第5話 大人の条件
「んっと、何から話せばいいのやら。とりあえず、最初は僕の一目惚れだったんだけどね。高二の時に同じクラスになって、友達になって」
高校時代の思い出がよみがえり、なんとなく懐かしい気分になる。そういえば、今朝に見た夢も高校時代のものだった気がする。
「っで、高二の冬に告白して。そんな感じかな」
「へぇ、太樹が告白したんだぁ。なんか、想像できないなぁ」
「失敬な。まぁ、あの時ほど怖かった思い出もないよ。告白して向こうも僕のこと好きだってわかった時は、やっぱり死ぬほど嬉しかったけどね」
僕は頬を書きながら、朱里から視線をそらした。やっぱり、こういう話を他人にするのはすごい恥ずかしいな。
「やっぱ、わかるまでは怖いんだ」
「そりゃぁ、断られたらっていう考えはずっとあったしね。それでも、やっぱり好きだったし。告白しようか悩んだ末に……、っね」
過去に思いをはせて、当時の不安を思い出そうとしたがどんな気持ちでいたかまでは思い出せない。付き合い始めたころの不安も喜びも、少しずつ思い出せなくなっているということに少し寂しさを覚えた。
時間は常に流れていて、過去はどんどん遠くなっていく。
それっきり、部屋には沈黙が落ちた。僕は窓の外をゆっくりと降っている雪を見ながら、昔のことを思い出していた。朱里は朱里で、小説のことを考えているのか飛馬への気持ちを考えているのか、黙り込んだままだ。
もうすぐ昼になるというのに、外は曇天で相変わらず暗い。先ほどの会話から一時間ほど経つが、時折思い出したようにタイピングの音が響くだけだ。
「太樹ってさぁ、もう二十歳になってるよねぇ?」
「んっ? あぁ、うん。二ヶ月前になったけども」
「私たちってさぁ、世間一般的に言ってもう大人なんだよね」
「そうだね、一応そうなるよね。でもそういえば、朱里って誕生日まだじゃなかったっけ?」
僕の記憶によれば、朱里の誕生日は来月十二月の中頃だった気がする。いやまぁ、そこまで頼れる記憶力はないんだけども。
「うん、私は十二月生まれだから厳密にはまだ未成年だね。でもさ、こんなはずじゃなかったんだよなぁ」
「こんなはずじゃって、なにが?」
「子供のころに夢見た、大人になった時の私。それこそ数年前の高校生時代も大学生になれば、成人になれば何かが変わると思っていたからさ。でも、実際にはあんまり変わった気がしないっていうかさ。あの時想像していた私は、もっと恰好よくってさ、優しい彼氏もいてさ」
「そうだね、昔は僕も漠然と大人になれば何でもできるとかって思ってたっけな。まぁ、実際は授業にバイト、炊事洗濯で一日のほとんどが終わっちゃうのが現実だけどね」
誰もが一度は夢を見て、そして現実に直面する。夢が叶う人なんて、人類のいったいどれくらいの割合なんだろう。
小学生の頃、将来の夢を聞かれてなんて答えたっけ。どのみち今の僕では叶えられそうもない夢だろう。
「ピーターパン症候群だっけ、大人になりたくないっていうやつ。私も子供の頃が一番楽しかった気がする。もちろん今は今で楽しいけども、あのころみたいに人間関係を気にしないで楽しむなんて今じゃできないしさ」
「そうだね。でも、僕は今も同じぐらい楽しいよ。あのころじゃ、こうやって小説を書くこともできない、簡単に旅行にも行けないし、やっぱり子供は子供で制約は多いから。それにあの頃と今じゃ好きって言葉の重さが違うからね。詩織のいる今が、僕は一番楽しいのかな」
「なんとなく、自慢っぽく聞こえてムカつく」
「はは、ごめん」
ムスッとしてしまった朱里に、苦笑いを浮かべて謝っておいた。
「それにさ、大人になったからこそこういう会話もできるしさ。僕はこういう会話好きだけど、朱里は楽しくないかな?」
「まぁ、それもそうか。子供じゃぁこういう会話はできないもんね。これも大人だけの楽しみと言えば、そういうものか」
「というか、大人で創作をする人だけだと思う。普通の人はこういう会話はしなさそうだよね」
言えてる、そう朱里は小さく笑って身体を大きく伸ばした。身体を伸ばし終えると、小さく息をひとつ吐いてノートパソコンを片づけ始めた。
「それじゃ、私はそろそろ帰るね。太樹はまだしばらく書いてくの?」
「うん、結構まずいからね」
そうと小さく返事を返して、帰り支度を済ませた朱里はドアを開けて部室から出て行った。
僕はパソコンの画面に表示されているプロットに再び集中しようとした。ガチャっと勢いよくドアが開いたので見てみると、出て行ったばっかりの朱里が顔だけをドアから出して、こちらを覗いていた。
「言い忘れたけども、相談に乗ってくれてありがとね。でも、飛馬に話したら引っ叩くから。それじゃ、頑張ってね」
言いたいことだけを一気に言い残して、ドアはまた閉められた。少しだけ口から笑いがこぼれ、天井を見上げながらニヤニヤと笑い声を隠した。
そして、気を取り直してパソコンのキーを打ち始めた。結局、僕が帰った夕方の四時まで部室に他の人は来ることがなく、僕のタイピング音だけが響いていた。
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