第二六話 理想郷のお話

 水を汲み、しばらく休憩した後に再び僕らは出発した。目的地はガソリンスタンドのある、一番近くの村。しかしかつて人間がいた場所にこれから向かうということで、物音をあまり立てないようバッテリー駆動でゆっくりと車を走らせることになった。

 もっともその分長く寝ていられるので、僕にとってはありがたいことだった。バッテリー駆動でエンジン音はしないし、ゆっくり走っているので身体を上下に揺さぶられる心配もない。安心して熟睡していた僕だが、それも長くは続かなかった。


「なんだ?」


 ナオミさんのその言葉と共に突然停車し、意識を現実へと引き戻される。寝ぼけ眼を擦りつつ顔を上げた僕は、道路に何かが張られているのを目にした。

 地元の人間でもほとんど使わなかったのではないかと思うほど荒れ果てた砂利道は、道路の左右を木々に囲まれていた。そして僕らの目の前に、道路脇の木に結ばれたロープのようなものがピンと張られている。


「いや、ワイヤーだな。もし勢いよく突っ込んでたらどうなったことか……」


 ワイヤーはちょうど大人の首の高さの位置で張られている。もしバイクなどでここを通り抜けようとしていたら、文字通り首が飛んでいたかもしれない。

 誰が何のためにこんなところにワイヤーを……と思ったが、視線をすぐ下に向けると途端に疑問は氷解した。ワイヤーは道を塞ぐようにして何本か上下に貼られていて、その下の段に文字が書かれた板がぶら下がっている。でかでかと赤い太文字で「注意!」という警告と共に、何か地図のようなものが描かれている。


「なんでしょうかね、アレ? 地権者が侵入防止にやったのかな? でもそれだと普通チェーンとか張って道路を封鎖するだろうし……」

「さあ、わからない。とにかく見てみないと」


 言うが早いかナオミさんはドアを開けて外へ出ていた。慌てて僕もクロスボウを片手に助手席を降り、結衣と愛菜ちゃんもそれに続く。不意の襲撃を受けても分断されないよう、何かする時は全員一緒に行動することになっているのだ。

 クロスボウを構えて周囲を見回すが、人影は見えない。もっとも近くに感染者がいたところで、生い茂る木々が邪魔になって見えないだろうが。聞こえてくるのは鳥のさえずりと虫の鳴く声だけで、近くに感染者の気配はない。


「『この先に避難所あり、食料や武器といった必要なものは全てあり、感染者の侵入もありません。避難したい方は以下のルートで向かってください』……?」


 結衣が看板の内容を読み上げ、首を捻る。注意書きの下に描かれた案内書きを見てみると、一旦引き返した後別ルートで北へ向かえと書いてある。地図を引っ張り出して照らし合わせてみると、看板に書かれている避難所とは今まさに僕らが向かっている小さな村のことだった。


「これマジ?」

「さあ、どうだろうね。でもこの看板はまだ新しいように見えるし、つい最近誰かがこの道路をワイヤーで封鎖して看板を置いていったのは間違いないだろうね」

「てことは……近くに人がいるんですか!?」


 愛菜ちゃんが叫びかけそうになり、慌てて自分の口を塞いだ。確かに侵入防止の注意書きなら避難所云々なんて書かないだろうし、地図もいらない。

 とすると、本当にこの近くに生存者がいるようだ。しかも彼らは安全な場所と十分な食料を提供してくれるらしい。


「考えてみれば元々人が少ないんだから、万一感染者が発生してもすぐに封じ込めができるだろうし、彼らはそれに成功したってことじゃないかな? 近くの町から感染者も入ってこなかったみたいだし」

「じゃあそこに行けば、アタシたちも保護してもらえるってこと?」

「こんな看板が出てる以上、受け入れてもらえるでしょ。もし食料とかが不十分ならそもそも外の人間の来訪を拒むはずだけど、地図をみる限り村には田んぼとか畑があるみたいだし、十分自給自足出来てるんじゃないかな」

「じゃあもしかしてわたしの家族が逃げてきてるかも!」


 愛菜ちゃんのその言葉に、とたんに明るい気持ちが一瞬で消し飛んだ。僕はまだ、彼女に家族の死を伝えていない。愛菜ちゃんは今もまだ、家族が避難所から逃げ延びてどこかで生きていると信じている。


「……それは厳しいだろうね。何せ愛菜ちゃんがいた避難所とこの先の村まではかなり距離がある。愛菜ちゃんのご家族がいる可能性はゼロじゃないけど、限りなくゼロに近い」


 気が付くと、そう勝手に喋っていた。「そうですか……」と肩を落とす愛菜ちゃんを見て、さらに心が痛んだ。いくら探しても無駄だ、愛菜ちゃんの家族はあの避難所で今頃は腐乱死体と化しているのだから。

 いつの間にか手段と目的が逆になってしまっている。最初は愛菜ちゃんに希望を持ってもらうために嘘をつくことを決心したのに、今じゃ皆から非難されることを恐れて嘘を突き通している状態だ。


 僕が口を噤んでいれば、きっと嘘はばれないだろう。傷が多い死体は夏の気温でドロドロに腐乱してもはや誰だか判別不能になっているだろうし、警察が機能していないから人探しをすることも出来ない。仮にこの感染爆発パンデミックが終息しても、かつての生活に戻るまでかなり時間が――――――いや、以前と一変した生活が待っているかもしれない。

 しかしそれでは愛菜ちゃんが永久に死んだ家族を探し続けることを意味する。彼女はきっと、死ぬまでどこかで家族が生きていると信じて疑わないだろう。そして僕は、ずっと嘘をついた後悔と自責の念を抱いていかなければならない。


「……ねえ、聞いてるの? この看板に従って避難所に行くかって訊いてんのよ?」


 肩を揺すられ我に返ると、目の前に結衣の顔があった。


「アンタ、もしかして暑さで頭やられたとかそんなんじゃないわよね?」

「……いや、ちょっと考え事をしていただけさ。それで、何の話だっけ?」

「だから、ここに書かれてる避難所とやらに行くかどうかって話よ。ちなみにアタシは賛成よ、ここんところずっと車の上だったから久しぶりに休みたいし」


 他の二人も同意見のようだ。


「私はどっちでもいいけど、この先どこかで燃料を調達しなければならないことに変わりはないからね。もしその避難所とやらがきちんと機能していて安全な場所なら、そこに行った方がいいと思う。それにユイと同じで少し休みたい。もしかしたらこの騒ぎが収まるまで、そこで暮らしていけるかもしれないし」

「わたしも避難所に行きたいです。たとえゼロじゃなくても、家族がそこにいないかどうか確かめたいんです!」


 どうやら他の3人は避難所に行く事に賛成らしい。僕としても、本当にそこが安全で十分な食料と水があるのなら、行く価値はあると思う。それにナオミさんが言う通り、可能なら引きこもって暮らして感染者が全て餓死するのを待つという手もある。感染者とてゾンビではない、ただ凶暴で強力になり理性を失った元人間だ。食うべき人間がいなくなれば、その内飢えて死ぬ。


 どのみちこの道路はもう先へは進めない。見ればワイヤーだけでなく道路のど真ん中に置かれた大きなコンクリートブロックも見え、ここから先へ人を通すつもりがないということを如実に示していた。車を捨てれば徒歩で行けるだろうが、もし避難所がなかった場合僕らは全ての物資を無駄にすることになる。それにこの分だと感染者の侵入に備えて罠などが仕掛けてあるかもしれない。


「いいんじゃないですか?」

「よし、決まりだね。じゃあ皆早く車に乗った乗った」


 そうナオミさんが急かし、僕らは車に戻る。一本道なのでしばらくバックで進み、最後に通った分岐点まで戻るとハンドルを切り替えし、別のルートを進み始める。




 再び森の中を進む形になったが、数分も曲がりくねった道を走っていると、突然目の前に巨大な鉄の壁が現れた。ナオミさんが踏み、窓を開けてクロスボウを構える。さっき見た地図ではこんな壁は描かれていなかったが……。

 見れば先ほど行き止まりだった道路と同じく、木々にはワイヤーが張られていた。ワイヤーは壁の左右に何段にもわたって張られ、木々を利用して擬似的な壁を構築している。道路を塞ぐ壁は鉄板を溶接して作られたらしく、左右に大きく開閉することが可能なようだ。


「どうします? 勝手に開けて中に入っちゃう?」

「その必要は無いみたいだね……あれを見て」


 ナオミさんが壁の上方を指差す。さっきは気づかなかったが、壁の向こう側に鉄骨を組んで作られた監視塔が立っていた。そしてその上で、一瞬何かが動いたのを僕は見逃さなかった。

 窓を開け、身を乗り出してその正体を確認しようとした瞬間、今度は「そこを動くな!」と男の声が森の奥から響いてきた。クロスボウに手を掛けかけた僕は、その声と共にこちらに向かって複数の足音が近づいてくることに気づいていた。

 ガサガサと落葉を踏みしめ近づいてくる足音に、ナオミさんもそっと腰のブッシュナイフに手をやる。僕もこっそりダッシュボードの下でクロスボウをコッキングし、矢を装填していつでも撃てる態勢を整える。戦えない結衣と愛菜ちゃんは、姿勢を低くして座席の下に隠れる。


 やがて木々の向こうから、一人の男が姿を現した。無精ひげを生やした40代半ばくらいのその男の手に握られているのは、僕の見間違いでなければライフル銃だ。

 さらに続々と、まるで忍者のように森の中から5名ほどの男たちが後に続いて姿を現す。彼らも男と同様に銃を持っていなければ、きっと僕はアイエエエ!? などと叫んでいたに違いない。

 彼らが持っているのが銃であることに気づき、身体が強張る。銃口こそ向けられていないものの、彼らの指は引金にかかっている。つまりその気になれば、一瞬でこちらをハチの巣に出来るということだ。

 一方こちらの飛び道具は僕が持つクロスボウだけ。ライフル銃とクロスボウじゃ話にもならない。それにいくらナオミさんがナイフを使った格闘戦を得意としているからといって、銃の前には彼女も無力だ。ナイフを持って車から降りようとした瞬間、撃たれてもおかしくない。


 睨み合っている数秒間が、まるで何十分も経過しているかのようにゆっくりと感じた。だが突然男はふっと笑い、言った。


「あの看板を見てここに来たんですね? ようこそ、我が大原おおはら村へ」

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