第二七話 真夏の昼のお話

「君たち、ここに来たってことはあの看板を見たんだね? どこから来たの?」


 最初の剣呑な雰囲気はどこへやら、次の瞬間には無精ひげの男性は親しげな口調で話しかけて来た。見れば引き金に掛かっていた人差し指も外されており、発砲の意志はないように思える。

 彼らはあの看板に書かれていた、避難所になっているこの村の住民なのだろうか? 少なくとも物騒な連中ではないことは明らかだ。もし彼らがヒャッハーな人間だったら、僕らの姿を見た瞬間撃ってきているはずだ。何せ向こうは銃を持っている、対してこちらはクロスボウが一丁だけ。

 それでも親しげに話しかけてくるということは、向こうに僕らを傷つける意思はないということだろう。


「わたしはナオミ・ウォーカーといいます、ここから西の町から来ました。北へ向かって移動中にあの看板を見つけてここへ来たのですが、あなたたちはこの村の住民ですか?」


 ナオミさんも向こうに敵意は無いとわかったのだろう。ナオミさんはドアを開けて車を降り、声を張り上げた。どうやら相手もナオミさんが外国人だったことに男たちも驚いているらしく、無精ひげの男が目を丸くしている。


「……いやはや、外人さんが来るとは驚きだ。そうだ、ここがあの看板に書いてあった大沢おおさわ村だ。私は鏑木かぶらぎ、村の警備隊の隊長を務めている」


 警備隊があるということは、どうやらこの大沢村の住民たちは組織だって行動しているらしい。自衛隊や米軍のものに比べれば貧弱だが銃を何丁も装備しているようだし、その実力はかなり高いに違いない。


「君たちの車が引っかけたらしい警報装置が作動してね、それでここに見回りに来たんだ。万一、ということも考えられるから銃も持って。驚かせたようですまないね」

「いえ、こちらも突然押し掛けてしまい申し訳ありません。それにしても警報装置ということは、やはりここの防備は高いということでしょうか?」

「警報装置と言っても、糸と鳴子を利用したアナログなものだがね。だがまあ、かなり役に立っている。私たちはまだ一度も感染者を村に入れていない」


 どうやらここが安全だという話は本当のようだ。となると、俄然希望が湧いてくる。僕たちもここに避難させてもらい、事態が落ち着くまでのんびり過ごせればいいのだけど。

 背後を振り向くと、結衣と愛菜ちゃんも突然の事態にぽかんと口を開けて固まっていた。その肩を揺すると、ようやく二人は我に返る。


「……え? なに、あの看板本物だったの?」

「てことは、ここは安全なんですか!?」


 鏑木は車内にいる僕らの存在に気づいたらしい。笑いながら言った。


「そうだよ、ここは安全だ。食べ物も水もあるし、医者だっている。もう怯えながら暮らさずに済むんだよ」


 その言葉で、不意に今まで過ごしてきた日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

 感染者に追われ、恐怖をなんとか抑えつつ必死こいて逃げ回った日々。恐怖で外に出られず、本当に飢え死にするかと思ったパンデミック初期の夜。びくびくしながら焼け残ったスーパーやコンビニを漁り、かすかな物音にも怯えていた日々。そしてこの前の、水が得られず常に渇きに悩まされていた二週間。

 もうそれらを味わわずに済むのだと思うと、思わず涙が出た。当然だ、僕は数か月前まではただの高校生で、それまで死の恐怖など一切味わうことのない生活を送っていたのだ。日本中に感染者が溢れ、生き延びるためにはそれまでの自分を捨てて戦い続けるしかないと理解していても、僕は昔の平和な日々を心の底から欲していた。武器も持ち、血と腐臭を嗅ぎ、常に怯えながら隠れて暮らす生活からおさらばしたいと思っていた。

 しかしこの村は平和で、飢えも渇きも恐怖も味わわずにすむ。あれだけ渇望していた元の生活が戻ってくる。そう思うととても嬉しかった。

 見れば結衣も愛菜ちゃんも顔を押さえ、涙をこらえきれない様子だった。ナオミさんはいつもと変わらず飄々としているように見えるが、興奮を隠しきれていない。そんな僕らを見て、鏑木は言った。


「とりあえずいつまでもここに車を置いておくわけにはいかないし、まずは村に入ろう。おい、門を開けろ」


 鏑木が道を塞いでいる壁の方を向いて叫ぶと、巨大な金属の板が二つに割れ、左右に開いた。どうやらあの金属板は壁と同時に扉の役割も果たしているらしい。まあ道のど真ん中に作られている以上当然だが、あんなものまで作ってしまうこの大沢村にはかなり人的にも物的にも余裕があるようだ。


「君たちを村に受け入れる前に、武器を預からなきゃならない。警戒するのも当然だろうけど、ここじゃ村の中では警備隊の人間以外武器を持ってはならない決まりになっているんだ」


 その言葉に少し不安になったが、ナオミさんの顔を見ると「言う通りにしろ」という目をしていた。彼らもせっかく築き上げた安全な避難所を、無法者に壊されたくないということか。郷に入っては郷に従えというルールがあることだし、それにこの村に滞在している限り警備隊の人間が僕らを守ってくれるから、武器を持つ必要は無いだろう。

 ナオミさんは腰に提げていたグルカナイフを鞘ごと外して車のボンネットの上に置き、続いて僕もクロスボウをゆっくりと置いた。そして車内やトランクに隠してあった手斧や火炎瓶といった武器も次々彼らに見せていく。


「君たちは……こんな武器で今まで生き延びてきたのかい? しかも若者4人で」


 火炎瓶を手に取りつつ、鏑木は目を見開いて呟いた。実際、僕もどうして今まで生き延びられたのか驚いているくらいだ。女3人男一人、しかも3人が未成年というこのグループが今まで感染者の魔の手から逃れてこられたのは、軍人に戦闘方法やサバイバル術を教わったナオミさんに頼るところが大きい。


「ふむ、銃は無し。飛び道具もクロスボウだけか……」


 鏑木が手を振ると、さっきまで後方に控えていた男たちが近づいてきて、ボンネットに置かれた武器の数々をトランクに放り込んでいく。まずは車で村の中心部まで行った後、そこで武器を預かるのだという。この村に滞在している限り車も武器もいらないだろうし、特に反対する理由は無い。


「じゃ、少しお邪魔するよ。お前たちは巡回を続けるんだ」


 そう言って助手席に乗り込んできた鏑木は、窓から顔を出して男たちに叫ぶ。警備隊の人間らしい男たちは頷くと、再び林の中へと戻って行った。結衣と愛菜ちゃんに席を詰めてもらい、僕は後部席に移動する。ナオミさんが運転席に戻ると、車はゆっくりと前進を始めた。

 やはりさっき監視塔の上で動いていたものは人だったらしい。鉄パイプに分厚い金属板が溶接された門の内側には小さな小屋が立てられ、そこで数名の男女がこちらの様子を伺っているのが見えた。彼らも村の警備にあたっている人々なのだろう。


「最近あまり人が来なくてね、皆驚くと思うよ」

「この村には、今までどれくらいの人たちが避難してきたんですか?」

「大体20人くらいだな。でもほとんどが何週間か滞在した後出て行くんだ。もっと安全な場所があるかもしれないとか、人を探してるとか言って」


 その言葉で愛菜ちゃんが俯く。安全地帯に喜んでいるように見える愛菜ちゃんだが、心の底では家族を探しに行きたいと願っているに違いない。そしてその家族は既に僕がこの手で殺している。

 バックミラー越しに見えるナオミさんの顔は驚いているように見える。


「出て行くんですか? 外はここよりも危険なのに?」

「ああ、皆誰しも大切な人がいるんだろう。だから安全な生活より、その人を見つけ一緒にいたいと願うんだろうな」


 鏑木は窓の外を見つめ、呟く。


「私たちの大沢村は、元々過疎気味でね。若いもんは全員街の方に行ってたから、じいさんとばあさんしかいなかった。でもこの騒ぎで人口が少ない地方の方が生き延びられるって話があちこちで流れたらしくてね、街に行ってた息子や娘が家族を連れて戻って来たんだ。それだけは幸いなことだった。私たちは村の外からやって来た人たちとは違い、大切な人は自分の傍にいるから」


 森を抜けたのか突然道路の左右に立ち並んでいた木々が後方に過ぎ去り、頭上を覆っていた枝葉が消えたことで日差しが一気に強烈になる。車内にいてもその眩しさは半端ではなく、一瞬目を瞑った僕は、次の瞬間前方に広がっていた光景に言葉を失っていた。


 目の前に広がっていたのは青い田畑と、そこで働く人々の姿だった。ジャージや作業服など動きやすい服装で農作業に勤しむ人々は、車に乗っている僕らの姿を見ても顔色一つ変えない。やはりここに多くの人が来たというのは本当の話なのだろう、だから皆外からやって来た僕らを見ても驚いたりしないのだ。

 だが僕はそんな事よりも、人々が普通に農業に勤しんでいるということに驚きだった。どこもかしこも感染者に襲われ、もう平和な日常などこの日本に残っていないと思っていたのに。トラクターなどの農業用機械こそ見えないものの、田舎の昔ながらの光景がこの村には残っている。


 不意に僕は、幼い時両親と行った母の実家のことを思い出した。確か母の実家もかなり田舎で、目の前の光景が思い出に重なる。青々と茂る稲と、田畑の向こうに見える古い日本家屋。それらを思い出した僕は、もうそんな光景を両親と見ることは二度とないのだということに気づき暗い気持ちになる。


「さあ、あそこが村の役場だ」


 僕の気持ちに気づくこともなく、鏑木が田畑の向こうに見える家々の一つを指差した。見れば木製平屋の日本家屋に混じり、一つだけ近代的な3階建てのコンクリートの建物が見える。どうやらあれが村役場らしい。

 ナオミさんは頷き、ハンドルを切る。僕は暗い気持ちをこれからここで過ごす平和な日々を想うことで無視しようとしたが、窓の外の人々の姿を見ていると何かが頭に引っかかった。


 どうして子どもがいないのだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る