろうか?


「ちょっと待って愛菜ちゃん、何で布団を4つも並べてるの?」

「え? だって皆でお昼寝……」

「こいつとも?」


 そう言って結衣は、僕を指差した。


「え? 一緒に寝ちゃ駄目なの?」

「ダメに決まってんでしょうがっ! なんで男と一緒の部屋で寝なきゃならないのよ!」

「今まで車の中で一緒に寝てたじゃないか」

「それとこれとは話が別! せっかく久しぶりに建物の中で寝られるんだから、アンタは前みたいに別の部屋で寝なさい! あと、襲ったら殺すわよ」


 顔を真っ赤にした結衣にそう言われ、布団を抱えた僕の目の前で襖がぴしゃりと閉まる。仕方なく僕は玄関の方に向かうと、そこに布団を敷いて横になった。

 久しぶりに味わう布団の感触はとても柔らかく、そしてすこし暖かかった。ここ一週間ロクに寝ていなかったこともあり、僕はそうそうに夢の世界へと旅立っていた。

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