第三話 生存者のお話
地上に降りた僕がまず行ったのは、道路の安全を確認する事だった。別に走ってくる車に気をつけているのではない、感染者の姿がないか確かめるためだ。というかこの数週間、車が走っているのを見たことがない。
もし見つかった場合家屋に逃げ込むなどして撒く事は出来るが、それまでは感染者の視界の中にある限りどこまでも追いかけられる。だから逃げる時はまず曲がり角で一旦奴らの視界から逃れ、それから見つからない場所を探す。なので僕は移動する時、曲がり角のあるルートを選ぶようにしていた。
だが曲がり角で感染者の視界から逃れられるという事は、僕からも曲がり角の先にいる感染者が見えないという事だ。だから移動する時は音を立てず慎重に、そして曲がり角や見晴らしの良い場所では注意して移動する必要があった。
まるで映画に出て来る特殊部隊のように曲がり角の壁に張り付き、顔半分だけを突きだして感染者がいない事を確かめる。この三ヶ月でこういった事に関しては、スムーズに行えるようになっていた。
感染者がいないのを確認したら、足音を立てないように慎重に進む。感染者の聴覚は人間並みなので、よっぽどバタバタ大きな音を立てない限りは見つからない。だがどこにいるかわからないので、あらゆる場所にいると想定して動く必要がある。
僕は移動する時に走らない。足音が出るし、何より体力を消耗する。もし見つかった時に疲れて動けなければ連中の餌になってしまう。だから僕は動く時は素早く、でも音は立てずに走らない事に注意していた。目的地を目の前にして早くたどり着こうと走り出し、結果音を出して見つかった上に疲れたため追いつかれて殺された人々を僕は何度も見た事がある。
目的地のスーパーは先ほど女性が殺されていた大通りを挟んだ場所にあった。大通りなどの広い場所は見晴らしがいいので、動いていれば遠くからでも感染者に見つかってしまう。こういった場所だけは、発見されるリスクを抑えるために走って移動するしかない。
大通りの左右をよく見て感染者がいない事を何度も確かめ、それから隠れていた廃車の陰から飛び出す。五〇メートル走で六秒台を叩き出す足でもって全力で走ったが、ほんの数十メートルの距離がまるで数百メートルもあるかのように感じる。遅々として進んでいる気がせず、このままでは見つかるという考えが頭の中に生まれ始めた直後、僕は大通りを渡りきって横転していたトレーラーの陰に滑り込んでいた。
その位置からスーパーまでは、文字通り目と鼻の先の距離だった。僕は窓や自動ドアのガラスが全て叩き割られたスーパーへと、慎重に足を踏み入れる。
スーパーの中はまるで台風が通った後のように荒らされていた。略奪があったのだろうが、意外と商品は残っている。暴徒が略奪しようと襲ったが、騒ぎを察知してやって来た感染者がその暴徒を襲った―――といったところか。今やこの町はほぼ無人と言ってもいいので、略奪後改めて残った物資を奪いに来る人も少なかったのだろう。
だが残された品も、僕が何度か取りに来て消費したため少なくなってきている。このスーパーに頼れるものあと数週間といったところか。ここの物資が尽きたら、他から調達して来なければならない。あのマンションは立てこもるのに結構条件が良かったので、出来れば離れたくないのだけど……。
食品コーナーの棚は空だった。以前僕が来た時に、他にやって来た生存者に持ち去られないよう移動させておいたのだ。僕も貴重な物資をみすみす他に渡したくはないし、他の生存者もそう思っているだろう。このスーパーの食料は、分け合うには少なすぎる。
会計所に向かい、六番レジの下のビニール袋などを入れるスペースに手を突っ込んで、中からいくつか中身の入った袋を取り出す。中には水や食料がいくつか分類されて入っているが、持ち去られた形跡はない。僕はその中から、必要だと思われる一週間分程度の食料と水を取り出してリュックの中に入れ始めた。
会計所を見ればいくつかレジが壊され、現金が床に散乱していた。ここを襲った暴徒か生存者が持ち去っていったのだろうが、このご時世に現金を持って行ったところで何の役に立つと言うのだろうか。今や金よりも物資の方が大事だし、命の方がもっと大事だ。現金を出したところで物を売ってくれる店があるわけでもない。
現金の価値を保証する日本政府は今や壊滅寸前だし、生き残った人々が集まるコミュニティーでも物々交換しかやっていないと聞く。
この騒ぎが収まり、再び通貨が効力を持つようになれば現金を盗んでいった人々は大金持ちになれるのだろうが、そんな平和な未来が来ると僕は思えない。
缶詰等が振動で音を立てないようタオルで梱包してリュックに入れ、チャックを閉めて背負おうとしたその時、入り口の方で何かが動いたのが見えた。とっさに姿勢を低くして、レジの陰から入り口を伺う。
誰かがスーパーの中に入ってきていた。数は一人、だが逆光で顔が見えない。感染者か生存者か、どちらだろうか? だが相手が一人なら倒すのは容易だ。
僕はバールとマグライトを握り、人影がこちらに近づいてくるのを待った。マグライトは警棒にもなるが、あくまでライトだから何度も何度も人を殴るための代物ではない。だから僕はバールを使って感染者を倒すようにしていた。バールは手頃な長さで重さもそこそこ、持って走るのに邪魔にならず、振り回すにはちょうどいいし威力もかなりある。よくニュースで「バールのようなもの」として犯罪に用いられるのがよくわかる。
その人影は店の中を慎重に確認しているようだった。感染者ならそういったまどろっこしい事はしないし、そもそも何かを確認するような知性も残っていないので、おそらく人間だろう。
だが人間だからといって気を抜くつもりもない。無法状態になったこの世界で、楽しみ半分で人を殺そうとする輩はたくさんいるだろう。生きるため、という理由を付けて人を襲う連中はもっと多いかもしれない。油断する事は出来ない。
人影は周囲を伺いながら、食品コーナーへと進んでいく。食品コーナーへ行くにはこの六番レジの前を通るのが一番早いので、人影もどんどんこちらへ近づいて来ている。僕は人影がレジのちょうど前を通るのを待って、立ち上がった。
「誰だ!?」
低く小さいが、しっかり聞こえる声で誰何し、ライトの光を当てる。「きゃっ!」という悲鳴と共に、人影が腰を抜かすのが見えた。
僕の目の前にいたのは、中学生くらいの少女だった。黒髪をショートカットにして、学校の制服らしいセーラー服を着ている。スカートを穿いた状態で地面にへたり込んでいるが、下に短パンを穿いていたため下着は見えなかった。
……別に残念だと思ってないけどね!
「あ、あんた誰……?」
震える声で少女は言う。手を確認して武器らしい物を持っていない事を確認すると、僕はマグライトの光を消した。可能性は低いだろうが襲われた時の事を考え、バールはまだ握っておく。
「君こそ誰だ。この町の住民か? どこから来た、他に生存者はいるのか?」
「わ、私は余所からここへ逃げてきたの。避難していた場所が襲われて……」
「一人か?」
そう尋ねると少女は頷いた。そして自分がベラベラ情報を話してしまった事に気づき、不審の目で見てくる。相手が考える隙を与えず質問を続ければ、思わず答えてしまうという事を聞いた事があったのだが、まさか実践する機会があるとは思わなかった。
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