第3話 穏やかな朝食
目が覚めると、そこには見慣れた天井があった。大きな欠伸を一つして布団から出ると、部屋の温度に身体が少しだけ震えた。
ベッドの上には、未だ眠っている詩織が布団をかぶって丸まっている。
「くっ、ふぁ」
欠伸をしながら暖房のスイッチを入れて、僕は再び布団に入り部屋が暖まるのを待つ。携帯で時間を確認すると、九時十分を表示していた。
布団の中で先ほどまで見ていた夢を思い出そうとするが、霧がかかったように曖昧にしか思い出せない。
布団の中でごろごろしているうちに部屋が暖まってきたので、布団から抜け出す。冷蔵庫から水を取り出して、一口だけ飲むと少しだけ目が覚めた。
小さな脱衣所で寝間着を脱いで、他の洗濯物と一緒に洗濯機に放り込んでまわし始める。
風呂場で熱いシャワーを浴びて一気に眠気を払い、簡単に寝汗を流してからシャワーを止めた。
体をタオルで拭いて、髪の毛をドライアーで乾かす。居間に戻ってみると、詩織はまだ寝ていた。
「はふぅ、さっぱりした。っていうか、詩織はまだ寝てるし」
近寄って頬っぺたを軽くつつくと、身じろぎをして顔を布団にもぐらせてしまった。その仕草に癒される自分は、やっぱり単純なのだろう。
「さて、とりあえず朝食を用意しないとな」
食パンをトースターにセットし、冷蔵庫から野菜と卵を取り出して簡単にサラダと目玉焼きを作る。
目玉焼きが焼き上がる頃に、トーストがチンッと音を立てて出来上がる。これでとりあえず朝食の準備はおわった。
「詩織、朝だよ」
身体を少し揺すって詩織に声をかけると、布団の中から小さな唸り声が聞こえた。
「うぅ、今、何時ぐらい?」
「十時ぐらいだよ、朝食作ったから食べよう?」
布団の中で体を丸めているのか、布団の中央辺りが膨らんでいる。五分ほど待つと、まだ寝ぼけた顔をした詩織が布団から顔だけを出してきた。
「ん、おはよぉ」
「うん、おはよっ。朝食はトーストと目玉焼き、あとサラダだけども食べるだろ?」
「食べる。ん、その前に顔洗ってくるね」
もぞもぞと布団から這い出てきた詩織は、欠伸を手で隠しながら洗面所のある風呂場へと向かった。
詩織が風呂場に行ってる間に、コーヒーメーカーをセットしてコーヒーを淹れる。
風呂場の方からシャワーの音が聞こえてきた。少しだけエッチな想像が頭をよぎったので、慌ててテレビに視線を向け、音量を上げて意識をそらす。
ニュース画面が切り替わり、今日の天気と気温が表示された。お天気キャスターが、今日から本格的な冬の到来を告げている。
ドアの開く音がして振り返ると、タオルを肩にかけた詩織が風呂場から出てきたところだった。詩織の肩まで伸びた黒い髪は、シャワーの水を吸ってさらに色を深くしている。
「ふぁ、まだ少し眠いなぁ。改めておはよう、太樹」
「うん、おはよう。今コーヒー淹れてるけども、詩織も飲む?」
先ほどの想像のせいで、顔がすこし熱い。詩織から視線を少し逃がして、早くなっている心臓を落ちつける。
「うん、ありがとう。あぁ、それとごめんね。昨日はせっかく来たのにすぐ寝ちゃって。それに朝も色々と用意してもらってさ」
「まぁ、どんまい。それよりもさ、朝ご飯食べよ?」
朝食とコーヒーをテーブルに運び、詩織と一緒に朝食を取り始めた。窓の外に視線を向けると、ゆっくりと雪が降っているのが見える。
「最近一気に寒くなったよね。雪も降ってるし、帰るとき傘貸そうか?」
トーストを咥えながら詩織も窓の外を見る。細い眉を下げて、どうしようかと悩んでいる。なんとなく、パンを齧っている横顔が小動物のようで微笑ましい。
「ん~、このぐらいなら大丈夫かな。あっ、でももう少しだけ雪が止むの待っててもいい?」
「うん、今日はこれといって予定もないし。ゆっくりしてっていいよ」
二人でのんびりとした朝食をとり、コーヒーをすする。
立ち上がって食器を流し場に置いて水ですすぐと、詩織も自分の食器を持って僕の隣にやってきた。
「あっ、そこに置いといていいよ」
「ううん、さすがに悪いし。私も少しは手伝うよ」
「別にいいのに。それじゃぁ僕が洗うから、拭いて棚に戻してくれる?」
「うん、わかった」
二人で流し場に立って、無言で作業をした。カチャカチャと食器の立てる音と、テレビから朝の占いが聞こえる。
「なんか、こう言うの久しぶりだね。って、私があまり来れなかったからか」
「そうだね。でも忙しかったんだし、しょうがないよ。また暇になったら来ればいいしさ」
食器を片づけて、テーブルを隅に寄せてスペースを確保する。
僕は未だに頭の片隅にある眠気に誘われて、クッションを枕がわりに絨毯の敷かれた床に寝そべっている。詩織は寝そべった僕の横に、静かに腰を下ろしていた。
「今日から本格的な冬の到来だってさ。雪、止むかなぁ」
「どうだろうね。でも、もうそんな季節になっちゃったんだ。今年もあと少しか、早かったなぁ」
窓の外を眺めていても、雪は一向にやむ気配を見せない。
詩織の手が伸びてきて、目にかかっていた僕の前髪をそっと払う。額に触れた詩織の手は少し冷たかったが、暖房で暖まった部屋の中では心地よく感じた。
「前髪、だいぶ伸びたね」
「うん、少し伸ばしてみてるんだ。変かな?」
「ううん、いいと思うよ。昔みたいに短いのもなんか活発そうでよかったけども、今ぐらいの長さも、なんか落ち着いてて良いと思う」
「そっか、ありがとう」
はらはらと降る雪、僕の髪をなでる詩織の指、テレビから聞こえるニュースの声。
「雪も止みそうにないし、もう少しでバス来る時間だから。そろそろ行くね」
穏やかな時間は長くは続かないものだ。少しでも長くこの穏やかな時間を感じていたいが、時計を見ると確かに近くのバス停にもう少しでバスが到着する。
ゆっくりと身体を起こすと、詩織はすでにコートを着て帰る支度をしていた。
玄関まで見送り、別れ際にキスをした。離れた唇からは白い息が漏れて、風に流れて消えていった。
「それじゃぁ、また」
「うん、またね」
ドアの向こうは白と灰色の世界だった。曇天の空から白い雪が降っている。昨日までは積もっていなかった雪が、うっすらとアスファルトや屋根を覆い始めていた。
詩織を見送ってドアを閉める。冷たい空気がドアの隙間から入ってきて、僕は身体を震わせた。
さっきまで二人いた部屋に、今は僕一人。なんだか無性に寂しさがこみ上げてきて、テレビのボリュームを上げて寂しさを紛らわせる。
時計を再度確認して、僕も外出の用意をした。これと言って今日の予定も無かったので、とりあえず大学のサークル棟にある部室に行こうと思う。
部室に行こうと思い立ったところで、文芸部が発行している文集に載せる、作品の締め切りが近付いていることを思い出した。
誰かが居ればそれでいいし、誰もいなかったらのんびりと執筆作業に没頭してもいい。
僕はコートを羽織って、ノートパソコンや財布の入ったバッグを肩にかけて家を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます