第一一話 気絶するお話

 感染者達はどうして、僕達が部屋に隠れている事に気づいたのだろうか。そんな事を考える前に、感染者達がノックの雨を振らせるドアが大きく揺れるのを見て、僕はとっさにバリケード代わりに移動させたベッドに寄りかかって背中で押す。ドアは今にもドア枠から外れそうであり、少しでも感染者が部屋に入ってくるのを遅らせようという考えからだった。

 強烈なマッサージチェアにでも座っているかのように、ドアから伝わる振動で全身が揺れる。ベッドの重量はかなりあるが、これでは僕の体重を加えてもバリケードごと吹っ飛ばされてしまうかもしれない。ドアの外からは苛立ったような感染者の絶叫が聞こえる。


「やべぇよ……やべぇよ……どうする?」


 逃げ場は窓しかない。が、ここは二階だ。それも窓から地面までは結構な高さがあるし、下はコンクリート。飛び降りたら骨折間違いなしで、脱出出来ても動けずそのまま喰われるのがオチだ。

 シーツやカーテンを切り裂いて結び、ロープにすれば安全に降りられるかもしれない。さっき外を見た時、僕達を追って家に入ったのか道路に感染者の姿は見えなかった。


「どうするのよ!」


 手段は一つしかなかった。

 僕は左手でポケットから小さな折り畳み式ナイフを取り出すと、結衣に放った。動いたせいか、ベッドを押さえる右腕にさらに激痛が走る。


「それでシーツとカーテンを切って、ロープを作るんだ! それで下に……」


 僕の言葉に、結衣と愛菜ちゃんはぱっと顔を輝かせた。すかさず床に散らばるシーツに手を伸ばし、そこで何かに気づいたように僕の顔を見る。


「……あんたはどうするのよ? その手で降りられるの?」


 無理だ。きつくバンダナで縛ったのに、手首からは未だに血が流れている。おまけに滅茶苦茶痛い。こんな状態でロープを伝って降りるなんてこと、絶対に無理だ。どう考えても両手で全体重を支えなければならない、そうなれば激痛で手を離してしまい地上に落下してしまう。そもそも激痛と出血のせいか、さっきから右手の感覚が無かった。手を握ろうとしても、上手く動かない。


「どうにかする、だから早く……」

「嘘よ! 無理だって顔してる、アンタここに一人で残るつもりなんでしょ!?」


 なぜばれた。

 僕は結衣の言う通り一人でここに残り、少しでも二人が逃げる時間を稼ぐつもりだった。それにドアはそろそろ限界で、あと何分もしない内に破壊されてしまうだろう。そうなれば感染者は部屋になだれ込み、そして僕達が部屋から脱出する光景を目撃する。再び感染者との追いかけっこが始まった場合、体力を使い果たした僕達は数分も保つまい。

 幸いバリケードの重さに加え、僕が押さえ込んでいる事で感染者達はまだ部屋に入ってこれていない。だが僕がバリケードから離れたら、壊れるのもあっという間だろう。


 それにどう考えても、この腕じゃ地上に降りられない。ならば僕が残って感染者をここに留め、結衣と愛菜ちゃんが脱出する時間を一分でも引き延ばした方がいいに決まっている。無理して全員が死ぬ羽目になるのなら、生き延びられるかもわからない一人が犠牲になって他を逃がした方がいいに決まっている。


「……ああ、そうだよ! グズグズしてたら全員殺されるぞ!」

「バカなこと言ってんじゃないわよ! ここまで来てアンタを置いていけると思ってんの!?」

「愛菜ちゃんはどうなる!?」


 その言葉に、結衣は沈黙した。

 僕が結衣が残ることを許可したとしよう、そうしたら愛菜ちゃんはどうする? 僕達の道連れにするのか? 生かせたいなら一人で脱出させる事になるが、その場合愛菜ちゃんが一人で生きていけるとでも?

 無理だ。愛菜ちゃん一人では必要な物資を探すことも、安全な場所を探すことも、もちろん感染者と戦うことも出来まい。その場合、待っているのは緩やかな死だ。

 だが結衣が一緒に行けばその確率は上がる。だが僕は足手まといにしかならない。さっきから出血のせいか頭がフラフラしてきたし、視界もだんだん霞んできた。この状態では一分も走ったら貧血でぶっ倒れかねない。感染者の魔の手からは決して逃れられない。


「僕が下に降りるのは無理だ、だから二人で行け。三人一緒に死ぬのと、一人でも多く生き延びるのとどっちがいい?」

「でも……」

「愛菜ちゃん、君は家族を捜すんだろ? こんなところで死んでもいいのか?」


 また卑怯な手を使ってしまった。愛菜ちゃんの家族はもうこの世にいないのに。

 二人はしばらく僕の目を見て何かを言おうとしていたが、結局目を伏せシーツを裂いてロープを作る作業に入った。



 本音を言えば、死にたくはない。もしも目の前に死神がいて、結衣と愛菜ちゃんを犠牲にすれば助かると言われたら、そうしてしまうかもしれない。だけどそれは許されないことだ。

 死ぬのは怖い。全身を喰われ、激痛の中死んでいくのはとても恐ろしいことだろう。

 だが、自分の行為で二人の人間が助かると考えれば、恐怖も紛れるかもしれない。少なくとも、気が楽になる。

 それに僕にはもう、再会しなければならない人々はいない。友達も、もちろん家族も。





 唐突に、ドアの振動が収まった。ナイフでシーツを切り裂いていた結衣と、それを結んでいる愛菜ちゃんが顔を上げる。バリケードを押さえている僕も、突然感染者達が動きを止めた事に戸惑いを隠せずにいた。

 ドアは蝶番がボルトごと抜け落ちて今にも外れそうになっていた。あと少しでドアをぶち破れるという時に、なんで動きを止めたんだと疑問を感じた瞬間、階下から激しい物音が聞こえてくる。

 ガラスが割れる音や何かが床に倒れる大きな振動に混じり、感染者の絶叫が聞こえる。別の連中が仲間の声を聞いてやってきたのかと思ったが、下から聞こえてくる物音はまるで何かが戦っているような感じだった。


 すると廊下にいた感染者が吠え、足音がそれに続いた。今まで僕達を喰おうとしていた連中が、どうして目の前にいる獲物を放っておいて下へと行くのか。頭を支配する食欲よりも大事な物があるのか。そう考えた時、廊下からもの凄い轟音が聞こえてくる。


「なに、なんなの……?」


 壁に何かが叩きつけられる音、感染者の絶叫。遠ざかっていく振動は、階段を何かが転げ落ちていっているのか。廊下から聞こえてくる感染者の声は、次第に一つ一つ減っていった。

 沈黙が室内を支配する。愛菜ちゃんは怯え、結衣は呆然と口を開け、僕は血が頭に回らずフラフラになっていた。誰も一言も発さず、さっきまでの感染者達の強烈なノックも止み、静寂の中再び足音が聞こえてくる。その足音は一つだけで、しかもこの部屋に近づいてきているようだった。

 床の木材が軋む音がはっきりと聞こえる。感染者達が戻ってきたのかと結衣が愛菜ちゃんを抱き締め、僕も渾身の力でバリケードを押す中-------




「おーい、まだ誰か生きてる?」




 ドアの外から女性の声がした時、一瞬いよいよ出血多量で幻聴が聞こえてきたかと思った。だって感染者達だらけの家の中、人間がのこのこ入って来られるわけがない。さっきまでドアに破壊的なノックを浴びせていたのは感染者達だ、人間なんていなかった。だから今の声は幻聴、助かりたいという気持ちが生み出した妄想だ。

 そう思い、作業を急かそうと結衣達の方を振り返る。だが二人とも、間抜けのように口をぽかんと開け視線はドアに釘付けだった。


「今の声って……」

「人間、ですよね?」

「え?」


 二人にも聞こえたという事は、どうやらさっきの声は僕の幻聴ではないようだ。だがさっきまで感染者達がドアの前に屯していた。そいつらを全員倒しでもしない限りドアの前に立つことは不可能だし、少なく見積もっても家の中と外で10体はいた感染者をすべて倒すなんて芸当、シュワルツェネッガーかスタローンかセガールでもない限り無理だろう。

 だとすると感染者が喋っている? もしかして人間に戻った?


 -------いかん、血が足りないせいか頭がうまく働かない。右手首からの出血は思ったより酷いのか、頭がさっきから重いし目眩もする。


「そこにいるのはわかってるよ、あいつらは全部倒したからここを開けてくれない?」


 今度ははっきりと聞こえた。声から判断するに、僕と同じか少し年上の女性が廊下にいるのだろう。感染者を全員倒したと言っていたが、女の人にそんな真似が出来るか? 高校生男子の僕ですら逃げ回るのが精一杯なのに。


「あの、誰ですか?」


 信じられないという顔をしつつも、愛菜ちゃんが声を張り上げた。


「わたしはこの町の生存者だよ! 君達が奴らに追いかけられているのを見たから助けに来たんだ!」


 彼女の言うことが本当なら、わざわざ危険を冒して僕達を助けてくれたという事になる。が、本当に善意からの行動なのか? 感染者数十体に追われている人間を助けるなんて度胸、僕にはない。下手に関われば自分も死にかねないから、僕だったら見なかった事にするだろう。実際結衣を助けるまで、僕は他人が感染者に追われていても、助けるより見捨てる事を選ぶ方が多かった。

 もしかしたら物資を奪おうとしているのかもしれない。それか彼女以外にも人間がいて、女性である結衣と愛菜ちゃんを狙っているか。法も警察も無くなった世の中だ、欲望のまま行動する連中も多い。だが感染者に追われている人間をわざわざ助け、その上で物資を奪うなり女を拉致するなんてことはリスクが大きすぎる。


「どうするの?」


 結衣が言ったが、ここは素直に出て行った方がよさそうだ。本当に助けてくれるなら万々歳。どうせ僕は窓から逃げ出すのが難しいんだし、何より彼女が僕達に害意を抱いていたとしても、人間相手に戦う方がまだ楽だろう。流石の僕も、まだ人間とは戦った事はないけど。


「とりあえず、ベッドをどかそう。もう限界だ」


 ベッドの上に乗っけられたテレビや椅子やらを撤去しようとしたが、左腕一本では無理があった。結衣と愛菜ちゃんと協力し、ベッドの上を綺麗にしてドアの前から移動させる。床に壊れたテレビの部品や折れた机の足が転がったが、そんな事は気にも留めない。今はここから脱出する事しか考えられなかった。

 三人で一気に木製のベッドを引きずり、ドアの前から撤去させる。瞬間、人間離れした感染者の打撃を浴びていた蝶番が遂に限界を迎えたのか、ドアが一気に部屋の中へと倒れ込んできた。


「あ、やべ……」


 そして僕の方にも限界が来ていたのか、頭をぶん殴られたような鈍痛が頭に走り、身体から力が抜ける。床に倒れ込み、横倒しになった視界の中、結衣と愛菜ちゃんが慌てた顔で僕の身体にすがりついてくる。その奥、部屋の入り口から見える廊下の壁は返り血で真っ赤に染まっており、それをバックに一人の女性が入り口に立っているのが見えた。


 その女性のブロンドの髪と青い瞳を見たのを最後に、僕の意識は暗闇に飲み込まれた。

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